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【ミッドウェー海戦2】なぜ2度の兵装転換が行われたのか【南雲忠一】

 こんにちは。本宮貴大です。
 この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。
 今回のテーマは「【ミッドウェー海戦2】なぜ2度の兵装転換が行われたのか【南雲忠一】」というお話です。

 1942(昭和17)年5月27日。南雲忠一(なぐもちゅういち)中将率いる機動部隊が広島の瀬戸内海を出撃。
 続いて、5月28日。ミッドウェーの占領軍として陸軍と海軍陸戦隊がサイパン島を出撃。
 さらに、29日には山本五十六率いる戦艦「大和」を基幹とする主力部隊が出撃しました。
 そして翌6月4日には、アメリカ軍の注意をそらすために 陽動部隊がアリューシャン列島に向けて出撃しました。
 こうしてミッドウェー及びアリューシャンの両作戦は実行され、参加船艇は300隻以上、航空機は1000機以上、参加将兵は10万人を超える大作戦が実行されたのでした。

 6月2日、ミッドウェー島東北海域で発せられたと思われる米空母呼び出し符号を捉えました。
 これは重要情報であるとして東京の軍令部に伝えられ、山本率いる戦艦「大和」もミッドウェー付近に敵空母がいるらしいという兆候を捉えました。
 山本は「南雲部隊にも知らせるべきではないか」と進言したが、参謀の黒島亀人は「そんな必要はないでしょう」として情報を送りませんでした。
「南雲機動部隊は我々よりも300カイリも先を行っています。我々ですら受信しているのだから、彼らも受信しているでしょう。それに無線は封止中ですから。」

 しかし、南雲率いる旗艦「赤城」は情報をキャッチしていませんでした。傍受機能が故障していたのです。これにより南雲部隊は「ミッドウェー付近に敵機動部隊はいないだろう」という感覚を持ちました。

 6月5日午前1時30分。南雲機動部隊は、ミッドウェー島まで210カイリという位置で第一次攻撃隊108機を出撃させました。それと同時に索敵のため7機の偵察機も発艦していますが、その数は通常よりもかなり少ないものでした。
 帝国海軍は徹頭徹尾、攻撃重視であり、出来る限り多くの戦闘機・攻撃機爆撃機を艦載しておきたいため、その分、偵察機の数は減らされていたのでした。
 一方で南雲部隊は万が一、米空母が現れたときに備えて、103機の攻撃隊を魚雷装備で待機させていました。

 午前3時34分。ミッドウェー島に到着した第一次攻撃隊は、アメリカ軍基地を空襲しました。しかし、暗号をあらかじめ解読されていたため、奇襲攻撃とはならず、42機の米戦闘機と激しい対空砲火に大苦戦したのでした。

 午前4時。そんな第一次攻撃隊から「第二次攻撃の要あり」との打電が送られてきました。
 それを受けた南雲機動部隊もミッドウェー島から発進したアメリカ航空機部隊からすでに攻撃を受けていました。そんな攻撃を受けつつも、南雲司令部は島への第二次攻撃の必要性を感じ、第二次攻撃隊の準備を下令します。
「魚雷を陸上攻撃用爆弾に転換せよ。」
しかし、兵装転換には時間がかかります。どのくらいかかるのでしょうか。
以下はインド洋作戦を完了させた南雲部隊が兵装転換の実験を行い、それに要した時間を測定したデータです。

兵装転換 所要時間
魚雷→250キロ爆弾2個 2時間30分
魚雷→800キロ爆弾1個 1時間30分
魚雷→800キロ爆弾2個 2時間30分
250キロ爆弾→魚雷 2時間
800キロ爆弾1個→魚雷 2時間
800キロ爆弾2個→魚雷 1時間30分

 例えば魚雷から250キロ爆弾を2個に転換する場合、およそ2時間半、魚雷から800キロ爆弾1個に転換する場合でも1時間半かかります。
各空母はにわかに慌ただしくなりました。

 この頃、米機動部隊は南雲機動部隊の位置をほぼ正確に把握しており、午前4時には攻撃隊を発進させていました。

 南雲機動部隊はまだ敵の全容を知りません。一方の米機動部隊は、日本側の動き、位置、その規模まで正確に把握しています。
 「空母」対「空母」の戦いはお互い敵が見えない位置で戦うので、奇襲攻撃が可能になります。それはつまり、先に見つけた方が断然有利ということになります。したがって、情報が非常に重要になります。日本はこうした情報戦において、すでに負けていたといえるでしょう。

 午前4時28分。日本の偵察機より「敵らしきもの10隻みゆ。」という報告が入りました。
これを受信した南雲司令部は、「その中に空母は含まれているか」と再確認させます。
 午前4時53分。敵のミッドウェー基地から飛来した航空機による攻撃を受ける南雲部隊ですが、どれも大きな損害を与えることなく、全機撃墜。

 午前5時20分。敵兵力は巡洋艦5隻、駆逐艦5隻という偵察機の報告の後、午前5時30分に、「敵はその後方に空母らしきもの1隻を伴う」と付け加えました。
「空母がいた!」
そう言って南雲は爆弾を魚雷へと再び兵装転換する命令を下しました。

