日本史はストーリーで覚える!

日本史を好きになるブログ

【八百万の神々】古代日本人の信仰と願いとは?

こんにちは。本宮貴大です。

この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。

今回のテーマは「【八百万の神々】古代日本人の信仰と願いとは?」というお話です。

古代の日本人は、豊かな自然に囲まれるなかで、自然の不可思議さや霊妙さを感じ、全ての自然の中に精霊や神が宿っているとするアニミズムを信仰していました。

 日本は明瞭な四季の変化があり、美しい自然に囲まれた国です。春には桜が咲き、秋には紅葉が深まるなど、自然の景観は四季折々に表情を変え、現代の日本人に感動を与えます。

 また、そんな自然の中に身を置くと、どこか心地よい感情が湧きあがってきます。

 例えば、森林の中に身を置いたときに、どこか「ひんやり」とした心地よさを感じます。それは言葉では言い表せない感動です。

日本人なら誰でもそんな癒しを感じたことがあるのではないでしょうか。

おそらく、古代の日本人もこうした自然の不可思議さや霊妙さを感じていたのでしょう。

 したがって、古代の日本人は、豊かな自然に囲まれる中で、山や川、樹木などのあらゆる自然物に精霊、あるいは神が宿っていると信じていました。

 例えば、山には山の神様が、川には川の神様が、畑には畑の神様が、さらには米粒の中にさえも神様が宿っていると信じていました。したがって、豊作となれば、人々は手を合わせ、神に感謝の意を示したのです。

 この信仰をアニミズムといいます。

アニミズム」とは、「霊魂」を意味するラテン語の「アニマ」を語源としたもので、精霊信仰という意味です。これは縄文人の基本的な思想です。

 また、日本人が神としてあがめたのは自然物だけではありません。刀や鏡などの人工物、さらには死んだ近親者など、あらゆるものに神が宿っているとしてあがめられた。

 

 江戸時代の国学者本居宣長によれば、古代日本人は「世の常ならず、すぐれたることのありて可畏(かしこ)きもの」を神と見なしました。

 つまり、この世のものとは思われないほど不可思議で、畏れ多いものが神としてあがめられたのです。

 このような多くの神々のことを総称して八百万の神といいます。

自然は恵みをもたらすと同時に災いももたらします。弥生時代以降、古代の日本人は支配者(為政者)を中心に、祭りを通じて祈りをささげることで、自然の恵みを祈願しました。

 古代日本の祭祀は、ムラやクニの支配者がとり行いました。

 八百万の神々は、豊作などの人々に恵をもたらしますが、同時に災害などの災いももたらします。例えば、川の神様は、人々に‘命の水‘を授ける一方で、氾濫などの災害をもたらします。

 このため人々は神を祀る祭祀を行い、神に祈ることで災いを免れ、豊かな恵みがもたらされることを祈願しました。これが祭りの起源です。

 弥生時代になって米作りが普及すると、収穫の豊作、不作などを占う宗教的な権威をもつ指導者が現れました。つまり、霊を呼び寄せることの出来る呪術的な指導者(シャーマン・巫女)が中心となって祭りがとり行われるようになったのです。この代表的な人物が邪馬台国の女王・卑弥呼ですが、シャーマン(巫女)が自然の精霊と交信することで、自然の恵みを呼び寄せることを意図したのです。こうした呪術的・宗教的な考え方をシャーマニズムといいます。

 古墳時代になると、大王(のちの天皇)や豪族などのクニの支配者が中心となって祭祀をとり行いました。これを政治と祭祀の一体化(祭政一致)と呼び、米作りなどに伴う儀礼として、春の初めに豊作を祈る祈年の祭や秋に収穫を感謝する新嘗の祭りが始まりました。固有の信仰を形で表す神社も成立し、社が築かれました。

 

 このように古代日本人は、多くの神々に囲まれて生活していることを信じていました。

 それは現代の日本人の思想にも根深く残っています。例えば、「便所の神様」とか「台所の神様」、さらには「お天とさんが見ている」などという言葉もありますが、それらはこの八百万の神が由来しています。

 また、現代では政治と宗教は分離して考えるのが、原則ですが、古代の日本では、政治と宗教(祭祀)は一体となっており、豊かな生活は、神様のおかげであるという考え方が根本にありました。

以上。

 

参考文献

聞くだけ倫理               三平えり子=著 Gakken

アナウンサーが読む 詳説 山川日本史   笹山晴生 佐藤信 五味文彦他 山川出版社