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【資本主義とは?】資本家と労働者、どちらの生き方が得?

 

 こんにちは。本宮貴大です。

 この度は、記事を閲覧して頂き、本当にありがとうございます。

 今回のテーマは「【資本主義とは?】資本家と労働者、どちらの生き方が得?」というお話です。

 

 資本主義社会には「資本家」と「労働者」の2つの階級があります。今回は、そのどちらの生き方が得なのかを見ていきながら、資本主義のしくみを解説していきたいと思います。

 この資本主義のしくみを理解しておかないと、日本史の、特に近代以降の理解が難しくなるので、是非、今回の記事でしっかりとマスターして欲しいと思います。

 

資本家

労働者

資本を持っている人

労働力を持っている人

富裕層

貧困層

経営者、起業家

サラリーマン、公務員

責任を負う

責任を負わずに済む

成果で稼ぐ

時間で稼ぐ

自由を愛する

安定を愛する

ハイリスク・ハイリターン

ローリスク・ローリターン

 

 「人間は生まれながらにして自由で平等です。」

 うん。これ以上ないくらい素晴らしく、美しいセリフですね。

 ですが、実際の社会では「これでもか」というほど自由は制限されていますし、不平等が存在します。

 なぜ、私達の自由は拘束されているのでしょうか。

 なぜ、私達には不平等が存在するのでしょうか。

 それは、現在の私達が、資本主義という社会の中に組み込まれているからです。

 では、資本主義とは、どんな社会制度なのでしょうか。

 資本主義とは、生産手段を私有している資本家が、労働力以外に売る物を持たない労働者の労働力を商品として買い、賃金部分を上回る価値を持つ商品として生産して、利潤を得る経済のこと。(大辞林より引用)

 もう少し分かりやすく説明します。

 資本家とは、土地、建物、機械設備などの商品を生産するための生産手段(資本)を持っている人達のことです。資本家はさらに労働者の労働力を使って、自らの利益を増やすことを考えます。そのために資本家は労働者に賃金を払い、その労働力を受け取ります。

 一方、労働者とは、その名通り「労働をする人達」のことですが、資本を持たず、労働力のみを持っている人達のことです。彼らはその労働力を資本家に提供することで、お金という対価を受け取るのです。

 

 このように資本主義社会には資本家と、労働者という2つの階級が存在し、両者は互いにお金と労働を取引する関係にあることが、大きなポイントになります。

 

 資本家とは、平たくいえば、「富裕層」です。自らが私有している資本と労働者から買った労働力を使って、どんどん商品を生産し、どんどん販売網を広げ、儲けを増やしていきます。

 一方、労働者とは、平たく言えば、「貧困層です。毎月決められた給料を資本家から受け取ります。その金額は資本家に比べて非常に少なく、暮らすだけで精いっぱいです。

 また、資本家とは、経営者(社長)や起業家のことで、労働者とは、サラリーマンや公務員の人達です。

「え?サラリーマンだって毎月給料貰っているし、高収入の人だっているじゃん。」と思った人もいるでしょう。

 確かにサラリーマンだって節約すれば貯金だって出来ます。しかし、じゃんじゃんお金を設けている資本家の財産に比べたらサラリーマンの貯金など雀の涙です。本当です。成功している資本家はお金の豊かさに関しては、本当に文句なしです。私達の社会が平等だと感じないのは、資本家と労働者という2つの階級に人々が分けられているからなのです。

 

 ところで、この2つの階級は、江戸時代の「士農工商」のような身分制度ではありません。よく勘違いされることですが、「資本家」と「労働者」は家柄や身分ではありません。階級です。なので、自分はどちらの階級に入ろうか選ぶことが出来るのです。

 これが明治維新によって、日本は急速な西洋化を図りました。それに伴い、日本にも資本主義が入ってきました。士農工商身分制度が撤廃され、四民平等になりました。

 四民平等は人々に職業選択の自由と、商売の自由を与えました。

 しかし、職業選択の自由が与えられ、人々は悶々とした封建制社会から解放されたものの、結果的に人々が「資本家」と「労働者」という新しい階級の中に組み込まれていったのです。

 なぜ、そうなったのでしょうか。

 先程から出て来ている「自由」という言葉がキーワードになります。自由に職業を決めて、どんな商売も自由にやって良い。と言われると、人は困惑するのです。

 なぜでしょうか。

 実は自由って重いんです。

 20世紀のフランスの哲学者・サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言いましたが、自由にするなら、それによって生じた責任も全て自分が負わなくてはいけないのです。自由は責任と表裏一体の関係にあるのです。

 資本家は、自由にどんな商売でもやって良いという代わりにその責任を負わなくてはいけません。では、その責任とは具体的に何なのでしょうか。それは、成果が出せたかどうかです。資本家は成果でお金を稼ぐのです。資本家は、仕事で成果を出せなければ、儲けはゼロです。しかし、儲けがなくても従業員には必ず給料は払わなければいけません。仕事が出来たかどうか、成果を出せたかどうか、それら生じた結果に対して資本家は全ての責任を負わなくてはいけないのです。

