【北一輝】二・二六事件に影響を与えた思想家
こんにちは。本宮貴大です。
この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。
今回のテーマは「【北一輝】二・二六事件に影響を与えた思想家」というお話です。
1936(昭和11)年2月26日未明、陸軍の青年将校が約1400人の兵士を率いてクーデターを起こしました。
彼ら青年将校は皇道派とよばれ、派閥闘争に敗れた憂さ晴らしのために、永田町の首相官邸や警視庁などを襲撃、内大臣の斎藤実(さいとうまこと)、大蔵大臣の高橋是清(たかはしこれきよ)などを殺害しました。いわゆる二・二六事件です。
結局、クーデターは失敗に終わりましたが、この反乱軍には黒幕がいました。今回は、その黒幕である北一輝という人物とその思想についてご紹介したいと思います。
北一輝は当初、国民の意識(ナショナリズム)の高まりによってファシズムは完成すると主張していました。しかし、中国での辛亥革命に参加後に著した『日本改造法案大綱』では武力革命(クーデター)が必要であると主張しました。
北一輝は、1883(明治16)年4月3日に新潟県佐渡島に生まれました。
佐渡島は、奈良時代から時の権力者に反抗し、敗北した者が島流しにされる島でした。
その影響からか、西洋の自由思想も早くから入ってきたし、明治初期の自由民権運動も盛況を極めました。
その影響からか、北は若いときから社会主義運動に強い関心を示していました。
1907(明治40)年、23歳になった北は上京し、上野にある帝国図書館(当時)にこもって『国体論及び純正社会主義』という本を書きました。原稿は2000枚以上にもなり、本のページ数も1000ページに及びました。
この本の中で、彼は資本主義を基盤にした当時の政府を徹底的に批判し、富裕層と貧乏人の格差のない社会主義こそが正しい国のあり方だと強調しています。
一方で、社会主義のような国家の存在を否定するアナーキズム(無政府主義)に対し、北は「国家のない社会などは存在しえない」と言い切っています。
マルクスは『資本論』の中で「社会主義をつくるのは、資本家や経営者との戦い、つまり、革命が必要である」と主張しました。
しかし、北は「革命は必要なく、国民の意識(ナショナリズム)の高まりによって社会主義のような平等国家が生まれる」としました。
また、大日本帝国憲法においても北は批判しています。
大日本帝国憲法では、主権は天皇にあるとされていますが、北は「主権は天皇ではなく、国家にある」としました。
北によると、天皇は国家に対し責任と義務を持ち、国民も国家に対し責任と義務を持つ。つまり、天皇も国民も国家の前には平等なのだというのです。
天皇は、平安時代の昔から貴族や武士、源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった権力者に都合よく利用され、天皇と国民の関係にわりこみ、その権力をふるい、不平等社会をつくってきました。
明治維新は、天皇と国民を直接結びつける革命だったけれど、結局、明治政府という権力者が割り込んだことで、不平等社会が作られてしまいました。
さらに資本主義も発達してきたことで、資本家や経営者のような富裕層まで出てきてしまった。
これでは江戸時代と本質的には何も変わっていません。
したがって、貴族や政治家、資本家などの富裕層を追い払い、天皇と国民が直結する平等国家を実現しなければならないとしました。
1911(明治44)年、30歳になった北は、中国で起きた辛亥革命に異常な興味を示し、実際に中国に渡りました。
辛亥革命とは、孫文が起こした反乱をきっかけに、清朝が倒され、孫文が臨時大総統になり、中華民国が発足された革命です。
こうした辛亥革命の成功に強い影響を受けた北の思想は大きく変わりました。
帰国した北は1919(大正8)年に『日本改造法案大綱』を著しました。
そこには、天皇と国民の間に入って関係を切り裂いている富裕層や貴族階級、政治家などを取り除くためには、武力革命(クーデター)による国家改造が必要であると書かれていました。
これによって天皇と国民が直結され、富の平等化や対外戦争によって獲得した植民地の分配が達成されると主張したのです。
この本の内容は陸軍の皇道派とよばれる20代の青年将校達に強い影響を及ぼしました。
彼らが指揮する兵士達は、恐慌によって疲弊した農村の出身者たちでした。北は門下の西田税(にしだみつぎ)を通じて青年将校達と連携を深めていきました。
そして、1936(昭和11)年2月26日、陸軍の青年将校たち(皇道派)が軍事政権樹立を目指して首相官邸などを占拠しました。この事件で、高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣らが殺されましたが、昭和天皇は強い不快感を示し、彼らを反乱軍として鎮圧することを指示し、間もなく反乱軍は降伏しました。
北と西田も逮捕され、弁明の機会を与えられずに裁かれました。
「北、西田は死刑に処す。」
北は青年将校の反乱について問われた際、こう答えました。
「あれは反乱軍ではなく、正義軍とも呼ぶべきでしょう。」
と評し、全く反省の意を示さなかったようです。
参考文献
学校が教えない ほんとうの政治の話 斎藤美奈子=著 ちくまプリマ新書
ホントはこうだった日本現代史1 田原総一郎=著 ポプラ社
「昭和」を変えた重大事件 太平洋戦争研究会=編著 世界文化社
教科書よりやさしい日本史 石川晶康=著 旺文社