【方丈記】鴨長明が説いた無常観とは【鴨長明】
こんにちは。本宮 貴大です。
今回は「【方丈記】鴨長明が説いた無常観とは【鴨長明】」というテーマでお伝えしたいと思います。
鎌倉時代にはじまる中世文学のキーワードといえるのが「無常観」です。この語を理解しておくことで、日本の中世文学について、とてもわかりやすくなるので、しっかりと押さえおきましょう。
「無常観」とは、もともとは仏教の考えで、あらゆるものは絶えず変化しており、少しも元のまま留まることがないという考え方のこと。
中世の文学で「無常観」の双璧と言えば『方丈記』と『徒然草』です。
ということで、今回は『方丈記』の特徴と文学的価値を解説したいと思います。
『方丈記』の筆者は平安時代末期~鎌倉時代の随筆家であり、歌人でもある鴨長明です。
鴨長明は1155年、京都の下鴨神社の神官・鴨長継(ながつぐ)の次男として生まれました。幼い頃から父の後継者になるべく教育を受けるも、18歳のときに父と死別すると、同族一門の策略により、つまはじきにされてしまいます。
世の中が武家勢力の台頭と源氏と平氏の勢力抗争が続く激動の時代の中、長明はもっぱら和歌と琵琶に打ち込むようになりました。
そんな長明が47歳のとき、その才能を見込んだ後鳥羽上皇は、長明を和歌所に取り立てただけではなく、欠員となっていた神官の職に推薦しました。しかし、同族一門の反対によって長明は神官職に返り咲くことは出来ず、これに酷く落胆した長明は和歌所も辞め、52歳で出家して僧となりました。
全てを捨てた長明は京都郊外の日野(京都市伏見区)に隠棲し、方丈(3m四方)の広さの庵(粗末な小屋)をかまえ、自分の生涯に起こった様々な出来事を省みて1212年に『方丈記』を著しました。
そこには長明が若い頃に経験した度重なる天変地異と、自分の住まいも頼りにならないといった「無常観」が語られていました。この「無常観」が『方丈記』の中心テーマでもあります。
『方丈記』は京都を襲った災厄を描いた前半部分と、草庵での暮らしを述べた後半部分に大別することが出来ます。対句や比喩が多用され、簡潔でリズミカルな文章で、特に前半の災厄の描写はリアルで印象深い。
前半(五つの災厄)
冒頭は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。(流れゆく河の流れは絶えることなく、なおそのうえもとの水ではない。)」から始まります。
これに続いて長明が若い頃に経験した五つの災厄が述べられています。
- 安元の大火
- 治承の辻風
- 福原遷都
- 養和の飢饉
- 元暦の大地震
以上、京を襲った災厄とその惨状を目の当たりにした長明が、物事は絶えず変化して、永久不変なものは何もないという「無常」を訴えています。
後半(方丈の庵)
後半では、世の中の無常を嘆き、世俗を離れて自由に生きることを選択した長明が、自分の家系や生活環境について語り、庵の様子なども詳しく述べられています。
『方丈記』は隠者となった長明が自身の内面を見つめた具体的な文章も特徴で「自己凝視の文学」の代表作とも言われています。
これこそ、『方丈記』の文学的価値と言えるでしょう。
以上、今回は方丈記を解説しました。
つづく。
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
中学 見て学ぶ 国語 受験研究社