【第一次世界大戦】なぜ100万人の犠牲者を出してしまったのか
こんにちは。本宮貴大です。
この度は、記事を閲覧して頂き、本当にありがとうございます。
今回のテーマは「【第一次世界大戦】なぜ100万人の犠牲者を出してしまったのか」というお話です。
20世紀初頭、人類史上初の世界大戦が勃発しました。第一次世界大戦です。この大戦の犠牲者は両軍合わせて100万人と言われています。これは人類史上類をみない勘大な被害です。第一次世界大戦はそれまでの戦争とどう違うのでしょうか。以下、表にまとめてみました。
19世紀までの戦争 |
20世紀からの戦争 |
短期決戦 |
長期戦 |
国力尽きるまで戦う |
|
専制国家に有利 |
民主国家に有利 |
国王のために戦争 |
国民のための戦争 |
戦略・戦術が勝敗を決める |
技術力・経済力が勝敗を決める |
今回は特に、表の中で技術力や経済力について解説していこうと思います。20世紀からの戦争は戦略や戦術よりも、その国の技術力や経済力などの国力が勝敗を分けるのです。
ということで、今回もストーリーを展開していきながら、第一次世界大戦とは、どのような戦争で、なぜそれほどまでに多くの犠牲者を出してしまったのかをみていくことにしましょう。
第一次世界大戦とは科学技術の「新兵器」が多数投入された戦争です。人々はその恩恵を享受する前に、とんでもない悲劇を経験したのです。両軍はともに戦況打破のために陸・空・海の戦いにおいて新兵器を投入。秒単位で兵隊や民間人が死ぬという人類史上類を見ない人的損害を被りました。
ライト兄弟をご存じでしょうか。
20世紀初頭のアメリカの技術者で、世界初の動力飛行を成功させた兄弟で、ウィルバー・ライトとオービル・ライトの2人です。
彼らは、自転車の技術者として動力技術の研究をしていました。
研究を続ける彼らは次第に
「自転車の動力技術を応用すれば、人間も鳥のように空が飛べるようになるんじゃないか」とムズムズした気持ちになってきました。
自転車と飛行機は接点が多く、彼らは当初、自転車に大きな翼を装着させて飛ぼうとしていました。
そんな中、1905年10月5日、ライト兄弟はアメリカ各新聞社に連絡しました。
「人を飛行機に乗せて空を飛んでみせる」
しかし、新聞社は全く相手にしません。
「有人飛行だと?また目立ちたがりの連中がいたもんだ。放っておけ、放っておけ」
「調べたら、彼らは大学にさえ行ってないそうじゃないか。肉体労働者の趣味に付き合っている暇はない。」
当時は「人は空を飛ぶことが出来ない」のが常識だったのです。それまで人類はたくさんの有人飛行実験をやってきましたが、全て失敗に終わっており、「人を飛行機に乗せて空を飛んでみせる」なんて非常識だったのです。
ライト兄弟は公開飛行実験を行いました。取材に来たのはニューヨークの新聞記者ただ一人でした。
その新聞記者でさえ、取材の真意はこうだ。
「有人飛行機で飛んだとか、飛んでみせるとかホラ吹きまくるこの兄弟のまやかしを、この目で確かめ、叩いてやる!」
しかし、その新聞記者の目の前で、ライト兄弟は実に滞空時間38分、45キロの距離を飛んでみせました。
記者は一転して感動的な原稿を社に送りました。
ライト兄弟は全世界で脚光を浴びるようになりました。
「人は空を飛べる。」
ライト兄弟それまでの常識を180度覆したのです。
ライト兄弟が動力実験を成功させた後、正統派エリート技術者達によって飛行技術の改良が進められていきました。
やがて飛行機ダンスがヨーロッパを中心に流行りました。
「飛行機が実用化されれば、移動時間を大幅に短縮できる。世界各国を気軽に旅行することが出来るのだ。そんな時代はそう遠くない。」
飛行機以外にも、多数の科学技術が開発され、ヨーロッパは科学の黄金時代を迎えました。
当時のヨーロッパの人々には、明るく豊かな未来が描いていたに違いありません。
この当時、ヨーロッパ人の中には誰も予想していませんでした。
ヨーロッパの人々が科学技術の恩恵を享受する前にとんでもない悲劇を経験することになるということを・・・・。
その悲劇とは・・・そう、戦争です。
ライト兄弟の公開飛行実験から約10年後の1914年6月28日、ボスニアの首都サラエヴォでセルビア人の青年将校により、オーストリアの帝位継承者が暗殺される事件が勃発しました。(サラエヴォ事件)。
間もなくオーストリアはセルビアに宣戦布告。この両国の対立に民族主義を掲げるロシアやドイツ、彼らと同盟関係や対立関係にある各国、さらにはその植民地などが参戦して、人類史上初の世界大戦へと発展していきました。第一次世界大戦の勃発です。
その対立構図は、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国を中心とする同盟国軍と、イギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国軍が戦う構図になりました。日本も日英同盟に基づいて連合国側で参戦しています。
