motomiyatakahiroの日記

勉強、教育、人材育成

【徳川歴代将軍】 2代将軍 徳川秀忠という人物

 こんにちは。本宮 貴大です。

今回のテーマは「【徳川歴代将軍】2代将軍 徳川秀忠という人物」というお話です。

 

 今回も番外編ということで、わたくし本宮が、江戸時代にタイムスリップして徳川歴代将軍をそれぞれインタビューしてきたので、報告をしたいと思います。

 

 第二回目は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠様についてです。

 

 家康の三男、秀忠です。よろしくお願いします。

 秀忠の「秀」は大尊敬している豊臣秀吉様から貰いました。

 

 天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いに遅刻するという大失態をやらかしています。到着した頃にはほとんど東軍の勝ちが決まった状態でした。案の定、現場で指揮を取っていた父上からは、激しく怒られました。

 大阪冬・夏の陣では父と共に出陣しました。関ヶ原の戦いの汚名を返上しようとハリキって東海道をばく進しましたが、父上から

「そんなに派手な行動したら敵軍の偵察部隊にばれるだろっ。それに、この戦いは短期決戦じゃない。長期戦という精神の削り合いだ。体力は温存しろ」

と、またしても怒られました。

 

 こんな風に戦闘においては若干空回りしてます。だって経験不足なんですもん。

 

 でも政治の腕には自信があります。1615年の第一回武家諸法度は一応、私の名前で発足されています。(内容を考えたのはほとんど父親だということは内緒にしてあげてください。)

 

 

 父上に命令されて多くの家を取り壊しました。ガンガン改易(領土没収)していきました。それも福島正則加藤清正のような関ヶ原の戦いで戦果を上げてくれた有力大名の家をです。

 理由は、向上心や出世欲メラメラだからです。これからの時代、そんな人はいりません。容赦なく処罰させてもらいます。

 

 関ヶ原の戦いで敵対した大名の家を取り壊すなら、恨みや将来の危惧など理由は明白ですが、福島や加藤のような忠実な部下の家を取り壊せば、みんな「なぜ?」と考えます。

 

 この意図をどうやら諸大名の皆さん、察知してくれたようで、みんなこぞって鼻毛を伸ばし、とんぼをつけるなど、いかにも阿呆な風貌を競い合ってくれるようになりました。これは当時の観点では、「私には成長欲求や向上心はありません。現状に大変満足しています。」というアピールになります。

 

 これによって、成長欲や出世欲を持った若者が下剋上によって、のし上がる戦国時代の価値感を完全否定するのです。そんなことをされては徳川家の存続が危うくなりますもの。

 代わりに新時代である江戸時代は「現状維持こそ美徳。武士は人格向上のための勉学や勤労にのみ励みなさいという」新しい価値感を植え付けました。

 これらはそのための見せしめです。

 

 このようにして江戸時代の武断政治の基礎を創り上げていきました。

 

 

 現代では恐妻家や愛妻家というあだ名がついているみたいです。奥さんは、北近江の有力大名・浅井長政織田信長の妹・お市のあいだに生まれた三姉妹の末っ子、‘お江‘です。

大尊敬している秀吉様の奥さんは淀殿で、お江のお姉ちゃんになります。よって秀吉様とは、義父ではなく、義兄の関係になってしまいました。ちょっと複雑な思いです。

まぁ、秀吉様、側室は300人いて、ロリコンだったし・・・・おっと失礼!

 

‘お江‘は性格が激しく、口うるさいので、尻に敷かれっぱなしでした。浮気なんかしたら、殺されます。

まぁ、将軍という立場上、側室(奥さん)は何人いても許されるのですが、私の時代にはまだ大奥という組織もなく、江戸幕府は軍事組織に毛が生えたよう組織だったので、一生涯一人の女性を愛し続けました。

そのため、お江との間には何人もの子供が生まれています。将軍にとって後継者作りは立派な公務なのです。ということで将軍後継者は、長男が早世してしまったので、次男である家光を三代将軍に迎えました。

 

ここまで聞くと私に対して、とても真面目で一途な印象を受けると思いますが、実は一度だけ浮気をしています。いやいや、父上の側室が16人いたことを考えると、全然可愛い方ですよ。

‘お静‘という下級武士の家に生まれた人です。可愛かったので、口説いてしまいました。

お静との間に生まれた子は、後の保科正之です。しかし、私は、生まれたばかりの我が子の顔も見ずに養子に出してしまいました。まさか将軍の側近にまで大出世するなんて・・・やはり私の良い遺伝子を受け継いでいるからですね。笑

 

以上。

秀忠様、ありがとうございました。

 

