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【日本ファシズム】日本の戦争悲劇を招いた超国家主義とは

 こんにちは。本宮貴大です。
 この度は記事を閲覧していただき、本当にありがとうございます。
 今回のテーマは「【日本ファシズム】日本の戦争悲劇を招いた超国家主義とは」というお話です。

 300人。
 これは第一次世界大戦における日本人の犠牲者数です。
 では、3,000,000人。
 これは第二次世界大戦および太平洋戦争における日本人の犠牲者数です。

 この地球上で起こる大惨事は、地震でも津波でも伝染病でもありません。戦争です。

 今回はそんな日本の戦争悲劇を引き起こした超国家主義ファシズム)という思想をご紹介していこうと思います。

 1930年代(昭和初期)に台頭した超国家主義について解説していこうと思います。
 超国家主義とは、国家主義が極端に強くなった思想ですが、まず国家主義とは何かを説明したいともいます。
 突然ですが、あなたに質問です。
 あなたは消費税が上がり、医療費の自己負担額も増えることに、賛成ですか?反対ですか?

「冗談じゃない。私達の生活がもっと苦しくなるじゃないか。絶対反対だ。」と思う方は、個人主義者です。

「私達の生活も大変だけど、国だって大変なんだよ。私達だって国にいろいろ要求しているんだから、仕方ないと思わないと。」と思う方は、国家主義全体主義)者です。

以下、両者の違いを表にまとめました。

個人主義 国家主義
人権を優先 国家を優先
自由や平等を重視 道徳や忠誠心を重視
左翼派 右翼派

 個人主義とは、個人の自由や平等、権利などを優先する考えで、明治時代にも自由民権運動として盛況を極めた思想で、左翼派とよばれています。
 対する国家主義とは、国家に最高の価値を置く考えで、国民たちに道徳や忠誠心を求め、右翼派とよばれています。
 超国家主義とは、そんな国家主義が極端になってしまった思想で、別名ファシズム、極右とも呼ばれています。
「道徳」とは、社会生活における規範や規律のことですが、超国家主義になると、それが度を越して「滅私奉公」となり、個人の権利や財産を全て国家に捧げるという思想になってしまいます。
 大事なのは、国家主義そのものが悪いわけではなく、それが極端になってしまうことが問題であることです。
 その結果、国家主義以外の全ての思想(社会主義個人主義自由主義・民主主義)は一切認められず、弾圧の対象となります。

 このような超国家主義の思想は、まず、ヨーロッパで起こりました。
 日本が満州事変を起こしていた1930年代、ヨーロッパでは、ファシズムとよばれる思想が台頭してきます。
 この背景にあったのは、世界恐慌でした。
 世界は1929(昭和4)年秋のアメリカに端を発した大恐慌にあえいでいたのです。
 イギリスやフランスは自国の有する広大な植民地を利用して市場経済をブロックすることで、大恐慌に対抗しました。
 しかし、植民を持たないドイツやイタリアは危機に陥りました。特にドイツは第一次世界大戦の敗北による超高額の賠償と重なり、大きな重圧になりました。
 恐慌とは、極端な不景気のことですが、消費が冷え込み、街には失業者があふれてしまう状態になってしまいました。
 そんな社会的・経済的危機に不安を覚えた民衆は強いリーダーシップを持った人物を求めるようになりました。
 それがアドルフ・ヒトラーを党首とするナチスだったのです。ヒトラーはこうした国民の不安や怒りを利用して、勢力を拡大し、1933(昭和8)年には内閣を成立、翌1944(昭和9)年には総統に就任しました。

 また、イタリアではすでに実権を握っていたベニート・ムッソリーニ率いるファシスタ党が現れ、植民地としてリビアへの侵攻に踏み切りました。
 彼らは国家が一致団結して対外戦争によって国土拡大や植民地獲得目指すという国家主義軍国主義を提唱しました。
 社会不安に襲われた民衆は、理性的な判断力を失い、戦争という誰がどう考えても最悪だと思われる手段が肯定されてしまうのです。
 それがファシズムが危険思想と見なされる最大の原因でしょう。


 そして、これと同じ思想が日本でも起こるようになってきました。
 世界恐慌の影響は日本にも波及し、人々はいたたまれない社会不安にあえいでいました(昭和恐慌)。
 
 それにも関わらず、政党内閣は具体的な対策を行わず、汚職がはびこる醜態をさらしていました(政治腐敗)。
 そんなとき、やはり日本でも強力なリーダーシップを持つ人物を求めるようになりました。
 それが軍部だったのです。
 軍部は政党内閣に代わって政権を握り、対外戦争による植民地獲得によって国力回復を図ることを決意。そして国家総動員としてのファシズム体制が徐々に確立されていきました。

 しかし、日本のファシズム体制は、ドイツやイタリアのそれとは大きく異なります。
 それはヒトラームッソリーニのような独裁者が現れなかったことです。日本は独裁者の存在を許さない国なのでしょうか。
 考えてみれば、日本は昔から大切なことはみんなで話し合って決めるという伝統があります。

 大和朝廷も重要な政策は、貴族が話し合って決定してきたし、中世の農村でも農民たちが「寄合(よりあい)」という組織をつくり様々な取り決めを行ってきました。
 また、鎌倉幕府評定衆という有力御家人が会議を開いて政治を運営していたし、江戸幕府も要職には複数人が当てられ、権力の分散が図られていました。
 ごくまれに、織田信長のような強力な支配者が現れることがありますが、だいたいが殺害という悲惨な最期を遂げています。

 戦前昭和の軍国主義の時代には、ヒトラーのような独裁者は現れませんでした。
 つまり、日本の戦時体制とはせいぜい軍国主義に過ぎず、政治体制としてのファシズムは成立しませんでした。
 議会(政党)の権限が弱体化こそしたものの、立憲政治が崩壊したわけではなく、大日本帝国憲法も改廃されませんでした。

 以上のことから、戦前昭和の超国家主義軍国主義ナチスドイツなどとは明らかに異質なもので、日本独自の「日本ファシズム」と呼ばれることが多いのです。


参考文献

学校が教えない ほんとうの政治の話  斎藤美奈子=著 ちくまプリマ新書
ホントはこうだった日本現代史1    田原総一郎=著 ポプラ社
「昭和」を変えた重大事件       太平洋戦争研究会=編著 世界文化社
教科書よりやさしい日本史       石川晶康=著   旺文社