【徒然草】吉田兼好の説いた無常観とは【吉田兼好】
こんにちは。本宮 貴大です。
今回は「【徒然草】吉田兼好の説いた無常観とは【吉田兼好】」というテーマでお伝えしたいと思います。
日本文学の三大随筆といえば、平安時代に清少納言によって書かれた『枕草子』、鎌倉時代に鴨長明によって書かれた『方丈記』、そして南北朝期に吉田兼好によって書かれた『徒然草』の3つです。
今回は『徒然草』の特徴と文学的価値を解説したいと思います。
鎌倉時代にはじまる中世文学のキーワードといえるのが「無常観」です。この語を理解しておくことで、日本の中世文学について、とてもわかりやすくなるので、しっかりと押さえおきましょう。
「無常観」とは、もともとは仏教の考えで、あらゆるものは絶えず変化しており、少しも元のまま留まることがないという考え方のこと。
中世の文学で「無常観」の双璧と言えば『方丈記』と『徒然草』なのです。
筆者の吉田兼好は、鎌倉時代末から南北朝時代のはじめの歌人・随筆家です。出家前の名前は、卜部兼好です。
兼好は、1283年に京都の吉田神社の神主をつとめる卜部家の子として生まれました。18歳で後二条天皇の蔵人として出仕したのをきっかけに、朝廷に仕える。しかし、後二条天皇が崩御された後に30歳で出家し、世の中のわずらわしさから逃れて京都の郊外(比叡山の横川など)で暮らし、仏道修行や和歌に励みました。出家後も武家や貴族など幅広い交遊を持ち、和歌は二条為世に学び、二条派四天王(4人の優れた歌人)の1人にも数えられ、勅撰和歌集にも入集されました。1331年に『徒然草』を著しました。
『徒然草』は2巻からなる随筆集で、題名は「つれづれなるままに、日くらし・・・」で始まる冒頭の言葉からつけられたものです。
原文・・・・つれづれなるままに、日くらし、硯(すずり)に向かって、心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつければ、あやしうこそもの狂ほしけれ。
現代語訳・・・することもなく、日がな一日、硯に向かって、心にうかんでくるとりとめもないことを、書き記していると、みょうに気持ちが高ぶってじっとしていられなくなったなぁ。
清少納言の『枕草子』の形式にならって、長短さまざまな段で構成されており、兼好が心に浮かぶままに書き綴った文章が244段にまとめられています。その内容は人生や世の中について、見聞きしたことや逸話をまじえながら、仏教の思想や日本の古典の教養も加えて、仏教的無常観、人生論、人間論、自然観、説話的なものなど多方面にわたっており、当時の一級文化人としての兼好の教養の高さがうかがえます。
兼好の筆を通して語られる何気ない話の中に、鎌倉時代末期の社会のようすや、世の中が大きく変わろうとする時代に生きた人々の姿がうつしだされており、歴史史料として大変貴重なものになっています。
それでは、大まかな内容について特に注目の章段を取り上げ、現代語で兼好の意見や感想、美意識などを考察していこうと思います。
仏教的無常観に関する章段(第百三十七段)
兼好は、目に見える美だけでなく、心でも情趣を味わおうとしました。満開の桜だけでなく、咲き始めや散った後の桜にも情趣を感じるなど、自然が移り変わる無常観そのものに美を見出しています。
人生や人間に関する章段(第百九段)
兼好は、現実の社会に生きる人々の言動を的確に描写し、批評しています。いつの時代も知識人は、大衆を見下す傾向があるようです。しかし、兼好は木登り名人の言葉に人生の真理や戒めに通じるものを感じ取るなど、長年の経験によって真理を体得している専門家に対する称賛を惜しんでいません。
人間に関する章段(第九二段)
また、ある弓の師匠が初心者に向けた言葉にも人生の真理を見出しています。
師匠は言いました。「初心者は、二本の矢を持ってはならない。二本目の矢を当てにして、一本目の矢をいい加減な気持ちが生じてしまう。」と。
兼好はこの言葉を引用して、「どのようなことでも、後があると思うと上達が遅れてしまう。人間は弓を射る瞬間の短い時間にさえも怠け心を持ってしまう。しかし、それをすぐに排除するのは難しい」としました。
それ以外にも兼好法師が残した言葉には、現代にも通じる言葉が数多くあります。いくつか紹介します。
世は定めなきこそいみじけれ
(この世は定まっていないからこそ、素晴らしい)(第七段)
命は人を待つものかは
(命は人を待ってはくれない)(第五九段)
第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし
(第一だということを心に決めて、そのほかは気持ちを捨てて、その一つのことだけを励むべきだ)(第一八八段)
このように兼好の説いた無常観は、『方丈記』で語られた無常観を、さらに深めて無常の美学として表現されているのが特徴です。この兼好の美意識は、「さび」の世界にも影響を与え、江戸時代には浄瑠璃や浮世草子にも影響を与えたと言われています。現代でも、小林秀雄氏が『無常といふ事』で扱っている古典論の要をなしている、とされています。
つづく。
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
中学 見て学ぶ 国語 受験研究社