次回をお楽しみに。本宮貴大でした。それでは。

【将来役に立つ!政治・経済】第1回 地球温暖化は‘嘘‘である。

 

 こんにちは。本宮貴大です。

今回のテーマは、「【将来役に立つ!政治・経済】第1回 地球温暖化は‘嘘‘である。」というお話です。

 

 お待たせしました。それでは、新企画の記念すべき第1回目の講義を始めたいと思います。

 

 いきなりインパクトの強いテーマになりましたが、地球温暖化には「本音」と「建前」がしっかりと存在します。教科書に書かれている単なる情報が「建前」になり、将来役に立つ知恵こそが、「本音」の部分になります。

 定期テストや入学試験で得点したいだけなら、教科書に書かれている「建前」の部分を解答すれば良いです。しかし、当ブログではテスト後、さらにはキミが学校を卒業した後に役立てる知恵を教えるので、一歩踏み込んだ内容を述べます。すなわち、「建前」だけでなく「本音」の両部分にも迫っていきたいと思います。

前置きが長くなりましたので、そろそろ本題に入ります。

 

火力発電に比べて安価な原料で大量の電気を生み出すことが出来る原子力発電が注目を浴びました。火力発電に代わって原子力発電に普及へ。そのために火力発電によって排出される二酸化炭素を‘ワルモノ‘にする必要があったのです。

 

 

 地球温暖化と政治・経済って関係あるのかと思う人もいるかも知れませんが、実は密接に関係しています。今回は特に経済との関わりについて述べながら学びを深めていきたいと思います。

 

 「地球は温暖化している。」これは今や常識中の常識と言っても過言ではないくらい多くの人達が認識していることです。

 

 しかし、結論から言うと、地球温暖化は嘘なのです。

 

 まずは、教科書に書かれている「建前」から見ていきましょう。

 

 地球温暖化の一番の原因は、石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料を燃やした時に排出される二酸化炭素にあります。

 この二酸化炭素には温室効果という性質があり、地上で排出された二酸化炭素は宇宙空間に逃げて行かず、大気圏内にとどまり、地球の平均気温を押し上げるという理屈です。「温室効果」とはその名通り、地球を温室のようにしてしまうこと。温室はビニールやガラスで覆われており、太陽のエネルギーが入ってくるけれど出ていきません。だから温室の中は暖かいのです。

 

 

 では、温暖化すると何がいけないのでしょうか。

 

その1つは、南極グリーンランドの氷が溶け、海水面が上昇する。すると、バングラディシュのような低地国は水没の危険にさらされます。また、モルディブ諸島のようなサンゴ礁の島国は、島自体がなくなってしまう危険性があるというのです。現時点では、はっきりとした被害は確認されていませんが、将来的に予測される最悪なシナリオとされています。

 

 こうした地球温暖化に伴う最悪なシナリオの元、先進国間で「二酸化炭素排出量を削減しましょう。」という約束事を決めます。それが1988年に発足したIPCC気候変動に関する政府間パネル)であり、各国の研究者が政府の資格で参加し、温暖化問題について討議を行う公式の場としたのです。このIPCCの評価に基づき、92年の地球サミットにおいて気候変動枠組条約が結ばれました。この条約締結国の第三回会議が97年に京都で行われた地球温暖化防止京都会議です。

 

 

 さぁ、ここからは本音の話です。

 

 実は海面上昇に伴う最悪なシナリオは‘嘘‘なのです。先程、「現時点でははっきりとした被害は確認されていません」と述べましたが、グリーンランドや南極の氷が溶けても、海水面は上昇しないのです。

 これは2000年以上も前に証明されています。アルキメデスの原理をご存じでしょうか。興味ある方は実験してみてください。

 例えば、オレンジジュースに氷を入れて、しばらく放置しておきます。すると、ジュース内の氷は溶け、ジュースの量が増えるかどうか。すなわち、水面が上昇するかどうかどうかを確かめてみてください。意外にも水面は上昇しないのです。

 私達の感覚や予測に反した意外な結果となったので、「アルキメデスの原理」という名前が付けられているのです。

 

 地球には、北の極にグリーンランド、南の極には南極が大陸氷河として存在しています。グリーンランドも南極も実は大陸なのです。大陸の上を氷河が覆っているのです。

 

 例えば、南極の平均気温は-42度です。1度や2度気温が下がった程度で、大陸を覆う氷河が溶けてなくなるということはないのです。

 テレビやニュース等で流される南極の氷が溶けている映像は、南極の沿岸部の氷であり、大陸の上に乗っていないため、自重によって崩れ落ちているだけなのです。

 

 