 しかし、これに異を唱え、「ただちに発進の要ありと認む」と、空母「飛龍」に座乗する第二航空戦隊司令官山口多聞(やまぐちたもん)少将は、南雲長官に意見具申しました。
 いまや一刻を争う。陸上攻撃用の爆弾でも敵の先手をいく。拙速を尊ぶべきである、というのが山口少将の考えです。

 しかし、南雲は山口からの意見具申を却下しました。
「まだ敵までの距離があるから、兵装転換しても間に合う。それに陸上用爆弾では敵空母にどれだけのダメージを与えることが出来るかわからない。」
また、南雲長官は戦闘機の護衛なしで爆撃機だけを出せば、みすみす敵の餌食になりかねないとし、さらに戦闘機は燃料消費が激しく、給油が必要なので、まずはミッドウェー島を攻撃した第一次攻撃隊(戦闘機部隊)を収容するとしました。

 しかし、米空母部隊は南雲司令部の想像以上に接近していたのでした・・・・。

 午前5時38分。米空母「ヨークタウン」と「エンタープライズ」から爆撃部隊が発進。南雲機動部隊に迫ります。

 午前6時18分。ミッドウェー島を奇襲した日本の攻撃部隊が続々と帰還してきました。南雲機動部隊は、これら戦闘機によって、敵を迎撃することにしました。
 そんな中、米爆撃部隊が200~300mの超低空で魚雷を抱えて襲来。それを日本の零戦部隊が次々に撃墜していきます。

 まさに、その時です。

 午前7時23分。遅れてやってきた米爆撃部隊が高度3000~4000mの位置に現れました。

 それに気づいた零戦部隊ですが、200~300mの低空を飛んでいたため、迎撃のしようがありません。つまり、我が国の空母群は一時的に航空機の護衛のない「丸裸」の状態となったのです。

 米爆撃部隊はそんな千載一遇のチャンスを逃すはずもなく、太陽を背にして急降下し、空母「加賀」、「赤城」、「蒼龍」に襲いかかりました。
 被弾した艦内には魚雷や爆弾が満載で、さらに艦上には発艦準備の整った航空機の魚雷などがあり、それらに誘爆し、次々に火柱を上げました。
 午前7時40分。南雲長官は空母「赤城」を退艦し、巡洋艦「長良(ながら)」に移りました。

 我が国空母でただ1隻無事だったのは飛龍でした。
「我今より航空戦の指揮をとる」
 そう発光信号を出したのは、飛龍に座乗していた第二航空戦隊司令官山口多聞少将でした。
 山口は残った攻撃機や戦闘機を集めて、敵の猛攻の中、二次にわたって攻撃を仕掛け、敵空母「ヨークタウン」を大破するまでに至ります。しかし、飛龍もやがて敵機により被弾、炎上。

 そして午後11時30分、山口少将は総員退艦を命じ、自らは飛龍艦長・加来止男(かくとめお)大佐とともに、波間に沈みます。
「一緒に退艦を!」という部下の願いを退け、また、「運命を共にいたします!」という部下には厳しく退艦を命じました。そして山口少将と加来艦長は艦橋に向かいました・・・・。

「いい月だな、艦長」
「本当にいい月ですね。月齢は二十一くらいでしょうか。」
「今夜は月を愛でながら、ゆっくり語ろうか。この上もない死に場所を与えられたことは、武人としてまさに本望だ。」
沈みゆく飛龍の艦内で2人はこんな会話を交わしたそうです。

 午後11時55分、山本五十六長官よりミッドウェー機動部隊及び攻略部隊など全軍に作戦中止の命令が伝達されました。

この戦いでアメリカ側は空母1隻(ヨークタウン)と駆逐艦1隻、航空機およそ150機、戦死者数362名の損害を受けました。
しかし、対する日本は空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)、重巡洋艦1隻、航289機、戦死者数3057名の大損害を受けました。特に戦死者の中には優秀なパイロットが100名以上もおり、真珠湾攻撃などにも武勲を立てた者が多く含まれていました。

