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【有職故実】鎌倉時代の学問をわかりやすく

こんにちは。本宮 貴大です。

今回は「【有職故実鎌倉時代の学問をわかりやすく」というテーマでお伝えしたいと思います。

鎌倉時代は、武士による政治支配がはじまり、公武二重政権から政治における武士の比重が強まった時代でもありました。しかし、武士は一般的には武士特有の道徳や武芸の習練には熱心でも、学問の教養は低く、独自の文化を創造する能力や関心に欠けていた。そのため、学問研究は専ら伝統ある貴族の間で行われていた。しかし、貴族は新しいものを切り開いていこうという積極的な気構えには欠いていたから、貴族の学問は、家ごとに専門を世襲する家学となって固定し、没落しつつあった貴族の懐古趣味に支えられて、古典研究や有職故実がさかんとなりました。

古典研究では、『万葉集』、『日本書紀』、『源氏物語』、『古今和歌集』、『伊勢物語』などの注釈書が作られました。特に東国の僧である仙覚の『万葉集注釈』はのちの万葉集研究の基礎となった重要なものでした。

神道の発達とあいまち、『日本書紀』の研究も進められ、鎌倉中期の神官・卜部懐賢(かねたか)は、『釈日本紀』を著して、書紀の研究を集大成としました。

有職故実は、儀式典礼を研究する学問で、これまでに『北山抄』(藤原公仁)、『西宮記』(源高明)などがあったが、この時代には、順徳天皇により『禁秘抄』が著されました。

鎌倉時代は宋との僧侶の往来にともなって、宋学が日本に持ち込まれたことも注目出来ます。宋学とはで、大義名分と正統論を展開する朱子学のことです。

宋という国は13世紀にモンゴル族の元に押され、南に逃れた王朝だったため、異民族の支配に対して自分達こそ正統であるという意識と大義名分に大変敏感でした。

 

一般の武士は学問的教養も浅く、学問に対する関心も薄いものでした。しかし、六波羅探題の設置などによって京都の文化に触れる機会が多くなると、政治支配の必要上からも、上級武士のなかには、学問に関心を寄せる者が現れました。その代表的な人物が北条実時です。

実時は学問を好み、『群書治要』の講義を受けたりしました。さらに、自分の領土である武蔵国金沢(横浜市)の称名寺の境内に金沢文庫をつくり、京都から取り寄せた和漢の書籍をここに保管して、地域の好学の人々に借覧させたりして、学問の発展に貢献しました。

実時の子・顕時も、孫の貞顕も学問を好み、文庫を中心に活動しました。足利学校も、この時代に足利氏が一族の学問所として、下野国足利に創立したと伝えれています

 

つづく。

今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

参考文献

日本の歴史2  鎌倉~安土桃山時代  木村茂光=監修 ポプラ社 

いっきに学び直す  日本史      古代・中世・近世【教養編】