 では、なぜ地球温暖化という‘嘘‘を広める必要があったのでしょうか。

 それは非常に経済性の高い‘ある発電手段‘を推進するための周到な狙いがあったのです。

 

 火力発電は、燃料である石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料を燃やし、その熱で温められた水から出る湯気でタービンを回し、発電する方法ですが、この火力発電に代わって、次世代型エネルギーとして注目を浴びたのが、原子力発電(以下:原発)です。

 これは原子炉内の核分裂反応によって発生した熱を利用し、水を沸騰させ、その湯気によってタービンを回し、発電するという方法ですが、化石燃料に比べて非常に安価な原料で大量の電気を安定的に作りだすことが出来るため、費用対効果は抜群に良かったのです。

 したがって、電力会社を含め原発を普及させたい組織が存在するようになりました。一方で、原発電には放射線の管理を厳重にしなければならないという安全性について指摘する組織もいました。

 

 そこで、何とか原発反対派組織の意見をねじ伏せて原子力発電の普及を早急に行いたいと願う組織は原子力発電がいかに素晴らしいかをアピールすることで推進運動を始めたのです。

 

 原発を肯定するために、従来の火力発電を否定する。そのためには火力発電と原子力発電の相違点・・・・すなわち、二酸化炭素を排出しないという点を全面的にアピールしたかったのです。そこで二酸化炭素を徹底的に‘ワルモノ‘にするべく、地球温暖化現象の諸悪の根源としたのです。

 

 このように、地球温暖化による最悪なシナリオは、世界中で原子力発電を推進するための作り話だったのです。こうして原発二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーであるという大義名分のもと、日本は原発大国を目指し、その普及を急いだのです。あの日までは・・・・

 

 そうですね。2011年3月11日の北太平洋地震福島第一原発の事故以来、日本の原発大国への道を絶たれたと言ってよいでしょう。

 

 あなたが、いくら「原発はエコだ!もっと原発を建設しろ。再稼働だ。」と力強く叫んでも、他の大多数の国民が許しません。

 

 もはや理屈や論理の問題ではありません。感情の問題です。

 

 苦い経験をした人間を理屈や論理で説得など出来ません。人間は感情で物事を判断し、感情で動く生き物なのです。

 

 放射能が本当に恐れるに値するものかどうかはさておき、あれだけ国民を不安と恐怖に陥いれた事故が起きた以上、原発を再稼働することも、新たに建設することも出来ないでしょう。

 

 今現在、費用対効果において非常に不利なエネルギーである風力発電水力発電地熱発電などを少しづつ開発しつつ、火力発電でやっていくしかないと思います。

 

 

 今回、私が述べた内容が世間の常識とかけ離れた‘非常識‘だと思う人もいるかも知れません。しかし、‘常識‘とは、非常に危ないものです。‘常識‘とは、単にその時代における大多数の人達の意見であり、必ずしも正しいわけではありません。

 中世までは地球は球体ではなく、平面だと思われていたのです。それが、ルネサンス期の天文学者トスカネリによって、地球は球体であると説かれましたが、当時の人達の感覚では非常識な説でしかなく、当然受け入れられなかったのです。

 

真実はどこにあるのかを引き続き勉強し、学びを深めていきましょう。

 

 

 

補足説明

 温室効果ガスは二酸化炭素以外にも数種類あります。メタンガス、一酸化炭素フロンガスなどがあります。そしてもう一つ、実は水蒸気も温室効果を持っているのです。

現代は人工的に作られた大量の水蒸気が大気中に放たれています。この水蒸気の温室効果に比べれば、二酸化炭素温室効果は微々たるもので近年の温暖化の原因は二酸化炭素よりも水蒸気によるものだと科学的に証明されているのです。

 

 また、温暖化による生態系の問題もあります。それによると、たくさんの生物が絶滅していき、生態系のバランスが崩れるという最悪なシナリオです。

 白亜紀という年代をご存じでしょうか。はるか昔、恐竜達の最盛期と呼ばれる時代です。この頃は、今よりもずっと二酸化炭素の量が多く、気候は大変に温暖でした。しかし、白亜紀の恐竜やその他の生物は実に多種多様で、それぞれが独自の進化を遂げていました。温暖化すると生物はむしろ多様化するのです。

 

 確かに近年、地球が温暖化していることは事実です。しかし、1950年~80年頃まで、地球は一時的に寒冷化しています。もしかすると、地球の気候変動は変則的なのか、周期的なのかは定かではでありませんが、寒冷化したり、温暖化したりを繰り返しているだけなのかも知れません。

以上。

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

【幕末】列強のアジア進出!異国船打払令!

