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【太平洋戦争】強い日本が弱いアメリカに負けた理由

 こんにちは。本宮貴大です。
 この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。
 今回のテーマは「【太平洋戦争】強い日本が弱いアメリカに負けた理由」というお話です。

 なぜ、日本はアメリカとの戦争に敗北してしまったのでしょうか。
 しかし、意外なことかも知れませんが、大日本帝国の陸軍と海軍は世界最強でした。
 一般的にはあの戦争は小国・日本が勝てるはずのない超大国アメリカに戦いを挑んでしまったからで、全く無謀な戦いだったとされています。
 確かにアメリカの経済力は日本の何百倍も大きいもので、日本はそれに圧倒されたことは事実です。そのことは当ブログでのそのことはたびたびお伝えしています。
 しかし、それは歴史的な結果論でしかありません。
 日本が反省しなければいけない理由は、本来、勝てるはずの戦争に負けてしまったからです。
 少なくても開戦当初は日本に分がありました。なぜ、負けてしまったのでしょう。
 今回はそれについて、見ていきたいと思います。

 太平洋戦争勃発からおよそ半年が経った1942年5月、第1段作戦(南方作戦)で日本軍は連戦連勝を重ね、マレー・シンガポール、香港、蘭印、南部ビルマ、フィリピンと次々に制圧、国民は緒戦の勝利に大熱狂していました。
 第1段作戦が順調に進みつつある中、次の第2段作戦の決定において、陸軍と海軍で意見が対立しました。

 陸軍参謀本部の意見は以下の通りです。
「東南アジアの資源地帯を確実に押さえ、長期持久体制を確立する。その上でヨーロッパからビルマやインドを経由して中国の蒋介石政府に送られている支援物資の流れを止め、国民政府を屈服させ、支那事変を終わらせる。」

 これに対する海軍軍令部の意見は以下の通りです。
「オーストラリアを攻略し、米豪の連絡を遮断する。米軍が反攻してきた場合、オーストラリアは最大の拠点となってしまいます。長期戦に持ち込まれたら日本に勝ち目はない。したがって早い段階から米軍の戦力を削ぎ落し、早期講和に持ち込む。」

 防備を強化しようとする陸軍に対し、攻撃重視の海軍で意見対立が起きていまいました。

 しかし、結局は海軍の意見が通り、第2段作戦として決定したのは「フィジーサモアニューカレドニアを攻略し、米豪の連絡を遮断する」というものでした。
 フィジーサモアニューカレドニアは、アメリカ(ハワイ)からオーストラリアに至る要衝であり、通り道です。この米豪のシーレーンを遮断してオーストラリアを孤立させるというものです。その米豪分断作戦の一環として、ポートモレスビーを攻略する作戦が進行しました。

 しかし、これに対し、今度は連合艦隊司令長官山本五十六が異議申し立てをしました。
アメリカが太平洋を横断して日本列島に襲いかかってくる。オーストラリア攻略よりも、先にハワイを叩き、アメリカの太平洋における動きを完全に封じるのだ。チマチマと戦力をそぎ落とすのではなく、ハワイを占領することで一気に敵の戦意喪失を図るのだ。」

 こうしてフィジーサモアニューカレドニア攻略作戦(FS作戦)、ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)、ミッドウェー攻略作戦(MI作戦)が計画されました。
 なお、ミッドウェー作戦には陽動作戦として北太平洋アリューシャン列島のアッツ・キスカ島の侵攻も含まれており、アラスカからの米軍の進行を阻止しようとしました。
 これらの作戦をほぼ同時に実行されました。

 しかし、結果は大惨敗。
 ミッドウェーの大敗北とガダルカナル島の大敗北、そしてアッツ・キスカ島の玉砕・・・。第2段作戦は完全に頓挫してしまいました。

 そこで、勝てそうにないことを悟った日本は、当初、陸軍の主張していた通りに、インドに進行します(インパール作戦)。
 しかし、この頃にはすでに連合国軍ものろしを上げて反撃態勢に転じており、短期決戦の見込みがつかなくなり、日本が最も恐れていた長期持久戦へと突き進んでしまうのでした・・・・。

 お気づきでしょうか。
 強い日本が弱いアメリカに負けた理由・・・。
 それは、日本があまりにも戦線を拡大しすぎたことです。
 中国大陸、東南アジア、ハワイ、南太平洋、アリューシャン列島、そしてインド・・・・。
 もはや何かの陰謀なのかとさえ感じるほど戦線が拡大しています。

 あらゆる方面に占領地を増やしたことで、兵力を分散させてしまった日本は、自らの戦力を戦略の過ちによって削ぎ落すという大失態をやらかしました。これに対してアメリカは兵力を一点集中させて攻撃を仕掛けたことで、形成逆転に成功したのです。

 その後、日本は二度と戦局を有利に進めることは出来ませんでした。
 サイパン島の玉砕戦。
 レイテ沖海戦の敗北。
 硫黄島の陥落。
 東京大空襲
 沖縄戦
 そして原爆投下・・・・・。

 アメリカは自国が勝つように戦っていますが、日本は自国が負けるように戦っていました。
 日本は現場の軍人は非常に優秀でした。開戦当初から世界最強の戦闘機として恐れられた零戦、航空機による戦艦撃沈や海上攻撃の確立によって、制海権・制空権どんどん獲得していきました。
 しかし、この頃の大日本帝国は陸軍も海軍も上層部がバカだったのです。
 最もらしい戦略をいくつも立てて、それを決断できる人も、それに責任を負う人もいなかった。
 決断とは、複数の選択肢の中からどれかを決め、その他の選択肢を断つことを意味します。
 さらに、責任者とは、ある行為によって生じた結果はすべてその人が負うということです。しかし、緒戦の大敗北に軍上層部の誰も責任を取らされることはありませんでした。ミッドウェーの大敗北を指揮した山本五十六も更迭されることはありませんでした。

(ちなみにアメリカでは真珠湾奇襲攻撃を受けた際、太平洋艦隊司令長官ハズバンズド・キンメルは更迭されています。)

 

 決断力もなければ、責任も取らされることはない。なので、日本は諸々の作戦を全て実行してしまった。
 かつて日本には、織田信長豊臣秀吉徳川家康という強力なリーダーがいました。彼らはそれぞれ違った特徴や強みを持っていますが、共通して持っていたのは決断力でした。決断によって生じる責任も全て当人が負う。
 だからこそ、あらゆる思考が出来、賢い判断が出来る。これは独裁政治の最大の長所と言えるでしょう。
 考えてみれば、大日本帝国は驚くほど権力が分散されており、あらゆる機関が発言権を持っていました。衆議院貴族院、枢密院、元老、内大臣内閣総理大臣。これに陸軍と海軍が加わるので、事態はさらにややこしい。
 つまり、あちこちからうるさく口出しされる割に、最終的な責任が誰にあるのかわからない状態です。こうした責任者の不在が大日本帝国の舵取りが失敗した原因と言えるでしょう。

つづく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
本宮貴大でした。
それでは。

参考文献
手に取るようにわかる 太平洋戦争    瀧澤中=著 日本文芸社
教科書には載ってない 大日本帝国の真実 武田知弘=著  彩図社