【日本のあけぼの】日本人はどこからやってきたのか。
こんにちは。本宮貴大です。
この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。
今回のテーマは「【日本のあけぼの】日本人はどこからやってきたのか。」というお話です。
また、インドシナや台湾などの東南アジア方面からも人間が渡ってきました。
彼らは最初、同種族同士が10人前後の集団で一定の範囲を移動しながら生活していました。なので、住居も簡単なテント式のものか洞穴を利用し、狩猟だけでなく、採取によって植物性の食糧も確保していました。
やがて異なる種族が互いに接触し合うようになりました。
彼らは争いを経て、互いに共存して生活するようになりました。
そこには身分や地位、差別、貧富の差などなく、皆が平等で、平和で、のんびりとした生活が広がっていました
そんな彼らが混血された結果、やがて日本人の原型である縄文人として誕生しました。
しかし、これがのち(弥生時代)になると、北アジアや朝鮮半島から多数の渡来人が来航、彼らによって日本列島には稲作が伝えられたものの、領土をめぐって各地で争いをはじめ、縄文人は辺境へと追いやられたり、彼らの奴隷となったりしました。
つまり、現代の日本人は縄文人と弥生人の混血であるのです。
以上が、現在最も有力な説とされている「日本のあけぼの」です。
ところで、人類はこの地球城にいつどこに誕生したのでしょうか。
人類は化石人類の研究により、猿人・原人・旧人・新人の順に出現したことが知られています。
しかし、猿人(アウストラロピテクスなど)の化石はアフリカにしか発見されておらず、人類はまず、500万年前にアフリカで誕生したと考えるのが妥当とされています。以下の表は人類の進化と年代を表したものです。
B.C.500万年 | 人類の出現 |
B.C.200万年 | 猿人(アウストラロピテクス、ホモハビリス) |
B.C.100万年前 | ジャワ原人 |
B.C.70万年 | 北京原人 |
B.C.13万年 | 旧人(ネアンデルタール人) |
B.C.13万2千 | 新人(山下町洞人) |
B.C.3万年 | 新人(クロマニヨン人) |
B.C.1万8千 | 港川人 |
B.C.1万3千 | 浜北人 |
B.C.1万年 | 日本列島の成立 |
私たちの住む日本列島にも、およそ10万年前の地層から打ち欠いただけの打製石器が見つかっており、明らかな生活痕跡が見つかっています。したがって、少なくてもその頃までには日本列島に人が生活していたことが分かっています。
10万年前ならば、旧人が使っていたのではないかと考えられましたが、私たちの直接の祖先である新人(ホモ=サピエンス)も10万年前から登場し始めているので、この石器を使用していたのが旧人なのか、新人なのかを判断するのは難しいです。
日本の土壌は酸性が強く人骨は溶けてしまいますが、旧石器が出土することでそれがわかります。
しかし、日本列島にも旧石器時代の人骨が見つかっていないわけではありません。
例えば、沖縄県の土壌は石灰質なので、港川人(みなとかわじん)や山下町洞人(やましたちょうどうじん)といった人骨が出土していますし、静岡県でも浜北人(はまきたじん)が発見されています。しかし、これらはいずれも新人段階のものです。
最初のストーリーで、日本人は東アジア方面、東南アジア方面、樺太方面から移り住んだ説明しましたが、港川人の特徴は、小柄で顔が四角く立体的であるなどオーストラリアの先住民と非常によく似ているといわれています。そのことから南方方面からの渡来もあったのではないかと考えられています。
いずれにしても日本列島には様々な地域で生活していた人間が移り住み、彼らの混血が私たちの直接的な祖先であることが間違いない事実であるとされています。
つづく。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうござます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
アナウンサーが読む山川日本史 笹山晴生=著 山川出版社
マンガでわかる日本史 河合敦=著 池田書店
早わかり日本史 河合敦=著 日本実業出版社