 

 

こんにちは。本宮貴大です。

今回のテーマは「【幕末】列強のアジア進出!異国船打払令!」というお話です。

 

19世紀に入ると植民地支配を広げていた欧米列強東アジアにも侵略の手を伸ばします。17世紀以来、全く発達していない日本の軍事力で列強に対抗出来ないのは明白。一体どうなってしまうのでしょう。

 

 青い太平洋の端に浮かぶ小さな島国。4つの大きな島と4千を超える小さな島々からなり、冬には数メートルの深さまで雪が積もる北の国からサンゴ礁の浜辺に揺れる南国まで存在し、アジア大陸の東側に孤を描くように連なっている。

 

 春には桜が咲き、秋には紅葉が深まる。自然の景観は四季折々にその表情を変え、人々に感動を与えます。

 北からの寒流と、南からの暖流とが沿岸で合流するため、魚介類が集まり、沢山の海の幸をもたらします。国民はそんな自国を日出る(いづる)国、「日本」と呼んでいます。

 

 13世紀にマルコ・ポーロによって書かれた『東方見聞録』の中で「黄金の国ジパング」として登場して以来、欧米人は夢をかき立てられ、16世紀以降、コロンブスを初め多くの探検家に太平洋航路における強い動機を与えました。

 

 そんな日本を羨望の眼差しで見ている欧米列強が侵略の機を伺い、着々とその準備を初めていました。

 

 

さて、17世紀に江戸時代を迎えた日本は対外政策を厳しく管理するいわゆる鎖国政策」をしていました。その間、世界の情勢は大きく変わっていました。

 

 17世紀中頃からは、スペイン・ポルトガルに代わって海の覇者となったオランダが。18世紀にはイギリスフランスそしてロシアが海外進出に力を入れていました。そして19世紀になると、新たに誕生した国・アメリカも西部開拓と同時に海外進出に力を入れ始めていきます。

 

 これらの欧米列強は産業革命によって自国で大量に生産した工業製品を売りつける市場開拓と、新たな原料や資源を求めて、侵略の手を世界へと伸ばしていったのです。

 その勢力は東アジアにも向けられたのです。

 

 このような世界の動きに巻き込まれるように日本もいよいよ列強の脅威にさらされることになるのでした。

 

 北から南に伸びる細長い国土を持つ日本はアジア貿易の中継地点としては絶好の位置にあります。この国を手中に収めれば、燃料や食料補給の拠点としてアジア進出の大きなアドバンテージとなるため、列強諸国は日本の侵略を企てます。

 

 こうして日本近海では、漂流ではない明らかに開国や通商目的の外国船が次々に目撃されることになりました。その動きは不審で、測量でも行っていたのか沿岸から遠ざかったり、近寄ったりと実に不気味な動きで時の老中・松平定信は、全国の諸大名に沿岸部警備の強化を命じます。

 

 さらに下記のような寛政3年令も発令します。

 

「異国船が漂流船である場合は、従来通り保護するが、漂流船でないと判断した場合は武器や火器を取り上げ、隔離し、その処分を幕府に問い合わせるように。」

 

 寛政3年とは1791年のことで、ちょうど寛政の改革の真っただ中。定信は国を守るために、寛政の改革を行う一方、海防にも力をいれなくてはならなかったのです

 

 この法令からもわかる通り、この時点では、外国船に対し、かなり強気な姿勢でした。

 

 しかし、17世紀以降、軍事レベルが上がっていない日本は、列強の軍事力には到底及ばないことは明白でした。それを説いた著書が林子平『開国兵談』です。これには現在の日本の軍事力では海外からの侵略への備えにはあまりに不十分だと説いたものです。しかし、定信はいたずらに国内の不安を煽ったと批判し、この著書を発禁処分とします。

 

 

 異国船襲来の第一波は意外にも北の国・ロシアでした。ロシアとの接触です。それは、1792年、ロシアラックスマン根室(北海道根室市)に来航します。ラックスマンは、ロシアに漂着した大黒屋光太夫を送り届けるカタチで、国交を開き、港を使わせてほしいと申し出たのです。しかし、列強の存在を脅威と感じていた松前藩(北海道松前郡松前町)は回答を保留。我が国の貿易拠点である長崎に改めて来てくれとラックスマン信牌(しんぱい)を渡し、一応帰って貰いました。

 これによって、ロシアに「日本はわが国と通商しても良いという建設的な方針をもっている。」と悪い気分にさせないように帰らせることに成功したのです。これは、その場しのぎではあっても、当時の日本の外交能力にしては、かなり柔軟な対応だったと言えます。

 

(信牌・・本来は中国船に渡されていた貿易許証。)

 

