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【日米修好通商条約】これはひどい!領事裁判権を認めたことで白人無法地帯と化した日本

こんにちは。本宮貴大です。

今回のテーマは「【日米修好通商条約これはひどい領事裁判権を認めたことで白人無法地帯と化した日本」というお話です。

日米修好通商条約によって日本は領事裁判権を認めました。不平等な条約でしたが、日本人と白人の認識の違いから幕府はこの領事裁判権を不平等だとは知らずに結んでしまいます。その結果、日本は白人無法地帯と化します。白人にとって日本は植民地同然の国であり、そんな上下関係において正義など成立しなかったのです。

 

 日米修好通商条約の特に不平等な内容に関しては入試や学校のテストでは3~4点と配点が高いです。今回の記事でしっかり学びましょう。

 1858年に締結された日米修好通商条約の主な内容は以下の通りです。

・下田、箱館の他に、函館、新潟、神奈川、兵庫、長崎の5港を開港すること。

・開港場のアメリカ人の居住を認めること。

・日本とヨーロッパ諸国との間に紛争が起こった場合、アメリカが介入すること。

・アヘンの輸入を禁ずること

 

 さらに日米修好通商条約には不平等な条約も含まれていました。それらの主な内容は以下の通りです。

  1. アメリカの貨幣と日本貨幣を交換する時は日本の金銀比率に合わせること。
  2. アメリカ人が日本で犯した犯罪はアメリカの法律で裁くという領事裁判権を認めること
  3. 日本には関税自主権がないこと

 前回は不平等な条約の1を説明したので、今回は2の領事裁判権について述べていきたいと思います。

 

 「アメリカ人が日本で犯した犯罪はアメリカの法律で裁くという領事裁判権を認めること。」

 これは日本で罪を犯したアメリカ人を日本の法律に照らして裁くことが出来ず、裁判は全てアメリカの領事に任せなくてはいけないという決まりです。

 日本の学校ではこの条文を不平等条約だと説明しますが、これ以上踏み込んで説明することはありません。

しかし、この文だけでは、一体どの辺が不平等なのかわかりません。あまりにも言葉足らずです。

 領事裁判権を認めるとは別の表現では「治外法権を認める」ということになります。むしろこちらの表現の方が分かりやすいかも知れません。治外法権とは聞き慣れない言葉ですが、治外法権とはある国に滞在していながら、その国のルール(法律)に従わなくて良いという権利です。

 しかし、これが刑事裁判になると問題が大きくなり、地元国には裁判権がなく、母国の領事が母国の法律で裁くということになります。これの何が問題かというと、たとえば日本においては「明らかに死刑でしょ!」って思うような犯罪でも、フランスでは極刑は終身刑となるということです。

 本来、公正でなければならない法律が国によって異なるのは不平等だと思うのは当然ですよね。

 

 しかし、当時の日本では、この治外法権地域を認めたことによる問題はさらに深刻なものでした。ということで、今回のストーリーを始めます。

 

 アメリカ総領事、タウウンゼント・ハリス幕閣に対し、領事裁判権についてこのように提案しました。

「貴国の国民が悪いことをすれば、貴国の責任で彼らを裁く必要があります。私達も自国の国民が悪いことをすれば、私達の責任で彼らを罰さなければいけません。」

  幕閣達はこう考えました。

「国内で罪を犯した外国人を日本で裁判にかけるのは非常に面倒だ。」

「裁判において日本語の分からない外国人に手を焼く必要もなくなるのではないか。」

「外国人も日本人同様に処せられるのであれば、問題ない。」

 

 つまり、同じ罪に問われるのなら、日本人が裁こうが、外国人が裁こうが同じだ。むしろその方が効率的だ。といことで領事裁判権を認めることにしました。

 

 日米修好通商条約によって、以前は小さな漁村であった横浜は開港地となり、幕府は三井などの大商人を出店させ、横浜に出店する商人を募りました。応募数は幕府の予想を上回り、たくさんの豪商が横浜に出店しました。横浜は約150k㎡の治外法権地域が設置され、数百人の外国人が移り住み、住居や外国人兵士の兵舎の建設も始まりました。横浜港には何十隻の船が横付け出来るように埠頭(ふとう)が造られ、埠頭と岸には欧米から流入してくる商品を保管する大きな倉庫が建てられました。

 このように横浜は港町として開発され、白人がたくさん住む町となりました。しかし、治外法権地域となった横浜で白人はクズ同然の行為に出ます。

 

酔っ払って奇声を発しながら町を歩きまわる。

店に押し入り、あらゆるものを略奪。

通りで婦女を捕まえ、当然のように強姦する。

寺の柱には小便をかけ、金箔と仏像を強奪。

 

