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【日中戦争4】南京大虐殺は本当にあったのか

 こんにちは。本宮貴大です。

 この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。

 今回のテーマは「【日中戦争4】南京大虐殺は本当にあったのか」というお話です。

 

 日中戦争で日本軍は南京を攻略しますが、この際、捕虜や民間人を多数虐殺したといわれています。これがいわゆる南京大虐殺です。

 南京虐殺は、現在も論争の的になっているのはみなさんもご存知だと思います。

 しかし、虐殺された中国人の数がはっきりしておらず、軍人は殺しても、民間人は殺していないなど、様々な記録や証言が飛び交い、その経過について不明な点が多いです。

 数千人が殺害されたとの証言もあれば、軍民合わせて30万人が殺害されたとの主張まであります。

 さらに近年、「南京大虐殺は存在しなかった」という主張をする人も現れるようになりました。

 実際、南京大虐殺は本当にあったのでしょうか。

 ということで、今回の前半記事では、「どのような経緯で南京における虐殺が発生したのか」について。後半記事では「南京大虐殺は本当にあったのか」について見ていきたいと思います。

 

 1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋において、日本軍と蒋介石率いる国民軍が軍事衝突を起こしました。時の近衛文麿内閣は、この事件を機に支那事変として、大軍を中国大陸へ投入しました。

 いわゆる日中戦争の勃発です。

 1937(昭和12)年秋、日本軍は2つの方面軍に編成されるようになりました。

 1つは北京・天津を占領した支那駐屯軍であり、彼らは北支那方面軍として満州から南下を始めました。

 もう1つは上海を制圧するべく新たに派遣された海軍陸戦隊で、さらに攻撃に加わった第10軍とで中支那方面軍として北上を始めました。

 日本軍は二方面から中国領内への進撃したのです。

「せっかく上海を制圧したんだ。この勢いのまま首都南京を押さえてしまおう。」

 上海を制圧したことに自信をつけた中支那方面軍は息つく間もなく南京攻略を提案しました。

 司令官の松井石根は当初、南京攻略には否定的で兵の疲労や食糧の補給問題もあり、時期尚早としていました。

 東京の陸軍参謀本部も、このあたりで国民政府との交渉に持ち込むべきと考えており、いたずらに戦線を拡大してはいけないと考えていました。

 しかし、軍中央と現場、さらに上官と末端兵士の意思疎通が十分にできていないことが災いし、上海制圧からわずか1週間後の11月19日、第10軍が勝手に南京に向けて進軍してしまいました。

参謀本部は何を弱腰になっている。敵がバラバラになった今こそ、南京を落とす絶好のチャンスではないか」

 松井は当初、彼らの動きを抑えようとするも、すさまじいスピードで進軍しており、もはや止めることは出来ませんでした。

 南京攻略は、満州事変以来の命令系統の乱れによって発生したものだったのです。

 

 結局、松井は陸軍参謀本部に南京攻略の許可を求め、参謀本部もこれを追認しました。

「首都を落とせば国民政府も講和を申し入れてくれるだろう」

 現場の勢いにおされる参謀本部もそんな期待を持っていました。

 そして同1937(昭和12)年12月1日には天皇の命令である大命が下り、南京攻略は承認されました。

 この頃、中央では天皇直属で陸海軍統帥機関でもある大本営が遂に設置されました。これは日清戦争日露戦争に続く3度目のことで、日本はいよいよ戦時体制下に突入していくことになりました。

 松井司令官に指揮された中支那方面軍は、12月8日に南京を包囲し、2日後に総攻撃を実施しました。

 南京は春秋から続く城塞都市で、中国の首都であることからも、攻略には困難が予想されました。また、中国軍は兵10万前後を、南京市内と周辺に配置していました。

 しかし、この時、蒋介石ら政府機関は南京から脱出しており、また中国軍も、先の上海戦で消耗しているうえに、統制のとれない寄せ集めの軍団なので、南京を守り抜く力がありませんでした。

 そのため、さしたる抵抗もなく、1937年12月中旬、日本軍は南京を制圧しました。

 日本軍も最終的に数千の死傷者を出したが、13日、城内に日の丸を掲げました。

 この後、日本軍は敗残兵やゲリラの征討に踏み切りました。多数の中国兵士を捕虜にしたが、そのまま殺害したと伝えられている。この凶行は一般市民にも及んだとされ、大量の殺害、暴行が報告されました。

 南京市街に入った日本軍は、市民に対し、略奪・暴行のかぎりを尽くし、手当たり次第に人々を殺害したと伝えられています。

 捕虜への非人道的な扱いや民間人に危害を加えることは、19世紀に結ばれたジュネーブ条約、続くハーグ陸戦条約という国際法により禁じられていました。しかし、日本はハーグ陸戦条約には調印しておらず、兵士たちも捕虜の扱い方について、平時からきちんとした指導や通達を受けていなかった。世界各国は日本の戦争行為を非難するようになります。そして、すでに国際連盟を脱退した日本は、抗弁する場を失っていました。