 遂に、初めての開国要求を受けた定信は、いよいよ蝦夷地の海防も視野にいれなくてはいけなくなりました。同時に、寛政3年令も改めなくてはいけないと思い始めました。

 

 しかし、その矢先、1793年、定信は尊号事件による天皇の圧力と11代将軍・徳川家斉との対立。そして民衆の反感により、老中を解任させられます。それと同時に定信の海防戦略は中止となってしまいました。

 

 そして、1804年、ロシアレザノフが長崎に来航しました。レザノフはかつて日本がラックスマンに与えた信牌を差し出し、日本に通商を申し出ました。長崎奉行は、この要求を拒絶します。そればかりか、ロシア船の武器を全て取り上げ、船員を隔離してしまったのです。

 これは定信の法令通りのやり方なのですが、根室ラックスマンへの対応とは正反対の強硬な姿勢での対応になってしまいました。

 

 実は、定信が発足した寛政3年令が改正されていなかったのです。

 

 そう。この頃から、幕府のガサツな対応がどんどん目につくようになってきます。

 

 長崎奉行は、レザノフ一行から信牌を取り上げたうえ、下記のようなロシア国王宛ての手紙まで渡したうえで、帰ってもらいました。

「わが国の貿易国は、清国、朝鮮、琉球、オランダのみです。それ以外は、通商する気はありません。同盟を結ぶこともありません。どうかお引き取り下さい。」

 

 

 わが国の正式な信牌を持って、正式な貿易拠点である長崎に来航するという‘ちゃんとした‘手続きを踏んでいるロシアに対し、強引なやり方で追放してしまったので、ロシアからの報復を恐れた幕府は1807年に「ロシア船打ち払い令」を出します。「打ち払い」とありますが、ロシア船に対し、一方的に暴力を働くのではなく、水や食料を与えて早急に帰ってもらうという穏便なやり方です。

 

 しかし、幕府のそんな危惧は現実のものとなりました。

 

 なんと、レザノフの部下が、樺太島択捉島に上陸し、各地で建物を焼き払い、番人を連行する事件が発生したのです。

 その後、ロシア側は、連行された番人を解放し、日本の最北端にある宗谷(北海道)に返還しました。

 その際、ある手紙も持たせていました。その手紙には以下のように書かれていました。

「日本とロシアは近隣同士なので、今回は部下を派遣して、お手並みを見せたのだ。お前らの信牌はただの仄めかし作戦だったのか。こんな対応に、わが国の国王は大変ご立腹だ。今後、わが国の要求を受け入れるなら、日本は永遠に安住した国になるだろう」

 

 非常にリアリティのある手紙の内容ですが、実はこれ、全てレザノフの部下の単独犯による暴走であり、手紙もレザノフの部下の書いたものでした。

 しかし、日本はそんな事実は知らないので、ロシアからの戦線布告だと決めつけてしまいます。

 

 これが原因で1811年にゴローニン事件を招いてしまいます。これはロシアの軍人・ゴローニンを国後島で日本が捕まえ、捕虜にしてしまいます。日本のこうした対応にロシアも黙っていません。ロシアも日本の商人・高田屋嘉平衛を捕虜とします。まさに一触即発の事態になりますが、日本がロシアと戦争しても勝てないどころか、国全体が壊滅する恐れもあったので、日本はゴローニンの解放と同時に和睦を申し出ます。ロシアもこの和睦交渉を受け入れ、何とか解決されました。

 

 その後、ロシア船は当面の間、日本近海には姿を現さなくなります。

 

イギリス船オランダ船を追跡するカタチで長崎に強制入港。これに怒りと感じた幕府は異国船打ち払い令を発令します。しかし、これがモリソン号事件という新たな事件を引き起こしてしまうのでした・・・

 

 

 一方、1808年、イギリス軍艦フェートン号が長崎港に強制入港してきます。これは長崎に駐在するオランダ商館員を人質に、わが国の大量の食料や飲料水を奪い去っていくというもので、フェートン号事件と呼びます。

 

 この事件はなぜ起きたのでしょうか。

 実は日本を目指すオランダ船をこっそりイギリス軍艦フェートン号が追跡していたのです。そんなフェートン号はオランダ船に続くカタチで長崎港に強制入港したのです。

 

 ちょうどこの頃、ヨーロッパはナポレオン戦争の真っ最中。オランダフランス支配下になり、最終的にイギリスフランスの2大勢力が対立するカタチになっていました。

 しかし、オランダはその事実をひた隠し、フランスの占領下になった後も、オランダの国旗を掲げながら日本と貿易をし続けていたのです。

 

