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【ミッドウェー海戦1】名将?愚将?山本五十六

 こんにちは。本宮貴大です。
 この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。
 今回のテーマは「【ミッドウェー海戦1】名将?愚将?山本五十六」というお話です。

 ミッドウェー海戦といえば、帝国海軍の戦力が大幅に減少するきっかけとなった海戦ですが、機動部隊の中核を担う主力空母4隻も失うという大敗北を喫しました。
 そんなミッドウェー海戦を見ていく前に、以下の表をご覧ください。これは1942(昭和17)年6月時点での日本とアメリカの太平洋戦線における戦力を比較したものです。

日本 アメリ
航空母艦(空母)    
戦艦  11  
重巡洋艦  17  7
軽巡洋艦    
駆逐艦  70余り  11

 「あれ?逆じゃない?」
 と思った方もいるかも知れません。私も最初見たとき、そう思いました。
でも、これが正しい日米の太平洋における戦力比で、圧倒的に日本が有利です。
 ここまで大きな戦力差がありながら、負け戦となったミッドウェー海戦を指揮したのは連合艦隊司令長官山本五十六(やまもといそろく)大将です。山本は先の真珠湾奇襲攻撃で大戦果を上げ、当時の国民から熱狂的な支持を受け、日露戦争日本海海戦を指揮した東郷平八郎と並ぶ「名将」となりました。
 しかし、山本五十六は本当に「名将」と言えるのでしょうか。
 今回はミッドウェー作戦の経過を見ていきながら、山本五十六が名将なのか、それとも愚将なのかを見ていきたいと思います。

 帝国陸海軍は第1段作戦(南方作戦)で日本軍は連戦連勝を重ね、マレー・シンガポール、香港、蘭印、南部ビルマと次々に勢力を拡大し、国民は緒戦の勝利に大熱狂していました。
 第1段作戦が順調に進みつつある中、次の第2段作戦の決定において、陸軍と海軍で意見が対立しました。
 陸軍参謀本部としては「南方を確実に押さえ、長期持久体制を確立する」ことを主張。
 対する海軍軍令部は「オーストラリアを攻略し、米豪の連絡を遮断する」ことを主張しました。
そこで陸海両軍の折衷案として決まったのが、「フィジーサモアニューカレドニアを攻略し、米豪の連絡を遮断する」という作戦でした。

 しかし、これに異議を唱えたのが、連合艦隊司令長官山本五十六(やまもといそろく)大将でした。
「南方作戦が完了しつつある現在、いよいよアメリカが本格的に動き出すだろう。アメリカの国力は巨大だ。早急に叩き、戦意を喪失させ、早期講和に持ち込まなくてはならない。」
 アメリカのハーバード大学に留学経験のある山本は物量大国・工業大国・労働大国であるアメリカの脅威を知っていました。それまでの大日本帝国ソビエト連邦には強い警戒心を持っていても、アメリカに対してはどうも恐怖心が弱い。それに警鐘を鳴らしていたのが山本五十六でした。
 しかし、山本は先の真珠湾攻撃を、連合艦隊参謀の黒島亀人(くろしまかめと)が提案した「ハワイ占領計画」の「占領」部分だけを削除して、「ハワイ奇襲攻撃」として実行してしまいました。
 その結果、アメリカは戦意を喪失するどころか、日本への憎しみと士気が高まり、やたらと好戦的になってしまいました。