ヨーロッパはその新兵器の実験場へと姿を変えていくのでした。
西部戦線ではドイツとフランスの戦いが繰り広げられました。また、ドイツはロシアにも進撃し、東部戦線でも戦うようになります。
西部戦線ではドイツはイギリス・フランス連合軍との戦いにおいて不利な状況に立たされ、撤退を余儀なくされました。
「これ以上の撤退は何としても食い止めたい」
追いつめられたドイツ軍は塹壕(ざんごう)を掘り始めました。
塹壕とは、ちょうど人が隠れることが出来るくらいの小さな掘(ほり)のことで、味方兵はここに姿を隠しつつ、敵兵を斉射することが出来ます。
塹壕側は身を隠せるのに、塹壕を持っていない兵は全身を晒すことになる。そのため、勘大な被害を被るのです。
対するフランス・イギリス連合軍も塹壕を掘り始めました。
すると、戦争は塹壕戦に入り、膠着状態に陥ってしまいました。
膠着状態とは、戦況はほとんど変わらないのに、ただただ被害だけが拡大していく消耗戦に移行してしまったということです。
両軍ともに疲労とストレスは頂点に達しました。
ドイツは西部戦線ではフランスとイギリス、東部戦線ではロシアと敵軍に完全に包囲されている地理的な不利を抱えていました。それだけでなく、火薬の原料であるチリ硝石を自給出来ないという問題を抱えてしました。
開戦直後にイギリス海軍によって海上封鎖を受けたドイツは火薬(チリ硝石)の調達に苦悩しました。海上封鎖とは、ある国の海軍力によって威嚇し、敵国の船の入出港を強制的に制限することですが、ドイツは植民地との連絡や貿易が出来ず、火薬の調達が出来なくなってしまいました。
当然ですが、火薬が生成出来なければ、戦争は遂行出来ません。
イギリス海軍はこれを狙ったのです。
この戦況を打破するためにドイツは「新兵器」を投入してきました。
毒ガスです。
ドイツの科学者が開発した塩素系ガスは空気より重いため、敵塹壕や地価掘の深くまで入り込み、敵を殲滅するのです。
これは毒ガスの技術を持っていなかった連合国軍には脅威でした。
毒ガスに対して全くの無防備だった連合軍は6000名もの戦死者を出す大損害を被りました。
その対応策として連合軍は防毒マスクを着用するようになります。
同時に連合軍も、「新兵器」である「戦車(タンク)」を投入しました。
戦車(タンク)という鉄の箱に入れば、敵の銃弾をかわしつつ、敵塹壕を突破出来るのです。
しかし、当時の戦車は装甲が薄くて銃弾が貫通しやすい。そのため、たくさんの乗組員が死亡しました。
また、新兵器の性(さが)で、とにかく故障が多い。塹壕を突破し、ドイツ軍の陣地へと侵攻するも、途中でエンスト。あっさりドイツの捕虜になってしまいました。
このように戦車(タンク)は塹壕突破の決定打にはなりませんでした。
そこで連合国軍が考えたのは、「陸上から攻める」のではなく、「空から攻める」ことでした。
大戦初期には、偵察機として使用されていた飛行機は、やがて機体に銃器や爆弾を搭載した戦闘機や爆撃機として敵陣地に爆弾を落とすようになりました。
ライト兄弟が開発した飛行機は多くの人命を奪う殺戮マシーンに姿を変えてしまったのです。
機体も木製から金属へ、複葉機から単葉機へと大きく進化。それに伴い、「陸軍」、「海軍」の他に、「空軍」という新しい軍制も誕生しました。
ここまで、「陸の新兵器」、「空の新兵器」を見てきましたが、最後に海の新兵器を見てみます。
ドイツにとって最も辛かったのは、やはりイギリス海軍による海上封鎖です。植民地との連絡や貿易が出来なくなったドイツは、武器や弾薬の原料が輸入が出来ず、戦争遂行が不能になってしまいます。
この現状を打破するために、ドイツ海軍は「新兵器」を投入しました。
それが潜水艦(Uボート)です。
潜水艦から発射された魚雷は、敵船の船底に穴を空ける兵器で、イギリス海軍には脅威のものとなりました。世界で初めて潜水艦の実践実用化に成功したドイツは多くの戦果をあげることができました。
この対応策としてイギリスは「護送船団」を実行しました。
護送船団とは、貨物船や商船などを単独で航行させず、必ず複数の軍艦に護衛させるというものです。
これではドイツも迂闊にイギリス船団を攻撃することができません。Uボートもまた、新兵器の性(さが)、性能に難があり、軍艦だけの狙い打ちが出来なかったのです。貨物船や商船を撃沈させてしまったら、世界各国から非難を受けることになります。
やはりUボートも戦況打破の決定打にはならず、両軍の戦いが長引いていきました。
このように第一次世界大戦とは、現状を打破するために両軍ともに陸、空、海における新兵器を投入していく戦争となりました。これによって戦死者の数がそれまでの戦争に比べケタ外れに多くなってしまったのです。
つづく。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
教科書よりやさしい世界史 旺文社
世界史劇場 第一次世界大戦の衝撃 神野正史=著 ベレ出版
20代で知っておくべき「歴史の使い方」を教えよう 千田琢哉=著 GAAKEN