【殖産興業】ブラック企業!?貧困女工が支えた日本の産業革命
こんにちは。本宮貴大です。
今回のテーマは「【殖産興業】ブラック企業!?貧困女工が支えた日本の産業革命」というお話です。
日本の産業革命は、日清戦争の前後で第一次と第二次に分けることが出来ます。産業革命とは、それまで職人が手で作っていたモノを、機械を使ってつくるようになったということですが、それによって安価な製品が大量につくられたことで大量生産大量消費社会に転換していき、その分、人々の生活は豊かになったのです。
第一次産業革命の特徴は、製糸業や紡績業などの軽工業が中心なのに対し、第二次産業革命の特徴は、製鉄所や石炭生産などの重工業が中心であることです。
ということで、今回は明治初期~明治前半に渡って起きた日本の第一次産業革命について解説していきたいと思います。前半記事は「産業革命が起きる過程」を、後半記事は「貧困女工の労働条件について」の2部構成になっています。
富国強兵の大前提である殖産興業政策に乗り出します。政府は民間に産業の手本を見せるために官営模範工場を建設。日本は製糸業や紡績業を中心に産業革命が起きました。
明治政府のスローガンには文明開化や富国強兵があり、それによって日本を欧米列強と肩を並べることでした。
明治初期の国際情勢は、イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの強大な列強諸国は中国などの東アジアの植民地化を推し進めており、その脅威は日本にも訪れるのではないかと危惧されていました。
富国強兵とは、読んで字のごとく、「国を富ませて、兵を強くする」という意味ですが、列強の脅威に晒されるなか、何とか欧米列強に対抗出来るたけの近代的な軍隊を組織し、軍事力を強化する必要がありました。
では、その大前提である「国を富ませる」にはどうしたら良いのでしょうか。それには、近代産業を国内に根付かせて経済を活性化させ、そこから吸い上げた財源をもとに強大な軍事力を創り出す必要があります。
そこで、明治政府は新たに殖産興業をスローガンとして掲げました。殖産興業とは、読んで字のごとく、「西洋の産業をそのまま日本に移殖してしまい、業(ビジネス)として興そう」という意味です。殖産興業は富国強兵の大前提となる大事な課題です。
明治政府は、経済大国の基盤である鉄道をはじめとした流通網・通信網などのインフラ整備に取り組みます。
1871(明治4)年、ヨーロッパの郵便制度を学んだ前島密(まえじまひそか)によって、郵便制度が始まります。
1872(明治5)年には、日本初の鉄道建設が行われます。お雇い外国人として来日したエドモント・モレル(イギリス)の突貫工事により、新橋―横浜間に日本初の鉄道が開通しました。
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電信も1869(明治2)年に東京・横浜に早くも電信線が引かれたのをきっかけに、全国に広がります。そして1871年には上海(シャンハイ)・長崎間に海底電線も引かれました。
こうして、郵便、鉄道、電信は数年の間に急速に延伸していきました。
さぁ、いよいよ日本の産業革命の始まりです。
「おい、サンギョウってなんだ?」
「サンギョウ?しらねーよ。でも最近、流行っている職業らしいね」
「おらたち、畑仕事しかしたことねーから想像もつからねぇな」
「分からねーからやりようがねぇよな」
どうやら、今まで農業に従事していた大半の民間人に対して、政府は一度、手本を見せないといけないようですね。
そこで、政府は西洋の最新鋭の機械設備や、優れた外国人技術者を雇い入れ、近代工場のモデルである官営模範工場の建設を計画します。
喩えるなら、政府が「親」、民間が「子」となって取り組んでいく政府主導の国策であり、今後、求人倍率は急上昇していきます。
しかし・・・・その前にお金の問題があります。これらを実行するにはどうしてもお金がかかります。
政府の収入(歳入)源は、もちろん税金です。政府は安定的な税収入確保のために1873(明治6)年、地租改正という抜本的な税制改革に乗り出します。(詳しくは以下のリンクから)
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さぁ、抜本的な税制改革によって政府の財源の基礎がしっかり固まりました。政府は工部卿・伊藤博文、内務卿・大久保利通、国家財政を担当する大蔵卿・大隈重信が中心となって、殖産興業に乗り出します。
当時、日本の主力製品であった生糸(きいと)を作る製紙業は、江戸時代以来の座繰(ざぐり)製糸という手作業からフランス製の機械などによる器械製糸に転換します。政府は民間へのモデルとして官営模範工場を各地に建設していきます。
その代表ともいうべきは1872(明治5)年に開業した群馬県の富岡製糸場でしょう。近年、世界遺産にも登録されたので、ご存じの方も多いことでしょう。富岡製糸場は器械以外にも、工場の建屋(たてや)がフランス積みのレンガ造りで建築されているなどフランスの技術がふんだんに取り入れられています。
