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【弥生時代】弥生時代の大まかな流れをわかりやすく

こんにちは。本宮貴大です。
この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。
弥生時代を理解するうえで大事なキーワードは、稲作の伝来青銅器・鉄器の使用「くに」の形成、そして中国大陸への朝貢です。
そんな弥生時代は、前期・中期・後期に分けられます。

前期 2300年前~
中期 2100年~
後期 紀元後2~3世紀

 弥生時代前期は、朝鮮半島や中国大陸から稲作が九州北部に伝わったのをきっかけに、西日本を中心に列島に稲作が伝わりました。食料不足に悩まされていた西日本の縄文人にとって、稲作による安定した収穫は、大きな魅力でした。
(ちなみに縄文時代は、東日本で栄えていました。)
 稲作は、北海道と沖縄を除く全国に広がっていきます。北海道では、続縄文文化、沖縄などの西南諸島には貝塚文化という農耕を行わない食料採取生活を行う独自の文化が発達します。
 これによって人口が増えた西日本の縄文人たちは、新たな水田を求めて東へ東へと住む場所を広げていきました。
人々は水気の多い低湿地に水田をつくることが多かったようです。小さなむらが、平地のあちこちに出来るようになりました。

 弥生時代中期になると、用水路をつくり、やや高い土地にも水田をつくるようになりました。豊富な土地や水、収穫物をめぐって各地で争いも起こるようになりました。
 その結果、個々に出来ていた村が、しだいに統合されるようになったことで、「くに」が出現し、王が「くに」を治めるようになりました。「くに」の王は漢や魏など中華帝国の皇帝に貢物を持たせた使い(朝貢を出すようになります。
 青銅器や鉄器が大量に輸入されたり、作られたりするようになるのも、この頃です。

 弥生時代後期になると、土器の文様がなくなり、つくりも粗末なものになっています。
「くに」と「くに」の間で、大規模な争いが起こるようになりました。
青銅器や鉄器が人々の日常生活に普及するようになります。鉄は、石斧はほとんどなくなり、鉄斧が使われるようになりました。
青銅器は銅剣・銅矛・銅鏡・銅鐸などが、祭器として使われるようになります。

 さて、今回の記事のまとめに入ります。
 縄文時代から弥生時代への大きな変革は、稲作と金属器の伝来でした。稲作が伝来し、農耕が本格化したことで、農業に適した土地や水、農産物をめぐって各国が戦争を始めます。
 そのような争いを制していった強力な集落は、周辺の集落を統合し、王が治める政治的な「くに」が形成されます。その「くに」は、中華帝国の皇帝に朝貢を積極的に行います。

参考文献
日本の歴史 大昔の人々の暮らしと知恵  古川清行=著