 しかし、イギリスからすれば、オランダは既になくなった国で、敵国・フランスの属国でしかありません。オランダ船を追跡するという行為は敵国・フランス船を追跡して撃退するという戦争の延長線上の行為になるのです。

 ナポレオン戦争の余波が日本にまで波及してきたのです。

 

 こんな白昼堂々とした海賊行為に日本は怒りが抑えられません。そして、そんな海賊行為をわが国は鎮圧する力もないことを世の中に知らしめる結果となってしまいました。

 

 その後もイギリスは鯨油を取る目的で、イギリスの捕鯨船が日本近海に頻繁に現れるようになります。これ以上イギリス船を日本近海で好き放題させるわけにいかない。

 そのため、時の老中・水野忠邦は1825年に異国船打ち払い令を発令します。これは、西洋の国を邪教の国と決めつけ、外国船を見たら、問答無用で追い払えという非常に強い排外政策です。

 これによって、日本沿岸に接近する外国船を威嚇し、渡来しないようにしたのです。

 

 しかし、この法令が仇になる事件が発生してしまいます。1837年に起きたモリソン号事件です。これはアメリカの商船・モリソン号が、日本人漂流民の返還などを理由に国交を開始しようと浦賀に近づいた際、幕府は異国船打ち払い令を理由に一方的に砲撃し、追い払ってしまいという事件です。

 

 今回見てきたように、この時代の日本は海防政策においては非常に場当たり的で、国際情勢はおろか、外交手段すらも把握していない極めて原始的な国だったのです。

 

 こんな日本の粗末な対応に、高野長英は、『戊戌夢物語』(ぼじゅつゆめものがたり)で渡辺崋山は『慎機論』(しんきろん)で痛烈に批判します。幕府はそんな長英と崋山を弾圧します。これが蛮社の獄です。

 

 威嚇するだけで対外的な危機を押しとどめることなど当然出来るはずもありません。そんな中、列強の東アジア進出は着実にしかも急速に迫りつつありました。

 

 それを象徴する戦争が1838年に勃発するイギリスと清によるアヘン戦争だったのです。

つづく。

 

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮でした。それでは。

 

新企画【将来役に立つ!政治・経済】 プロローグ 全国の学校教師の皆さんへ。

 

こんにちは。本宮貴大(もとみやたかひろ)です。

 

 現在やっている【歴史はストーリーで覚える】シリーズは今後も続けていきますが、それに並行して新企画として【将来役に立つ!政治・経済】もシリーズとして開始していきたいと思います。

 最終的に当ブログは「社会科目全般」を取り扱うブログにしたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 今回はプロローグということで、「全国の学校教師の皆さんへ」というテーマでお話させていただきます。

 学校の先生達の仕事は、科目という「情報」を教える授業をするのではなく、将来役に立つ「知恵」という生きた知識を教える授業をすることです。「情報革命」という時代の流れから目を背けてはいけません。

 

 

 勉強しない生徒達の理由に「将来、役に立たないから」という人達が非常に多いです。果たしてこれは本当なのでしょうか。残念ながら、まぎれもない事実です。

 

 しかし、勉強内容自体が役に立たないわけではありません。例えば、一見何の役にも立ちそうにない数学ですが、実は世の中のあらゆるところで活躍しています。微分積分は車のスピードメーターに利用されているし、ベクトルという概念は、飛行機の離着陸にも応用さされています。

 数学に限らず、国語、理科、社会、文学、哲学、心理学、経済学、法学、理学、工学、医学など、今現在、全ての教育機関で教えている学問は全て将来、何ならかの事に役に立ちます。だからこそ、学問化されているのです。

 

 にも関わらず、多くの生徒達からこれらの勉強は「将来役に立たない」というレッテルを貼られています。

 申し訳ないですが、これは学校の先生の授業の教え方に問題があるのです。

 いや。本当に申し訳ないですが、これは事実です。私の体験談からもそう言えます。

 

歴史もそうですが、淡々と事実だけを覚えさせられるだけでは、やる気も起きません。

 

 学校では淡々と事実だけを教える「情報」を教える授業になってしまっています。しかし、勉強とは単なる「情報」を得るための手段ではなく、将来どこかで何らかの役に立つ「知恵」を得るための手段でなくてはなりません。

 

「知恵を教えるために、情報を教える。」これが教育です。

 

  ありがちなことですが、「手段」が「目的」になっています。「知恵」をつけさせるために「情報」教えるという手段をやっているのに、「情報」を教えることだけに集中しすぎて、本来の目的を見失ってしまっています。

 これは100%先生達に問題があります。

 例えば、「日本史」を学ぶと手段が目的になってしまう事例はいくらでもあります。私達は歴史を学ぶことが目的になってしまい、全く知恵に昇華出来ていないのです。

 