 山本は言いました。
「うん・・。やはり中途半端に攻撃するのではなく、黒島くんの言っていた通りハワイを完全に占領し、アメリカ太平洋艦隊の動きを封じるのだ。ミッドウェー攻略はその前哨戦とする。」
 当然ですが、こんな勝手な作戦に陸軍も海軍も反対しました。
 特に陸軍からの反発は強いものでした。山本はこの作戦にありったけの海軍力を集結させようとしていました。そのためインド洋方面に展開している駆逐艦なども全て太平洋に回せというのです。陸軍は東南アジアからインド方面にも進撃を開始していたため、これでは海上からの防備や攻撃力が手薄になってしまいます。占領地を維持・管理するのは陸軍の仕事、それを海上から支援するのが海軍の仕事です。
 したがって、もし仮にミッドウェー攻略が完了してもその島の維持・管理をする陸軍はその分、戦力を分散させてしまうことになるし、本土からあまりに遠すぎるため、補給や兵站の心配もあります。ミッドウェーの攻略はあまりにリスクが高すぎるというものでした。
海軍軍令部も、作戦そのもののリスクと占領の困難さを計算して反対していました。
「ハワイ作戦など博打すぎる。真珠湾攻撃の成功は奇跡に等しかった。作戦中止とまではしなくても、時期尚早とするべきではないか。」

 これに対し、山本は真珠湾作戦の時同様に、またしても辞表をチラつかせます。
「この作戦が許可されなければ、私は連合艦隊長官を辞任する。」
 結局、陸軍参謀本部も海軍軍令部も1942(昭和17)年4月3日、ミッドウェー攻略作戦を許可したのでした。
 酒と女と博打が大好きな山本にとって、真珠湾攻撃のような大きな戦果(リターン)を得るためには、それなりの危険性(リスク)は冒さなければいけないのは、もはや常識だったのかも知れません。

 こうして軍部としての第二段作戦は「フィジーサモアを攻略(FS作戦)し、米豪の連絡を遮断する。それと同時にミッドウェー作戦(MI作戦)を実行し、ハワイ占領にも着手する」ことに決まりました。
 フィジーサモアは、アメリカ(ハワイ)からオーストラリアに至る要衝であり、通り道です。この米豪のシーレーンを遮断してオーストラリアを孤立させる。その一環としてニューギニア東部のポートモレスビーを攻略作戦(MO作戦)も計画されました。

 ここに、日本軍の第2段作戦としてポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)、ミッドウェー攻略作戦(MI作戦)、フィジーサモアを攻略作戦(FS作戦)が計画されたのでした。

 4月5日、連合艦隊の参謀はミッドウェー作戦の概要を軍令部に詳しく説明しました。
「ミッドウェー島の米軍飛行場に奇襲攻撃を仕掛け、占領し、真珠湾作戦で討ち漏らした米空母をおびき寄せ、それを迎え撃つカタチで撃滅する。」
 なお、この作戦は米領アリューシャン列島西部に位置するアッツ島キスカ島の攻略も同時に行うことになっていました。アリューシャン列島を占領すれば、アラスカからの米軍侵攻も封じることが出来、ミッドウェー攻撃の牽制にもなると考えたのです。

「しかし、ミッドウェー作戦は博打過ぎる。山本も相変わらず困った奴だ。」
 そう言って軍令部が頭を抱えていたその時、それは突然やってきました。

 同1942(昭和17)年4月18日、突如アメリカ軍機B25が日本本土の上空に現れ、東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸を空襲したのです。
 これはジミー・ドゥーリットル中佐率いるアメリカ軍による日本本土空襲作戦(ドゥーリットル空襲)であり、東京方面には13機、名古屋方面には2機、神戸方面には1機が侵入し、空襲を終えた各隊はそのまま中華民国ソ連へと飛び去っていきました。

 しかし、日本側には全くの不意打ちで、それはまさに真珠湾攻撃の仕返しと言わんばかりに大胆なものでした。
「本土が爆撃された・・・・。勝っているんじゃなかったのか?」
被害そのものは小さいものでしたが、やすやすと首都を空襲されたことに、勝ち戦に浮かれていた軍も国民も大きなショックを受けました。
これには日本軍、特に海軍は面目を失いました。

 この出来事が山本の「アメリカ太平洋艦隊撃滅作戦」に説得力が増し、軍令部はミッドウェー作戦を正式に作戦指令として下し、早急に実行することとしました。
アメリカめ。味な真似をしやがって。今度は容赦しない。国民の士気が落ちる前に一気にハワイを占領するのだ。」
 このミッドウェー海戦は、後世の我々の評価と同様に当時の大日本帝国にとっても、重要なターニングポイントだと認識されていました。一気にハワイを占領し、日米間の戦局を一変させ、アメリカが進撃してくる余地をなくそうというのです。
 真珠湾攻撃の成功体験が忘れられない山本の欲と焦りです。もう一度ハワイで大戦果を上げ、国民の支持を得ようとしたのです。

