なぜ自分には「才能」がないと感じるのか。
こんにちは。胆汁質タイプA クリエイターの本宮貴大です。
今回のテーマは「なぜ自分には「才能」がないと感じるのか。」というお話です。
この記事を最後まで読んで頂くと、あなたの才能を簡単に見つける方法が分かります。
なぜ私には「才能」がないと感じるのか。
それは才能の正しい意味を知らないからです。
才能の正しい意味とは一体何なのでしょうか。定義してみます。
才能とは、「自分は当たり前に出来る事なのに、なぜか他人には出来ないこと。」
これが「才能」です。
このように才能とは、イチロー選手や錦織圭選手のような飛び抜けたものではなく、他人と比べて、自分が出来る能力のことを言うのです。
いくつか例を上げましょう。
先述のように私は、胆汁質タイプAのクリエイターですので、アイディアはたくさん出せても、繰り返しの作業やルーティンワークのような単調な仕事は全く出来ません。途中で飽きてしまい、その結果、イージーミスが発生してしまいます。
ところが、世の中には、そのような単調な仕事を淡々とムラなくやり遂げてしまう人がいます。私にとっては、その人は「神」です。
さらに、私は以前、総合建設会社の現場監督(施工管理)をやっていましたが、この仕事は、施主や設計士、下請の職人達それぞれの意見を調整し、総意としてまとめ、工事を進行させていく仕事です。これは私、全く出来ませんでした。(笑)
ところが、コミュニケーション能力や統率力がある人は、これらの仕事をごく自然と出来てしまうのです。私にとっては、その人は「神」です。
もっと身近な例でいうと、私は、料理が全く出来ません。それこそ袋麺にお湯を注ぐくらいしか出来ません。(笑)本当です。ところが、冷蔵庫の余り物から何が作れるかを見極め、あっという間にチャーハンを作ってしまう人がいます。私にとっては、その人は「神」です。
これらは全てその人の「才能」になります。その人には当たり前のように出来るのに、なぜか私には全く出来ないからです。
しかし、その人達は、自分の才能には気づいていません。なぜかというと、自分は当たり前のように出来てしまい、それは他人も出来ると思い込んでいるからです。
ユダヤ系の哲学者であるエマニュエル・レヴィナスは、他者論の中で、「人間は無意識のうちに自分と他人を同化してしまう」と述べています。
つまり、人は「自分は○○だから他人も○○だろうと考えるのであり、自分は○○だけど、他人は△△だろう」とは考えないのです。
だから「私には才能がない」と感じてしまうのです。
しかし、それは間違いで、才能は誰の中にも必ず存在するのです。
では自分の才能を見つける方法とは何でしょう。非常に簡単です。
それは「人に聞いてみる」ということです。
「あなたから見て、私の優れているところ、ない?」と尋ねてみるのです。一時の恥ずかしい思いから一生の可能性が見つかるのです。
人は自分に出来ないことにばかり注目してしまいがちです。実は既に出来ているのです。
よく「自分探しの旅」に海外に出かける人がいますが、海外での刺激的な体験は出来ても自分自身がインドの片田舎に落ちているわけではないので、本来の目的を果たすことは出来ません。答えは「外」にはないです。答えはあなたの「内」にあるのです。
自分の内側にあるが故に、中々見つけにくいのです。
以上。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。