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天才か、努力か。

世の中に「天才」は存在しない。歴史的な天才は圧倒的な努力をしています。

 

 今回は、超一流の結果を出している人は才能なのか。それとも努力なのか。について述べたいと思います。

 結論からいうと、「1%の適性と99%の努力」ということになります。あのエジソンの名言通りです。つまり、適性はあっても、努力しなければ一流の結果は出せないのだということです。

 

 フロリダ州立大学心理学部教授のアンダース・エリクソンは著書「超一流になるのは才能か努力か?」の中で超一流になって成功している人に才能はほとんど関係なく、圧倒的かつ効率的な努力によって成功を手にしていると結論づけています。

 

 モーツァルトといえば、誰もが天才だと思っている作曲家ですが、実は彼の父親は音楽教師であり、幼少期からモーツァルトにピアノの英才教育を行っていたそうです。その結果、モーツァルトは6歳で観衆をうならせる演奏をすることが出来る様になったのです。

そんなモーツァルト本人は以下の言葉を残しています。

「私ほど、作曲に多くの時間を費やした人はいない。あらゆる偉人達が残した曲を研究し、私が一番長い時間を作曲に投入した。」と。

 

 表の部分だけ見れば、誰もが羨やむほどの天才作曲家ですが、裏の部分では、幼少期から圧倒的で泥臭いピアノの練習量をこなしていたのです。天才であるモーツァルトは努力の人だったと本人が言っているのです。

 

 この宇宙は極めて公正で、「与えた価値と、受け取る価値は等しい」のです。もの凄い成果を受け取るには、もの凄い価値を社会に提供しなくてはいけないのです。これは短期的には釣り合わなくても、長期的には釣り合うようになるのです。

 例えば、宝くじで3億円を当てた場合を考えてみましょう。社会に価値を提供していないにも関わらず、3億円という価値を得た場合、一時的には大変な得をしても、長期的には損害を被ることが大きくなります。宝くじに当たった人の95%はアンケートに「当たらない方が良かった」と回答しているように、3億円当たっても、散財したり自己破産したりしているのです。短期的には釣り合わなくても、長期的には釣り合うようになるのです。

 

 もの凄い価値を提供するには、代償を必ず支払わなくてはいけません。その代償とは時間であり、普通の時間の使い方をしている限り、普通の結果しか得ることが出来ないのです。もの凄い価値を提供するには総トータルで大量の時間を投入する、すなわち大量の努力をする必要があるのです。

 

適性を磨いて磨いて、磨きまくって、「天才」が生まれるのです。「天才」とは、努力不足で結果を出せなかった人達の言い訳のために作られた言葉なのです。

 天才とは、あくまで結果に対して贈られた称号ですから、その人が生まれつき備わっていたものではありません。

 しかし、努力不足で結果を出すことが出来なかった人達には天才がいて欲しいのです。それによって、自己を正当化し自分を慰めるための言い訳としたいのです。

 

「あの人は天才だから、あれだけの結果を出せるのだ」と。

 

 これが現実です。「あの人は天才だから」と結果に対して評論をするのではなく、自分の努力不足という原因に対して反省をしなくてはいけないのです。

 

 天才は存在しなくても、適性は間違いなく存在します。しかも、誰しも備わっています。それが野球なのかサッカーなのか、音楽なのか、絵画なのか、国語なのか、英語なのか、理科なのかが人それぞれであり、皆がオンリーワンになのです。したがって、誰もがイチロー選手のような野球の適性があるわけではありません。適性を見抜く必要があります。

 

 私達は皆が、磨かれていないダイヤモンドです。適性を見抜くのは口で言うのは簡単でも、一朝一夕に出来るものではありません。しかし、そのヒントは意外と簡単です。心から楽しいと思えること、夢中になれること、それをしている時は、時間の経過を早く感じること。そう思えるのは間違いなく、それに適性があるからです。