 当時、南京にいて生還出来た欧米ジャーナリストがこれを南京大虐殺として報じるようになりました。これが戦後、戦争犯罪者を裁く東京裁判南京事件に関する証人が多く出廷し、日本軍の蛮行を具体的に証言されました。その結果、松井石根A級戦犯として絞首刑となりました。

 日本人が南京大虐殺のことを初めて知ったのは、この東京裁判のときでした。戦前、皇軍天皇の軍)は正義の軍隊だと信じて疑わなかった国民はこうした蛮行に衝撃を覚えました。


 東京裁判で提出された記録によれば、南京陥落後の数日間の間に1万2000人の民間人が無差別に殺され、その後1カ月間に捕虜の2万人を含め、合計20万人以上が惨殺されたとされています。
 また、中国人女性2万人が日本兵によって強姦されたという。

 なお中国側は今現在、南京では30万人が殺害されたと主張しています。

 ところが近年、「南京大虐殺は存在しなかった」という主張をする人が現れるようになりました。

 どういうことなのでしょうか。

 問題の争点は殺された数と、殺された人々の身分です。

 大虐殺というが、中国が主張する30万人や東京裁判での20万人という膨大な数ではなく、多くてもせいぜい数万から数千程度であり、これは他の戦争でもあるような犠牲者数に過ぎないということです。

 あるいは、南京城内に限ってみると、数千という単位の大虐殺は行われていないとするものもある。

 続いて、殺された人々の身分や法や根拠に虐殺ではないとする論もある。

 例えば、戦闘員は殺しても虐殺とはいわない。さらに中国軍には民間人に紛れて戦うゲリラ隊(便衣兵)が多く参戦しており、これを区別することなど不可能だったので、避難民や市民にも手を加えてしまったのは、仕方がないことであり、虐殺ではないとする考え方である。

 それに数十万人が殺されたというのに、南京大虐殺のことに関して記した資料が日本側にはほとんど見つかっていない。軍中央が命令したという事実も見つかっていない。

 結局、南京における日本軍の略奪・暴行・虐殺行為はあったのでしょうか。

 結論から言うと、そういう行為はあったと考えてよいでしょう。

 当初、日本軍は上海で軍事行動は行い、その後に南京に向かう予定はありませんでした。

 ただでさえ物資の調達が滞りがちな日本においては、食糧は基本的に現地調達です。そのため、家や村を襲撃して食糧を調達していたことはほぼ間違いない。それに上海から南京までは300キロもある。

 満州国の建国以来、日本はその防衛のために兵員を大増員させています。そのため南京攻略の際には、大した訓練も受けていない統制の取れていない質の低い兵士も相対的に多くなった。

 大軍勢でかつ、質の低い兵士が多くなると、どうなるか。上官の命令が末端まで届きにくく、勝手な行動をとる人が多くなる。

 南京事件があったことは事実でも、どう考えてもおかしいと思うのは、その犠牲者の数です。

 数の問題ではないと言われれば、それまでですが、30万人はどう考えても誇張し過ぎている。

 そもそも南京の人口が20万人程度だし、日本軍は、大規模な空爆はおろか、機関銃すらも十分に装備していなかった。その状況下でわずか1カ月の間に30万人とはちょっと多すぎるのではないか。

 あの「広島の原爆」でさえ、犠牲者は20万人なのです。

 東京裁判の時は、20万人だったのが、広島での犠牲者が20万人という結果が出た途端、まるで後出しジャンケンのように30万人という数字をだしてきている事情もある。

 皆さんはどうお考えでしょうか。

 

 では、我々日本人は、戦争においては一方的な加害者だったのか。

 もちろん、そんなことはありません。東京大空襲では一晩で10万人が亡くなったのです。これは紛れもない事実です。

 フランクリン・ルーズベルトがどんな人か知っていますか。

 彼はヒトラーにも負けず劣らずの人種差別主義者で、日本人を人間とはみなしていなかった。トップがそうなのだからアメリカ国民もまたしかり。
 東京大空襲や広島の原爆は、東京大虐殺広島大虐殺という言い方も出来るのではないでしょうか。

 日本人も謝るばかりではなく、もっと訴えた方が良いのでは。

つづく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
本宮貴大でした。
それでは。
参考文献
ニュースがよくわかる 教養としての日本近現代史 河合敦=著 祥伝社
今さら聞けない 日本の戦争の歴史 中村達彦=著  アルファポリス
子供たちに伝えたい 日本の戦争 皿木喜久=著  産経新聞出版
5つの戦争から読みとく 日本近現代史 山崎雅弘=著  ダイヤモンド社