日本史はストーリーで覚える!

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日本の歴史70~80年周期説。

 

 こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。

この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。

今回のテーマは「日本の歴史70~80年周期説。」というお話です。

是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。

日本の歴史を見ていくと、70~80年の周期で抜本的な制度改革が起きています。今年2017年は終戦から72年目です。私達はちょうど時代の変革期を迎えているのです。

 今回もまた、歴史に法則性や規則性が見つかりましたので、ご紹介します。

 日本の歴史を見ていくと、70~80年周期で改革が起きています。「改革」とは「改める」という意味で、それまでの制度を見直し、新しい制度を確立していくことです。

 なぜ70~80年なのでしょう。おそらく人間の寿命だと思われます。70~80年経つと制度発足当時の人達が完全に入れ替わるため、価値感や時代の変化に対応するように変革が起きているのでしょう。

 今回は日本史の勉強も兼ねて70~80年周期説をご紹介しいて生きたいと思います。

1575年 織田信長の大改革が始まる

      ↓ 70年後

1645年 鎖国完成

      ↓ 71年後

1716年 享保の改革

      ↓ 70年後

1786年 寛政の改革

      ↓ 81年後

1868年 倒幕・明治維新

      ↓ 77年後

1945年 終戦・日本の民主化

      ↓ 72年後

2017年 年金制度の見直しが要求される

 

 まず織田信長の大改革が挙げられます。彼は時代に変化をもたらした人物なのです。

室町時代末期、幕府は古い伝統や慣習に固執し過ぎており、国を治められるような統治力はありませんでした。庶民は飢饉に苦しめられ、各地では反乱や一揆、盗難や火付けなどが横行するようになり、治安の安定が要求されました。

 

 そんな時、どうしても必要なのがみんなを牽引していくリーダーの存在です。それが織田信長だったのです。信長は1575年の長篠の戦い武田勝頼率いる騎馬隊を打ち破ったことで戦国最強の武将になり様々な大改革を通じて天下統一への道を猛烈なスピードで邁進して行ったのです。

 最も大きかったのは、中世の封建的な「土地至上主義」から近代的な「貨幣至上主義」へと移行させる政策をとった点です。それが1577年の楽市・楽座です。信長は天下統一のために最も効果的な方法は、民衆のニーズをしっかりととらえ、経済の基盤を創り、活性化することだと知っていたのです。

 

 

 信長の改革から70年後の1645年、新たな改革が起こります。江戸幕府3代将軍・徳川家光キリスト教の存在を脅威と感じ鎖国を行ったのです。1637年に起きた島原・天草一揆をきっかけにキリスト教はもはや脅威でしかないとされ、ヨーロッパで唯一、キリスト教を広める心配のないオランダだけが日本と通商を許されることになりました。しかし、それも長崎の出島だけという制限のあるものでした。こうして日本は海外からの異文化の流入を完全に遮断したのです。

  ところで鎖国の考え自体は家康の頃からありましたが、幕府は貿易による利潤を優先し、キリスト教は黙認していました。

 一方で、江戸幕府が創りあげた「士農工商」という完全なピラミッド形式の身分制度において、「自由と平等」を唱えるキリスト教の思想は脅威であると感じ始めていました。そんな中、起きた事件が島原・天草一揆だったのです。

 

 鎖国完成から71年後の1716年、江戸の三大改革の1つ目、享保の改革が8代将軍・徳川吉宗によって行われます。

 江戸幕府の贅沢な暮しと飢饉による年貢米の減少が重なり、幕府の財政は悪化。その立て直しが要求されました。吉宗は通称「米将軍」と呼ばれるくらい米に関する改革をたくさんやりました。米の年貢米を4割から5割まで引き上げ、新田開発、大名にも年貢米を治めさせるようにする上げ米の制も制定されます。この結果、庶民は米不足に苦しみ、百姓一揆や打ちこわしなどの米騒動が発生します。

 

 また、10代将軍・徳川家治の時代に、その側用人である田沼意次による商業・貨幣重視の政治が行われました。田沼は商人達に自分達の商売を独占しても良いという株仲間を公認し、その代わりに幕府に儲けの一部を治めさせるようにしました。

