【愚管抄】鎌倉時代の歴史書をわかりやすく【慈円】
こんにちは。本宮 貴大です。
今回は「【愚管抄】鎌倉時代の歴史書をわかりやすく【慈円】」というテーマでお伝えしたいと思います。
鎌倉時代とは、鎌倉幕府が激動の末に成立しただけに、歴史への関心が高まり、歴史意識が発達した時代であることが大きな特徴です。
歴史物語としては、平安時代末期の『大鏡』のあとを受けた『水鏡』、『今鏡』があります。
『水鏡』は神代~仁明天皇までの歴史を編年体で書いた物語。『大鏡』を模倣したものだが、内容は『大鏡』よりも劣る。浪漫的傾向が強い。
『今鏡』は『小鏡』もしくは『職世継』ともいいます。1025年~1170年の歴史物語で、貴族社会への懐古(懐かしむこと)を濃厚に書いています。
そのほかにも、鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』や、日本仏教史である『元亨釈書』があります。
『吾妻鏡』は1180年~1266年の鎌倉幕府の事績を記した編年体の史書で、鎌倉時代の政治史の基本史料とされている。
『元亨釈書』は虎関師錬(こかんしれん)の著した全30巻からなり、1322年に成立し、後醍醐天皇に献上しました。日本に仏教が伝来してから鎌倉時代末までの仏教通史です。
鎌倉時代の歴史書で特に重要な著作は、慈円の著した『愚管抄』です。
慈円は関白・九条兼実の弟で天台座主(天台宗の最高職)とつとめた僧です。朝廷と鎌倉幕府の関係が険悪化すると、承久の乱の直前である1220年に『愚管抄』を著しました。
『愚管抄』の中で慈円は、保元の乱が起こってから日本は武者の世になったとし、武家政権の成立には朝廷にもその責任があるとし、そのうえで乱世における政治は武士と貴族が協力してささえるものだと主張して、後鳥羽上皇の倒幕の動きがいさめました。
保元元年七月二日、鳥羽院ウセサセ給ヒテ後、日本国ノ乱逆ト云コトハヲコリテ後、ムサノ世二ナリニケル成ケリ。
1156年7月2日に鳥羽法皇がおなくなりになってから、日本国始まって以来の反乱ともいうべき事件が起こり、それ以後は武者の世になってしまったのだ。
『愚管抄』は神代から承久の乱までの歴史書で、仏教の末法思想の影響を受け、「ウツリユク世」を一種の衰退的な歴史観でとらえ、歴史を哲学的な「道理」の理念においてその展開を説きました。日本では稀な歴史を展開的にとらえている点で、きわめて注目するできる著書です。
つづく。
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
いっきに学び直す 日本史 古代・中世・近世【教養編】
中学 見て学ぶ 国語 受験研究社