 ミッドウェー海戦は、奇襲攻撃を仕掛けた日本が墓穴を掘った結果、アメリカは強烈なカウンター攻撃を与えることに成功したのです。日本の大敗北です。
 ミッドウェーの大敗北の原因としてよく上げられるのが、兵装転換です。雷装から爆装に転換したものを再び雷装に転換する。
 なぜ南雲はこのような失策をしてしまったのでしょうか。
 これには作戦目的の曖昧さが原因といえるでしょう。
 具体的には、作戦目的が2つ存在し、どちらが優先されるのかが曖昧であったということです。
 このミッドウェー海戦の作戦内容は以下のようなものでした。
「ミッドウェー島を攻略し、出撃してくる米機動部隊を攻撃し、真珠湾で撃ち漏らした空母も殲滅する。」
 一見、何も問題なさそうな作戦内容ですが、最大の目的は「ミッドウェーの占領」なのか「米艦隊の殲滅」なのかで、実際の作戦行動に大きな違いが出てしまうという問題が発生してしまいました。
 それが山本長官と南雲長官で共有されていなかった。
 短期決戦で早期講和に持ち込みたいと考える山本長官は「ミッドウェーの占領」が目的ではなく、ミッドウェー島への奇襲は陽動作戦に過ぎず、それによって米空母を誘い出して航空決戦に挑もうとするものでした。
 しかし、南雲長官は、この作戦の目的はあくまで「ミッドウェーの占領」であり、アメリカ艦隊が出てきたとしてもその後だ。というものでした。
山本と南雲で作戦の優先順位が逆になってしまいました。これが原因で南雲機動部隊はアメリカ艦隊に対する索敵活動をおろそかにし、情報処理もずさんで、敵機動部隊の接近をみすみす許すことになり、猛攻を喰らってしまったのです。
 しかし、山本にも責任があります。ミッドウェー作戦とは山本自らが発案した作戦で、その真意が上手く実行部隊に伝わっていなかったというのは見逃せません。作家の半藤利一氏によると、山本五十六という人物は「どちらかと言えば、人見知りで口が重く、開放的な性格とは程遠い人物だった」と論じています。
 報告・連絡・相談を好まず、また根気よく相手を説得したり、納得させたりすることも得意ではない。今回のミッドウェー作戦も概要だけをサラッと説明し、軍令部長永野修身(ながのおさみ)に「イエスかノーか」と迫っただけ。
内向的な人間にありがちなこととして、自分の中で結論づいている情報や論理を、他人も簡単に理解できるだろうと考えてしまうことがあげられます。
山本長官もそんな人だったのかも知れません。今回の大敗北は、作戦の真意を部下に徹底しない山本の詰めの甘さが招いたものです。

 沈没する空母「赤城」から脱出した南雲長官は、後続の戦艦「大和」と合流し、山本長官に敗戦の報告をしました。
「大失策を演じ、おめおめと帰還できる身ではなかったのですが、ただ復讐の念のみを持って生還いたしました。どうか復讐出来るよう取り計らって頂きたい。」
山本長官はただ一言、「承知した」とだけ伝えました。

 連合艦隊の参謀たちは南雲らに深い憤りを持っており、「大和」艦内では責任のなすりつけ合いが始まりました。
 しかし、山本長官が「ミッドウェーの敗戦責任は私にある。なすりあいはするな。」と命じました。
 このとき、「大和」で行われた会議では敗戦原因が追究され、以下のようにまとめられました。
1.攻撃機の発艦が遅れたこと。
2.空母を集中しすぎて、‘良い的‘にされてしまったこと。
3.策敵機が敵を発見できなかったこと。
しかし、どれも戦術的な問題であり、本質をついたものではありません。
その中でも、連合艦隊参謀総長の宇垣纒(うがきまとむ)が後の回想録で書いた内容が最も核心をついていると思えます。
「欲に駆られたゆえに、ろくにまとまっていない作戦を実行したがために、手ひどい火傷を負ってしまった・・・・。」

ミッドウェーの敗戦はすべて隠蔽されました。負傷者は横須賀の病院に収容されましたが、肉親との接触は一切禁じられ、連絡はおろか、外出すらも禁止されました。
負傷者たちは後に「病院は収容所と一緒だった」と回想しています。
一般的に、今回のミッドウェー海戦は日本が敗北への道を転がり落ちるようになったターニングポイントであると言われています。
しかし、歴史学者の中には、日米の戦力比や太平洋戦争全体の流れから見れば、ミッドウェーの大敗北は、それほど大きな影響力をもったものではないという解釈をしている人がいます。

しかし、大本営が初めて戦果報告の虚偽や隠蔽を行うようになったのがこのミッドウェー作戦です。そういう意味では、やはりひとつのターニングポイントだった言えるのではないでしょうか。

それまで大本営は、ほぼ正確な戦果報告を行っていました。それは連戦連勝だったからに他なりませんが、そんな日本が初めて明確な大敗北を喫したミッドウェー海戦
こうした軍の失態を国民に知られるのを何よりも恐れた大本営は今後、戦況の悪化とともに嘘に嘘を重ねた戦果報告をしていくようになります。嘘は一度ついてしまうと二度目、三度目と、そのハードルは低くなってしまうのです。

今後、日本が攪乱する相手はアメリカ軍ではなく、日本国民になっていった。
そのきっかけとなったのが、今回のミッドウェー海戦の大敗北だったのです。

つづく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
本宮貴大でした。
それでは。
参考文献
太平洋戦争「必敗」の法則           太平洋戦争研究官=編著 世界文化社
手に取るようにわかる 太平洋戦争       瀧澤中=文       日本文芸社
日本の戦争 解剖図艦             拳骨拓史=著      X-Knowledge
テレビではいまだに言えない 昭和・明治の真実 熊谷充晃=著      遊タイム出版 
昭和を読み解く50のポイント         保阪正康=著      PHP