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【どう違う?】鎌倉時代と室町時代の経済情勢

こんにちは。本宮 貴大です。

今回のテーマは「【どう違う?】鎌倉時代室町時代の経済情勢」というお話です。

鎌倉時代 室町時代
農業 二毛作 三毛作
商業 三斎市 六斎市
金融業 借上 土倉・酒屋
運送業 問丸 馬借・車借

 農業では、鎌倉時代二毛作なのに対し、室町時代には三毛作が始まります。商業では、鎌倉時代の月に三度開かれる三斎市が、室町時代には月に六度開かれる六斎市へと発展します。回数が増えているということは、その業界が発展しているということです。なので、覚えやすいと思いますが、金融業や運送業などは名前の違いに注意が必要です。

 まず、中世の経済の大前提として貨幣経済が都市部のみならず、農村にまで浸透していったという点が挙げられます。また、中世日本は輸入銭の時代であり、宋銭や元銭、そして明銭(後出)が大量にされ、商業や金融を発展させました。

 鎌倉時代、各地の荘園では、荒れ地や湿地などの開発がさかんに進められました。用水路や貯水路などの灌漑施設がつくられ、先進地域では川から田に水をくみ上げる揚水車も現れはじめ、全国の田の面積は広がりました。
 そして、蒙古襲来前後の13世紀後半から、農業では、米の単作に加えて、裏作に麦をつくる二毛作が都を中心に近畿地方で始まりました。二毛作を始めると裏作の麦に養分をとられるので、肥料を十分に施さなければ稲の収穫量は落ちます。そのため、肥料として刈敷や草木灰、家畜のフンなどが利用されました。さらに出来るだけ肥料を地中に蓄えておけるように田畑を深く耕すことも大切でした。この時代には、すき・くわなどの鉄製の農具が広く行きわたるようになり、牛や馬に唐耒(からすき)や馬ぐわを引かせて、より深く耕せるようになりました。
 また、貨幣経済の浸透により、商品作物が作られるようになり、農民たちは副業として灯油の原料である荏胡麻も栽培するようになりました。他にも麻布などの織物や、鍛冶、鋳物師、紺屋などの各種手工業者も、農村から誕生しました。

 商業・流通では、月に三度開かれる三斎市がひろがりました。また、日宋貿易以来、宋から輸入された宋銭(銭)が貨幣経済を急速に発展させました。貨幣経済が浸透したことによって、今でいう銀行のような仕事をする借上(金融業者)が現れました。
流通面では、東回り航路と西回り航路が開通したことで、船を使って海から物資を運ぶ問丸が現れました。
こうした貨幣経済の発展と遠隔地取引が実現したことにより、為替も発達しとことも鎌倉時代の特徴です。

 15世紀を中心とする室町時代の農業では、近畿地方で米・麦に加えてさらに蕎麦を栽培する三毛作が行われ、鎌倉時代には近畿周辺のみだった二毛作が全国的に行われるようになりました。肥料には刈敷や草木灰、家畜のフンなどに加え、即効性のある下肥(人糞尿)なども用いられるになりました。
 また、農作物では野菜などの種類が増え、大消費地を抱える京都の近郊を中心に栽培がさかんになりました。こうして都市部から出た人糞を近郊の農村へ供給し、生産された農作物を都市へと運ぶという循環型社会が確立しました。
 水稲の品種改良もすすみ、早稲、中稲、晩稲の作付けも普及しました。中国大陸からは災害に強く、収穫量も多い大唐米が伝えられ、西国一帯に広まりました。
 また、蚕を育てるための桑、紙の原料となる楮、塗料に使う漆、染料に使う藍草などの商品作物の栽培もさかんに栽培されました。これも貨幣経済が発展していた証拠です。室町時代になると、土民が一揆などを起こしますが、その背景には、やはり大きな経済発展がありました。その成長ぶりは特に応仁の乱以降に目覚ましく発展していきます。

 商業では月に6度開かれる六斎市が地方でも開かれるようになります。都市部に至っては毎日物を売る見世棚という常設の小売店も登場します。連雀商人や振売のような行商人が現れ、桂女、大原女など、女性の行商人も存在しました。商人や手工業者は座と呼ばれる同業者組合を形成し、独占的な営業を実現しようとしました。
金融業者では、土民たちがしばしば徳政を要求する矛先となった土倉や酒屋とよばれる業者がさかんに活動しました。酒屋とよばれていますが、お酒を売る店ではありません。

 流通では、馬借に加えて車借も登場し、より活発な物流が実現していきました。
 これらの商業の発達の前提となったのは、鎌倉時代同様、やはり銭の大量輸入でした。とくに永楽通宝が安定した通貨として明から輸入されました。しかし、こうした経済発展に伴い貨幣の流通量が不足したので、日本で作った粗悪な私鋳銭も現れました。結果、様々な種類の銭が混在したため、取引の際に良い銭だけを選ぶ撰銭が行われるようになり、これでは商取引がスムーズにいかないので、幕府や、後の戦国大名も、撰銭を抑制し、通貨の交換を促す撰銭令を出しています。

つづく。
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
教科書よりやさしい日本史   石川晶康=著    旺文社
聴くだけ 日本史  古代~近世   東京大学受験日本史研究会 Gakken