 

「田沼さん、いつも大変お世話になってます。今後も是非ごひいき下さい。」

 

などと商人達による饅頭の下に小判を隠すという賄賂が横行するようになったのです。後にこの賄賂政治が幕府に発覚し、田沼は幕府の老中を辞めさせられます。

 

 

 享保の改革から71年後の1786年、江戸三大改革の2つ目、松平定信による寛政の改革が行われます。将軍は11代・徳川家斉(いえなり)で松平はその老中として天明の飢饉による被害から社会を復帰させることを目標にこの改革を行います。

 そして1841年、江戸三大改革の最後、天保の改革水野忠邦によって行われます。

 

 

 寛政の改革から70年後の1854年、ペリー来航をきっかけに日本は日米修好通商条約を結び開国します。これによって約200年間におよんだ鎖国が終わりを告げたのです。

 しかし、日本は長いこと貿易をしていなかったことから貿易下手で生糸を輸出し過ぎ、生糸の物価が急上昇するという大失態を起こします。

このような幕府に対する不信感から、天皇を尊ぶ「尊王」と外国を武力で打ち払う「攘夷」を合わせた尊王攘夷運動が始まります。

 しかし、薩摩藩はイギリス艦隊と薩英戦争に敗れ、長州も4カ国連合艦隊に屈服します。同時に日本は海外との技術力の差を痛感するのです。このようなことから薩摩と長州は「攘夷」をあきらめ、「尊王」と「倒幕」路線をとるようになります。そして

薩摩と長州は手を組むべきだという話が上がります。この間を取り持ち、薩長連合を組織した人こそ有名な坂本龍馬になります。

 またこのころ、世直しを唱える世直し一揆が頻発します。民衆は「ええじゃないか」という掛け声とともに乱舞するなど社会変革の必要性が高まります。

  そして寛政の改革から81年後の1868年、戊辰戦争によって新政府軍は旧幕府軍を破り、明治維新が成立します。これによって、それまで大名が持っていた土地の支配権を天皇に返させる版籍奉還、また士農工商のピラミッドが崩され、四民平等が基本方針として示されるなどの様々な改革が行われました。

 

 

 明治維新から77年後の1945年、日本は太平洋戦争に負け、ポツダム宣言を受諾し、終戦を迎える。日本は連合国軍司令部(GHQ)の占領下のもと、それまでの日本の軍国主義、封権的体制が崩され、政治・経済・社会・教育などあらゆる方面において民主化が図られた。

 

 具体的な改革は、三井、住友、三菱、安田などの財閥とよばれる経済を独占していた同族企業を解体する財閥解体

 また、GHQは、それまで多くの土地を持っていた少数の地主から土地を買い上げ、小作農達に安く売り渡しました。これによって小作農は自作農に変わり、農業に対するモチベーションが上がり、日本の農業は盛んになっていきました。これが農地改革です。

 

 この他にも男女共学で6・3・3(小学・中学・高校)型の教育基本法が制定され、さらに女性も選挙に参加出来る選挙制度の改正も行われました。

 

 

 そして戦後から72年目の2017年現在。日本は新たな改革を要求されています。その政策の1つに年金制度があります。年金制度は既に破綻しています。年金制度は当初、「60歳で定年退職した高齢者を当時平均寿命だった70歳までの10年間を現役世代で支えてきましょう。」ということ制度で発足したものです。

 しかし、平均寿命は上がり、子供の数が少なくなるという少子高齢化社会を迎えたことで、年金制度に限界が生じています。それが本当に苦しくなるのは、団塊ジュニアが引退した後です。

 そう、実は日本が経済的にもの凄く苦しむのはこれからなのです。私達は給料は上がらず、税金ばかり高くなるという江戸時代末期の農民のような地獄を味わうことになります。もう待ったなしです。

 

 過去の記事「歴史はストーリーで覚える」や「歴史は周期の法則で動いている」でも歴史の法則性や規則性を紹介しましたが、こんな風に歴史を勉強してみるのも面白いと思います。

以上。

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮 貴大でした。それでは。