政府は大臣並みの給料でフランス人技師を招きいれ、日本の技術者育成に尽力していきます。
さらに、1877年の西南戦争のさなか、政府の手で、技術改良などを奨励した第一回内国勧業博覧会が東京の上野で開かれます。
このような政府が興した産業は、やがて民間企業に受け継がれていきます。民間には薩長土肥の藩閥出身の商人がコネで参加します。例えば土佐出身で三菱の創業者である岩崎弥太郎や、薩摩出身の五代友厚などは政府の保護政策のもとで大きくなった商人であり、政商とよびます。
綿糸(めんし)を作る紡績業は、江戸時代以来、手紡(てつむぎ)という生産方式から器械を使った大工場での生産に切り替えるため、政商である渋沢栄一が1882(明治15)年に大阪紡績会社を設立、イギリス製の機械などを導入して経営を見事成功に導きます。これを先駆に日本の紡績業は大きな成長を遂げます。
日本の第一次産業革命は、軽工業の発達を達成しました。しかし、それは貧困工女(こうじょ)の過酷な労働の上に成り立っていたのです。
政府が「親」、「民間」が子となって、取り組んできた産業育成が功を奏し、1880年代後半、製糸や綿糸などの軽工業が著しい発達を遂げます。
輸出産業においては、製糸業が最も多く占め、主力製品の生糸とともに良質な綿糸や綿織物もアメリカや中国に大量に輸出することができました。日本製品が人気だったのは、質の良さだけではありません。価格が激安だったのです。
なぜ、安く作ることが出来たのでしょうか。
それは低賃金で雇われた工女達による過酷な労働の上に成り立っていたからです。製糸場や紡績場の従業員は、日本各地から集められた工女達で、10代~20代前半の若い女性ばかりでした。
彼女達は自ら望んで労働者になったのではありません。士族(武士)の給料であった家禄が徐々に廃止され、生活苦に陥った武士の娘や、地租改正などの税制改革によって負担が増え、生活苦に陥った農家の娘などが、口減らしのために、親から身売り同然に家を出されたのです。彼女達は、国家の政策によって貧困層に転落した武士や農民の子供だったのです。
気になるのは、その労働条件ですが、官営と民間では雲泥の差があったようです。
官営の富岡製糸場でも、工女という貧困女性が働いていました。給料こそ安いものの、毎日7~8時間程度の勤務で、週6日、日曜休みの当時としては理想的な労働条件でした。また、福利厚生も意外に完備されていて、体調を崩したり、病気になったりした従業員は、敷地内の専属医師の診察と薬の処方を受けることが出来ました。それらは全て工場が負担です。風呂も、当時には珍しく毎日入ることが出来ました。
官営模範工場の場合、第一の目的は、民間に模範を示すことなので、理想的な労働環境である必要があったのです。
悲惨なのは、民間の工場です。
第一の目的が利潤追求になったことで、最小の経費で最大の利益獲得が求められました。そのため、労働条件は安い給料なだけでなく、昼夜2交替制の1日12時間労働。そう、24時間稼働なのです。繁忙期には人手不足なため、1日中働かされることもあったそうです。
安い給料で保険制度も未整備の当時、体調を崩しても医者にかかることが出来ず、結核などの病に侵され、亡くなる女性も少なくなかったようです。銭湯も数日に一度しか行けず、イモ洗い状態の湯船に浸かる程度でした。
1880年代後半は、このような労働条件に不満を持った工女達によるストライキが起きたりしていました。
このように日本の産業革命は、工女達の低賃金・長時間労働が支えていたのです。
日本は今後、本格的な資本主義社会へと突入していきますが、このような、労働者には恩恵が行かず、資本家や富裕層ばかりが、その恩恵を搾取する資本主義の構造を批判する気運が1890年代以降、高まってきます。それが社会主義を謳った労働運動へと繋がっていくのでした。
それにしても、国の基幹産業であるはずの製糸業や紡績業の従業員の給料はなぜ安かったのでしょうか。この原因もやはり日本国がつくっていました。1881年に大蔵卿(のち大臣)に就任した松方正義による強引なデフレーション政策により、お金の価値が暴落したことが原因でした。
ということで、次は、松方正義のデフレ政策について紹介していこうと思います。
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以上
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
教科書よりやさしい日本史 石川晶康=著 旺文社
もういちど読む山川日本近代史 鳴海靖=著 山川出版社
ニュースがよくわかる 教養としての日本近現代史 河合敦=著 祥伝社
https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index05.html