 こうして翌5月1日以降、ミッドウェー作戦の図上演習が行われました。
 そこでは大きな問題点が指摘されました。
「もし、米軍がミッドウェーで待ち伏せしていたらどうする?暗号が解読されていたら?そうなれば、逆に米軍からのカウンター奇襲攻撃を喰らう危険性があるのでは・・・・。」
 しかし、山本五十六連合艦隊参謀長宇垣纒(うがきまとむ)はそういった危険性に目を背けました。

 ここで暗号解読という問題点が出てきました。
 実はこのとき、5月4日~8日にかけて山本五十六の弟分である井上成美(いのうえしげよし)中将率いる連合艦隊第4艦隊はポートモレスビーを攻略(MO作戦)に乗り出していました。しかし、第2艦隊が上陸部隊の輸送船団を送るも、米軍がそれを襲撃したことで、日米は珊瑚海で激突しました。(珊瑚海海戦
このとき、米軍は日本側の暗号をすべて解読しており、日本軍はほとんど待ち伏せされた状態で襲撃を受けたのでした。

 この珊瑚海海戦は、海戦史上初の「空母対空母」の戦いと言われており、それまでの「戦艦対戦艦」による戦いの常識が大きく覆された転機となった海戦でした。ここで両者の違いを以下の表にまとめておきます。

「戦艦」対「戦艦」 「空母」対「空母」
射程圏内での戦い 射程圏外での戦い
敵が見える戦い 敵が見えない戦い
大鑑巨砲主義 情報戦

「戦艦」対「戦艦」はお互いが戦艦の射程圏内で戦うので、敵同士が見える位置での戦いとなります。したがって、戦艦はより大きく頑丈で、大砲を備えている必要がありました(大鑑巨砲主義)。
 しかし、「空母」対「空母」の戦いになると、戦艦の射程圏外から航空機を飛ばし、航空機動戦が展開されるため、敵同士が見えない戦いとなります。すなわち、奇襲作戦が可能になるのです。
 そうなると、海戦は今後、ある面では情報戦となります。暗号を解読し、敵がいつ、どこで、どのように攻撃を仕掛けてくるのか、出来る限り正確に把握しておく必要が出たのです。

 アメリカはこうした時代の変化に柔軟に対応しました。
 ハワイの太平洋艦隊本部の暗号解読班は、総勢150人の職員が24時間体制で暗号解読に取り組みました。
 その結果、先述の珊瑚海海戦において、日本側は軽空母「祥鳳」と駆逐艦1隻を失い、空母「翔鶴」は中破。アメリカ側も主力空母「レキシントン」と駆逐艦1隻を失いました。戦果だけ見ると、主力空母を撃沈した日本側に分があるように見えます。
しかし、日本はポートモレスビーへの上陸を中止せざるを得なくなったので、日本は戦略的(大局的)には敗北を喫したわけですが、山本は戦果にばかり注目し、この海戦を勝ち戦と認識してしまいました。

 日本側には暗号が筒抜けになっているかもしれないという危機意識はなかったのでしょうか。
 帝国海軍はイギリス海軍から軍事技術と同時にジェントルマンシップも学んでおり、そんな「ジェントルマンシップのイギリス」や、「正々堂々を好むアメリカ」が、他国の情報を盗みとるような行為はしないだろうという全く根拠のない自信を持っていました。
 さらに日本語と英語は文法構造からして全く別物なので、解読するには相当な労力が要るので、米軍はそこまで手間をかけないだろうという考えさえありました。
 もはやこれは危機管理意識の欠如と言わざるを得ません。

