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【社会契約説】なぜルソーの思想は過激と言われているのか

 こんにちは。本宮貴大です。

 今回のテーマは「【社会契約説】なぜルソーの思想は過激と言われているのか」というお話です。

 

 今回の主人公は社会契約説の3人目であるフランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソー(1715~1778)です。

 今回もストーリーを展開しながら、解説をしていきたいと思います。

 

 本題に入る前に社会契約説における前提知識を復習しておきます。

 私達は一人で生きていくことは出来ません。

 そこで人々は社会を形成し、みんながそれぞれの役割分担をするようになりました。しかし、社会を作った以上、集団生活となるため、必要最低限のルールや決まりを守らなければいけません。このような人間が生きていく上で必要最低限のルールや決まり、法律のことを自然法と言います。

同時に人間には以下のような欲求があります。

「安心して暮らしたい」

「自由に物事を決めたい」

「豊かに暮らしたい」

「自分の財産を守りたい」

 生命、自由、平等、財産などの人間が生まれながらに持っている欲求を自然権と言います。

 社会はこの自然法自然権を人々に保証するために形成されました。これが社会契約説の基本的な考えです。

この自然法自然権を前提知識として覚えておいてください。

 

 1715年、時計職人の子として生まれたルソーですが、母親はすぐに死んでしまいます。父と兄は犬猿の仲で、貧しい家庭であり、ルソーは不遇な少年時代を過ごします。様々な職業に就くも、どれも長続きせず、浮浪児となってしまいます。

 そんな中、フランスの上流階級の夫人に保護され、独学で哲学や文学、歴史、音楽などを学びます。38歳の時に当選した懸賞論文がきっかけで思想家デビューを果たします。ただ、その後もサロンを経営する上流階級の夫人達を渡り歩き、困ったら得意の音楽で身を立てたりしながら執筆活動に励みます。

 

 今回紹介する思想はルソーが1762年に刊行した『社会契約論』の中で述べられているものです。ルソーの社会契約とはどんなものなのでしょう。

 ルソーの思想は、かなり独特で過激な思想だと言われています。これは不遇な少年時代を送った彼ならではの思想なのでしょう。文明社会の悪徳や不平等を痛烈に批判しています。

 

 ルソーと言えば、有名な言葉で「自然に還れ」というものがあります。これは文明社会を否定し、太古の昔に実現していたような平等や愛によってもたらされた人々の幸福を願った考えからきています。

 太古の昔、人類はみんなでマンモスを狩り、みんなでその肉を分け合っていた時代は、差別や搾取などなく、みんなが平等で愛や平和が実現していたと言います。

  つまり、人間は本質的に善であり、素朴な自己愛と他者に対する思いやりの情が備わっているということです。

 

 ところが、文明社会への移行に伴い、人々は悪徳や不平等、競争や嫉妬などによってゆがめられた状態へと堕落したと

 例えば、土地の私有化です。

「ここは私の土地だ。勝手に入るな。出ていけ。」

 私自信も子供の頃、近所のカミナリオジサンから怒られたことがあります。しかし、「地球はみんなのものなのに、なんで私有地なんてものが存在しているのだろう」と子供ながらに考えていました。

 

 ルソーによると、このような土地の私有化とそれを法律で固定化(合法化)したことで、社会的な不平等を生み出したと主張しています。文明社会への移行は、本来自由で平等であるはずの人間を「鉄鎖」につないでしまい、平等や愛による幸福が失われた堕落であると。

 

 そこで、ルソーは人間本来の自由回復のため、新しい原理に基づく社会契約説を唱えました。

 さぁ、「契約」という言葉が出てきました。誰と誰が契約しているのでしょうか。

 国民と国民です。国民同士が互いに契約しているのです。

 なぜ国民同士が契約を結んでいるのでしょうか。またどのような契約を結んでいるのでしょうか。

 社会とは人々の「一般意志」を表すものでなければならず、それは国家や国民に権利を譲渡したり、代表者を決めて政治を行う間接民主制では実現出来ないとしました。

 一般意志とは何でしょうか。

 一般意志とは公共の利益を目指す考えのことで、対義語は特殊意志と言い、私益を目指す考えのことを指します。

 例えば、先程のカミナリオジサンの場合、自分の土地を私益目的で、スーパーやコンビニを経営するのではなく、公共の利益のために公園や老人ホームを造らなくてはならないのです。

 

 人々は私利私欲を放棄し、共同体の一般意志に全面的に服従しなくてはならないのです。

 そして、この国家は一般意志に従って、統治しなければならないのです。

 いかがでしょうか。かなり過激なものだと思います。

 ルソーの気持ちはわかります。彼は不遇な少年時代を過ごしたことで、社会の不平等や競争、嫉妬などに不満や違和感を感じていたのでしょう。

 しかし、実現は現代でも不可能です。

 人間には一般意志と特殊意志が混ざり合っており、そこから一般意志だけを取り出すことが出来ないのです。人間には他人の幸せを願う一方で、自分の欲を満たしたいとも思っています。

 さらに官僚側も、公共の利益だけを目的に政治運営することも不可能です。公務員の方々だって、賞与は欲しいし、歳出削減の為に賞与は我慢なんて出来ないでしょう。

 

 ルソーは人々から一般意志だけを取りだすためには、間接民主制のような代義士による政治では実現しえないので、国民全員が法律の制定や審議、採決に参加出来る直接民主制を唱えています。

 直接民主制に関してはインターネットが普及した現在では可能なのではないかと思う人もいるみたいですが、不可能です。物理的には可能でも、実現は無理でしょう。

多数決になると、どうしても大衆側が有利になるので、逆に官僚側にとって厳しい法律や制度ばかり出来てしまいます。そうなると官僚希望者がいなくなって社会が機能しなくなってしまいます。

 

 以上のことから彼の思想はユートピア幻想であり、実現するのはかなり難しいでしょう。

 しかし、このフィクションが1789年に起きるフランス革命に大きな影響を与えます。当時としては画期的な直接民主制を唱える彼の思想はフランス革命の中でも過激派であるジャコバン派に大きな影響を与えました。

 そう、フィクションが現実化してしまったのです。いつも私が主張しているような時代が思想を生むのではなく、思想が時代を生んでしまったのです。したがって、ルソーの思想は危険思想というレッテルを貼られたのです。

 

  フランス革命によって絶対王政は打倒され、共和制が誕生するわけですが、その20年後にはナポレオンという強力な支配者が登場します。やはり人々には強いリーダーが必要ということですね。

 以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

すっきりわかる!超解「哲学名著」事典     小川仁志=著 PHP文庫

図解雑学 哲学                貫成人=著  ナツメ社

考える力が身につく 哲学入門         畠山創=著  新潮新書

世界のエリートが学んでいる 教養としての哲学 小川仁志=著 PHP