 江戸時代でこんな悪事を働けば、簡単に死罪となってしまいます。そう、治外法権区域外であれば・・・

このような明らかな犯罪行為に対し、各国の領事はせいぜい科料に処する程度で、数時間で釈放した。それどころか、彼らの商業活動を阻害するとして黙殺した。

治外法権内である以上、日本当局は手出しできず、倫理観の欠如した白人をただ茫然と見ているしかありませんでした。

 

 

 そんな中、治外法権区域外で日本当局によって罪を犯した白人が逮捕された。罪状は殺人。日本側は日本人犯罪者に対して行うのと同じように目撃者の証言から報告書を作成し、日米修好通商条約に基づき、白人を報告書とともに母国の領事に引き渡した。

 

 こんな明らかな有罪行為に対し、領事は証拠不十分として無罪判決を下した。それどころか、逮捕された白人はこのように述べた。

 「私は日本当局逮捕された。これは自由の剥奪行為ではないか。さらに銃器も一方的に取り上げられた。これは窃盗ではないか。」と

 領事は白人のこの証言を支持。日本当局に慰謝料と損害賠償を請求するという真逆の判決が下ってしまった。この問題は幕府側がしぶしぶ損害賠償請求を受け入れることで解決した。

 

 日本のそれまでの泰平の世は、メチャクチャにされた。治外法権地域は完全に白人無法地帯と化したのです。

 

 歴史研究家の中には日米修好通商条約について以下のように分析する人がいます。

「幕府はアメリカの軍事力に屈し、または清国のような列強の支配に苦しむのを避けるために、不平等な条約を結ばざるを得なかった。」と。

つまり幕府は不平等と知ってて通商条約締結をしたというのとです。

 

 果たしてこれは本当なのでしょうか。私には、これは結果論でしかなく、調べていくうちに幕府はむしろ条約締結するまでは、この条約が不平等条約だとは思いもよらなかったと思います。

 それに解せない点もあります。治外法権区域に対する日本側の対応がお粗末な点です。もし不平等な条約だと分かっていたのなら、もう少し厳重な警戒態勢を張ってても良かったのではないでしょうか。

 

 いつも言っていることですが、歴史は全て結果論になってしまい、どうしても批判的になってしまいます。

「歴史から学ぶ」とは、現在の学校の授業のように結果や手段だけをただ覚えるだけではダメです。その出来事の原因と目的を調べることで、出来事の本質を掴むことが出来、物事を分析する力を鍛えることが出来るのです。

結果よりも原因を。

手段よりも目的を。

結果だけを分析する人を評論家と言い、原因を分析する人を戦略家と言います。

結果ばかりを分析するようなもう評論家は要りません。これからは原因を分析出来る戦略家が活躍していく時代になります。

評論家から戦略家へ。

歴史を通じて訓練していきましょう。

 

話を戻します。幕府は知らなかったのです。

日本人と欧米人との間に認識の違いがあった。というか、そもそもの前提条件が異なっていました。

 

日本人の感覚で言ったら、「日本人が殺人を犯せば、死罪に処せられる。同様に外国人も殺人を犯せば、その国の領事によって、死罪に処せられる」。正義の基準は日本人も外国人も同じであり、両者は対等の関係。国は違っても、同じように裁かれるのは当然である。これが日本人の前提条件。

 

 これに対して、白人の感覚は日本人のそれとは全く異なる。

 彼らにとって、日本は植民地同然の国であり、対等などあり得ない。白人の中には宗主国と植民地国という絶対的な上下関係が生まれていたのです。

当時の世界は帝国主義の時代であり、列強諸国が武力をもって、植民地を開拓する時代。アメリカという新大陸は、もともと先住民が住んでいました。そこに白人が侵入し、先住民達を大量虐殺し、その領土を拡大させていきました。そんな白人と先住民との間に正義などというものは全く成立しないのです。

 

 宗主国の白人が植民地の日本で悪事を働こうが、同様の罪に問われることはない。

世界の主は白人であり、そんな自分達が世界の他のどの土地でも制約を受けることはないのだ。彼らが罪を認めることは絶対にない。

 彼らが植民地の先住民に対して罪を認めるということは、弱者に堕ちたことを意味します。それは同時に宗主国と植民地国の上下関係の崩壊することを意味します。この上下関係の崩壊を極端に恐れていたのです。だからこそ彼ら列強諸国はこれまで粘り強い戦いを世界中で行い、その地位を手にする努力をしてきたのです。

 

 しかし、日本人の感覚では、自分の罪を認めることは弱者の行いなんかではなく、むしろ強者の行いを意味するものであると白人は知らなかった。

 彼らにとって、日本は非キリスト教の国であり、有色人種であり、劣等民族の住む汚れた国なのだ。そんな国で高貴に振る舞う必要など皆無。日本という地は、欲望を素直に遠慮なく発揮出来る夢の楽園なのだ。この前提条件は 「通商条約」という名の「植民地条約」であったのです。

 次回は3の「関税自主権がないこと」について説明したいともいます。

以上。次回をお楽しみに。

本宮貴大でした。それでは。