 もっとも、帝国海軍の暗号が脆弱であったわけではありません。暗号強度は非常に高いものでした。しかし、アメリカはその暗号解読にもの凄い時間と労力をかけていました。暗号とは結局、時間や労力をかければ解読できるものです。
 このように書くと、「さすがアメリカだ!」と思うかも知れませんが、アメリカのやり方が普通なのです。日本海軍があまりに情報を軽視し過ぎているのです。

 しかし、今回のミッドウェー作戦の狙いは、ミッドウェー島の占領とともに、米空母機動部隊を叩きのめすことも大きな目標であり、仮の情報が漏れたとしても、米空母部隊が出てきてくれば、むしろ好都合であるとされました。
 帝国海軍には「拙速を尊ぶ」という考えがあり、多少問題があっても、「先手必勝」、「敵よりも先に敵を叩け」、「叩けるときに一気に叩きのめせ!」という攻撃重視の発想が大半を占めていました。
 こうしてミッドウェーの図上演習は様々な問題点が指摘されながらも、結局、日本の圧勝という結果を出し、実行されるに至りました。

 山本は焦っていた。迫り来るアメリカの脅威を早急なハワイ占領で封じ込め、大戦果をあげることで、不安になった国民の士気を再度高めたかった。
それにミッドウェー占領はあくまでハワイ占領の前哨戦に過ぎません。それが図上演習の段階でストップしてしまっては、後の攻略作戦が進みません。

 ミッドウェー作戦とは、こうした日程が迫っているなか、十分な作戦検討もされないまま、実行された作戦だったのです。

「日本とアメリカには10倍の国力差がある。長期戦に持ち込まれれば日本に勝ち目はない。ここでアメリカ空母を撃滅しなければ、日本は苦しい戦いを強いられる。」
 山本五十六の主張は、一見すると、大変筋が通っているように見えます。しかし、何せ作戦そのものが、ろくにまとまっていない状態で実行された作戦ですので、危機管理システムの杜撰さが露呈するのは当然です。

 それでも山本は米軍に勝利出来ると簡単に考えていました。
 開戦以来半年、連合艦隊は「戦えば必ず勝つ」状態でした。真珠湾奇襲攻撃では最大の敵だったアメリカ太平洋艦隊を壊滅させ、マレー沖海戦やインド洋作戦ではイギリス東洋艦隊も撃退しました。
 こうした不敗神話がまかり蔓延する状況で、連合艦隊が負けるなどとどうして考えられるでしょうか。

 そして、5月27日。南雲忠一(なぐもちゅういち)中将率いる機動部隊が広島の瀬戸内海を出撃。
 続いて、5月28日。ミッドウェーの占領軍として陸軍と海軍陸戦隊がサイパン島を出撃。
 そして29日には山本五十六率いる戦艦「大和」を基幹とする主力部隊が出撃しました。
 こうしてミッドウェー及びアリューシャンの両作戦は実行され、参加船艇は300隻以上、航空機は1000機以上、参加将兵は10万人を超える大作戦が実行されたのでした・・・・。

 このように山本五十六は「名将」とは裏腹に決して連戦連勝していたわけではありません。山本が直接的に勝利に導いた案件は意外と少なく、大勝利した真珠湾攻撃の次は「戦術的勝利、戦略的敗北」とされる珊瑚海海戦、そして今回のミッドウェー海戦の大敗北という流れです。
 映画『連合艦隊司令長官山本五十六 太平洋戦争70年目の真実』では山本五十六「日本はアメリカには勝てない」と分かっていながら嫌々で戦争の指揮を取った悲劇の名将のように書かれていますが、とんでもない。
 今回ご紹介した内容から、山本五十六を「名将」だと本当に言えるのでしょうか。

つづく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
本宮貴大でした。
それでは。
参考文献
太平洋戦争「必敗」の法則            太平洋戦争研究官=編著 世界文化社
手に取るようにわかる 太平洋戦争        瀧澤中=文  日本文芸社
日本の戦争 解剖図艦              拳骨拓史=著  X-Knowledge
テレビではいまだに言えない昭和・明治の「真実」 熊谷充晃=著 遊タイム出版