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【コペルニクス】天動説から地動説へ(前篇)

 こんにちは。本宮貴大です。

 今回のテーマは「【コペルニクス】天動説から地動説へ(前篇)」というお話です。

ルネサンス期は天文学も発展した時代です。まず、トスカネリが地球球体説を提唱し、大航海時代へと発展。続いてコペルニクスが地動説を提唱。さらにガリレオが地動説を実証。そしてケプラーが惑星運動の法則を発見しました。

 

 15世紀~16世紀、日本では1467年の応仁の乱をきっかけに戦国時代が到来し、人々が熱狂していた頃、西洋ではイタリア(フィレンチェ)ルネサンスの時代が到来し、その気運はヨーロッパ各地に広がっていました。

 

 2世紀頃、プトレマイオスは天動説を確立させました。天動説とは、地球を中心に太陽や他の惑星が回っているという考えで、地球は動かず、天が動いているという意味です。どの星も同じ形の軌跡を描き、完全な円運動をしているとも考えられていました。

 

 この天動説は中世ヨーロッパのキリスト教の思想と一致し、天には神の国が存在すると千数百年に渡って信じられてきました。

 

 しかし、ルネサンス期に入り、神の束縛から解放されると、神の思想という先入観を取り払い、人間自身の感覚や理性で自然をとらえ直そうとする気運が高まってきました。つまり、人が目で見て、耳で聞いて、手で触わってみて、論理的に合理的に考察してみるということです。

 

 そんな中、天文学は大きく発展します。フィレンチェの天文学者トスカネリ(1397~1482)は「地球は平面である」という従来の常識を覆し、「地球は球体である」という新しい仮説をたてました。これが地球球体説です。この説を信じたスペインの探検家・コロンブスは1492年、西廻りでアジアに向かいます。大航海時代のはじまりです。

(ここでの西廻りとは、ヨーロッパから見て西側へ向かって航海することを指す。)

 

 一方、この地球球体説から地動説を提唱する人物が現れました・・・。

ということで、今回から前半後半に渡って3人の学者をご紹介します。コペルニクスガリレオケプラーです。

  今回はポーランド人の天文学者コペルニクス(1473~1543)の思想についてです。

 コペルニクスは「地球は動かない」という当時の常識を覆し、「地球は動いている」という地動説を提唱します。

 彼は、太陽を中心に回っている惑星感に共通の事柄があることを見つけ、太陽から各惑星までの距離の比を求めることが出来、具体的な太陽系のイメージを明らかにしました。

 すなわち、地球を中心に太陽や他の惑星が回っているのではなく、太陽を中心に地球や他の惑星が回っていると考えたのです。コペルニクスは「自然の法則は非常にシンプルだ」という美学を持っていました。

 

 しかし、地球も他の惑星に過ぎないという考えは、神々の住む天上界と地上界の区別が出来なくなってしまうことや科学的根拠に乏しかったため、当時の人々には受け入れられませんでした。

 当時、このような非常識な説を唱える者は弾圧の対象になりますが、幸い、コペルニクスは自分の死後、地動説を出版しているため、弾圧の対象にはなりませんでした。同じように地動説を提唱したジョルダーノ=ブルーノは火刑となりました。

 先述のように中世ヨーロッパでは天上界が存在し、そこには神の国があると信じられていました。

「人間はなぜ存在するのか。」

「動物はなぜ存在するのか。」

「自然はなぜ存在するのか。」

 これらの答えは全て神のみが知っており、神が何かしらの意図を持って創造したと考えられていたのです。

 しかし、この地動説のような新しい自然の捉え方に触発され、「何のために存在しているか」という姿勢から「どのように存在しているか」という関心から自然を見直そうとする物理学者が現れました。それがガリレオです。

 こうして観察や実験を通じ、論理的な思考で考察し、新しい学問の土台を創ろうとする気運がさらに高まったのでした。

つづく。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

図解雑学 物理の法則 井田屋文夫=著 ナツメ社