 ハッキリ言います。単に「情報」を知るだけなら、生身の先生よりもグーグル先生に質問を投げかけて方が、効率的だし、何でも答えてくれます。暗記力なら、どんな人よりも優秀です。

 

 そうなると、今いる学校の先生達は全て要らないということになってしまいます。

 

 もし、今後も単なる「情報」を教えるだけの授業を今後も続けるのであれば、今すぐ退職してください。税金の無駄です。

インターネットが誕生し、これだけ普及した「情報革命」という18世紀にイギリスで起きた「産業革命」に匹敵する革命が起きて 久しい現在、もうこの事実から目をそむけてはいけません。

 

 さもないと、教師という職業も時代と共に淘汰されてしまいます。

 

 先生達が今後やるべきことは「知恵」を教えることです。

 

 しかし、情報を知恵へと昇華するのは、生徒達がやるべきだと思う人もいるかもしれません。

 

 いいですか。生徒達は教育を受ける側です。「情報」を得るだけで精一杯なのです。それを先生達が「知恵」へと昇華させる手助をやるべきです。

 あなた達はプロです。お金をもらって仕事をしています。お金とはあなたの労働に対する対価ではありません。あなたが社会に提供した価値に対する対価です。もはや、「情報」を教えるだけの授業は価値とは言えなくなっています。

 

 当ブログでは過去に「本来人間はやる気満々で生まれてくる」と書いていますが、人間には生まれつき知的好奇心が備わっているのです。そんな子供達を知的好奇心の開拓へと導いてあげること。これが教育であり、教師の仕事です。

 

 生徒達の方が、はるかにはるかに賢いです。将来役に立たない「情報」をいくら勉強しても時間のムダです。これでは誰だってやる気は起きません。先生達だって、おそらくそう感じると思います。「ムダなこと」かつ、「強制的にやらされること」がどれだけ苦痛か。考えたことありますか。

 

 しかし、先生達はこんな事を言う私のことを「へそ曲がり」とか「謙虚な気持ちを持ちなさい」と言います。

 科目の知識という「情報」しか持っていないという自分達の非は絶対に認めない。もはや先生達が教育された方が良いとさえ思えます。

 

勉強とは本来楽しいものです。

そこで私は、【この将来役に立つ!政治・経済】を通して、前途ある若者達に生きた知識を提供していきたいと思います。

 

 ということで、【将来役に立つ!政治・経済】の第一回目の講義は間もなくアップロードします。お楽しみに。

 最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮貴大でした。

 

【希望の党】寛政の改革から学ぶ希望の党のPRポイント

こんにちは。本宮貴大です。

今回は「【希望の党寛政の改革から学ぶ希望の党のPRポイント」というお話です。

 

希望の党がマニュフェストに掲げている他の党はないPRポイントとして、「道州制」があります。希望の党はこの「道州制」をもっと前面的に推し立てた方がいいと思います。

松平定信の行った「寛政の改革」の本質は「藩と農民の自立化」です。

定信は結果的に失脚させられ、寛政の改革は厳しすぎたと批判されています。

結果を分析するすることは誰でも出来るのです。原因を分析出来なければ何も学べないし、何も生かせないです。寛政の改革は何が目的で、本質はどこにあったのか。それを見抜く必要があります。私達は歴史から学ばなくてはいけません。

 

「藩と農民の自立化」

 

今の日本がやるべきことですよ。

都道府県の自立と国民・県民・市民・町民の自立です。

 

都道府県が国依存から脱却し、競争力を持って街おこしをしていく。

これはいいですね。近年、東京への一極集中が著しいので、是非とも頑張って頂きたいです。そのために「憲法第8章 地方自治」を改正するのですよね。地方自治を縛っている規制を緩めて地方に任せるのですよね。

早急にやるべきは、「お金」と「決まり」の権限を移すことは必須です。

「私達の県では、法人税はいくらにしたい。そしてその税をこんなことに使いたい。」といった税のあり方を決める権限を与えるのです。

 

地方の条例も憲法の範囲内で創るのではなく、地方独自のルールを創るのです。

 

オシメのとれない地方を家から追い出すのですね。まぁ追い出したところでヨチヨチ歩きの地方が最初からまともな地域運営が出来るとは思いませんが、長い目で見るしかありません。

 

地域が自由にお金と決まりを作って、街おこしをしていくということは、地方には責任が伴います。自由と責任は表裏一体です。自由であることは責任を負うことでもありますから。

 

国民も自立する必要があります。自身の能力やスキルを高めて、自分の力でお金を稼いで、自分の力で生きていく。国や会社や親に頼らずに。

 

これは希望の党も分かっていると思いますが・・・・・(かなり不安ですが・・・)

 

道州制の導入に伴って、農業を活性化すると言っていますが、これはムリがあります。日本の農産物は、世界との価格競争では勝負にならないくらいボロ負けしているので。

輸入に頼るべきだし。輸入に頼っていいと思います。

 

 

 

【動画あり】志望校目指してモチベーションを維持する方法

 こんにちは。本宮貴大(もとみや たかひろ)です。

今回の動画は志望校を目指してモチベーションを維持する方法です。記事も掲載してあります。宜しければ、ご視聴頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 

motomiyatakahiro.hatenablog.com

 

 

motomiyatakahiro.hatenablog.com

 


志望校合格を目指してモチベーションを維持する方法

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

【徳川歴代将軍】初代将軍 徳川家康という人物 【番外編】

 こんにちは。本宮 貴大です。

今回のテーマは「【徳川歴代将軍】初代将軍 徳川家康という人物」というお話です。

 

 今回は番外編ということで、わたくし本宮が、江戸時代にタイムスリップして徳川歴代将軍をそれぞれインタビューしてきたので、報告をしたいと思います。

 

 第一回目は江戸幕府初代将軍・徳川家康様についてです。

 

 

 戦国時代は信長のような大天才と同盟を結ぶことが出来ため、戦いに負けること  はありませんでした。いや、本当に彼だけは敵に回したくありませんでした。

 ワシが生涯で唯一負けたのは三方ケ原の戦いです。なので「武田信玄」と聞くと心拍数が急上昇してのう。トラウマになっています。はい。

 

 秀吉は嫌いです。小牧長久手の戦いもそうですが、江戸という沼地だらけのド田舎(当時)に左遷したからです。

ですが、名実ともにワシより上だった秀吉には勝てないと思ったため、大人しく従いました。勝てない戦いはしたくありません。

 

 天下取りは秀吉が死ぬまで待つことにしました。ひたすら秀吉に奉公します。大丈夫。屈辱に耐えるのは慣れています。だてに18年間、人質生活を送っていません。

 座右の銘は「果報は寝て待て」です。

 

 秀吉が死ぬまでくたばるわけにはいきません。なので、健康には人一倍気を遣っていました。医学や薬学関係の本はたくさん読み尽くしました。その知識を生かし、万病円(まんびょうえん)という下剤を調合しました。これは当時流行したサナダムシを殺す薬です。食後に毎日服用していました。その甲斐あって人生50年と言われた時代にも関わらず、73歳まで生きることが出来ました。

 (因みに、現代では薬の調合は免許がいます。良いの子のみんなは真似したらダメよ。)

 

 秀吉が朝鮮出兵をすると言いだした時は本当にビックリしました。戦闘しか脳のない福島正則は侵略計画を提案するし、頭脳派の石田三成君は朝鮮と貿易交渉を提案してきました。

「お前ら頭冷やせよ。朝鮮には武力で勝てそうもなければ、貿易交渉も成立するはずがない。」と思いました。

 まぁそんなバカな奴らは放っておいて、国内で着々と江戸の開発をやりました。どうせ朝鮮出兵は失敗することが分かっていたので。はい。

 

 秀吉の死後は政権を独占すべく関ヶ原の戦いを始めました。得意の裏工作で、戦闘狂の単細胞達を東軍側に寝返らせることに成功しました。彼らはよく働いてくれました。「バカとハサミは遣いよう」という言葉は本当だったようです。

 

 石田三成君とは最後まで分かり合えませんでした。なので石田君を含めた邪魔者は一か所にまとめて叩き潰しました。ズル賢さには自信があります。

 

 趣味は鷹狩りです。その目的は娯楽だけにあらず。遠くに遠征することで、庶民の生活や風土を知ることが出来ます。さらに鷹狩には早起きをします。運動するから消化も良いし、お腹が空くから何でもおいしい。免疫力もアップします。歩くことで前身に血流が行くので脳が活性化し、思考力も上がる。夜は疲れてぐっすり眠れるので、翌朝も気持ちよく目覚めることが出来る。一石二鳥ならぬ、一石十二鳥ですな。

 一見メタボに見えるかもしれませんが、実は筋肉質のマッチョなのです。力士みたいに。

 

 その他、一生を通じて学問に励みました。歴史書、軍記物、医学大全あらゆる書物を読み漁りました。将軍職を引退した後は、これらの書物を可愛い孫達にも読ませています。

 以上です。

 

ありがとうございました。次回は2代将軍・徳川秀忠様のインタビューを報告します。

本宮でした。