 

 一方、そんな責任を負いたくないと思う人達が現れました。

 責任を負うくらいなら多少自由は制限されても、誰かに支配される(雇われる)方が良いという人達です。その人達は労働者として資本家に雇われる道を選びました。

 労働者はその過酷な労働に耐えなくてはいけないので、大変ですが、儲けが出なかった時や、会社が倒産した時も責任を負う必要はありません。

 それに、労働者は何より安定しています。資本家に雇われてさえいれば 突然収入が途絶えるということはありません。労働者は時間で稼ぐのです。何時間働いたか。何日間働いたかによって給料が決まるのです。

 つまり、労働者は時間と給料を交換しているのです。

 しかし長時間働けば、より多くの給料がもらえるわけではありません。もしそうなら、工場や建設現場の管理者、レストランや小売店の店長が大成功者ということになります。

 しかし、現実はそうではありません。

 それもそのはず、労働者の月給や時給は資本家(雇用者)によって固定されているからです。労働時間の長さが高収入を決める要因ではないのです。

 それに、時間という有限な資源と交換している以上、対価である給料は有限なものになってしまいます。

 

 一方の資本家は成果で稼ぐため、時間給は固定されていません。例えば、100時間働いて商品を作っても、その商品を1万円でしか買ってもらえなければ、時給は100円になります。しかし、1時間の講演で100万円以上を稼ぐ著名な作家さんなら、時給は100万円になります。

 

 こうして責任は伴うが、お金をたくさん得たいと思う資本家と、お金は必要最小限しか得られないが、責任は負わなくて済む労働者の2つの階級が生まれました。

 

 資本家は基本的に自由です。先程、自由と責任は表裏一体と述べましたが、資本家は責任を負う分、自由が手に入ります。

 なぜでしょうか、労働者がしっかり働いてくれているからです。労働者がしっかり働いてくれるあいだは、儲けが生じているので、資本家は自由になれます。

 それに資本家は、その立場上、自由に過ごしても誰にも文句は言われません。旅行に行こうが、家でゴロゴロしていようが、美味しいモノを食べに行こうが、映画を観に行こうが、ドライブしようが、リラクゼーションエステに行こうが、おしゃれな街で雑貨屋巡りをしようが、温泉に行こうが、ゴルフに行こうが、自由な時間を満喫することが出来るのです。

 

 一方、労働者は労働している時間は基本的に拘束されます。自由ではありません。当然ですよね。労働者は、労働というものに対してお金という対価を資本家からもらうで、労働者は労働からは避けて通れません。始業時間が決まっており、「9時出社」のところを「10時に出社すると無断遅刻とみなされ、給与も減額され、勤務態度において人事考課に影響が出ます。

 始業時間に出勤し、それぞれの持ち場で仕事をし、終業時間にはなったら退社します。その時間内の自由は拘束されます。サボるなど言語道断です。

 しかし、労働者は安定しています。これは労働者の最大のメリットと言えるでしょう。それは毎月決まった額の給料が支給されるということ。これは、特に家族を持っている人達には大きなメリットになります。

 労働者は労働さえしていれば、突然収入が途絶えるということはありません。倒産した時の責任も負う必要がない。しかし、労働者はその安定と引き換えに、賃金は資本家に比べ、かなり低いです。一応、最低賃金が定められたりしていますが、基本的に資本家が決めた賃金です。ローリスク・ローリターンなのです。

 

 一方、資本家は労働ではなく、負っている責任に対してお金という対価をもらっています。ところが、毎月、一定の額の報酬をもらうことは出来ません。月収2万円の月もあれば月収200万円の月もあります。これは労働者の安定性とは程遠いものです。

 しかし、安定収入がないかわりに大きく稼ぐことも出来ます。その額は実際には有限ですが、理論上は無限です。資本家の報酬は商人をどれだけ売ったかできまります。すなわち、市場(マーケット)が決めるのです。ハイリスク・ハイリターンなのです。

 このように資本家とは常に、成功するかも知れないし、失敗するかも知れないというリスク(不確実性)の中で生きているのです。

 

 ハイリスク・ハイリターンな資本家、ローリスクローリターンの労働者、どちらの生き方が良いか個人の選択に任されますが、どちらも一長一短の生き方になります。

 しかし、この両者の関係に亀裂が入ることが起きてしまいました。

 足るを知らない資本家が、自らの利益を最大化させるために、労働者の労働に対し、正当な対価を支払わないという搾取が起きてしまったのです。すなわち、労働者は、毎日ヘトヘトになるまで長時間労働を強いられ、しかし、お給料は少なく、カツカツの生活しか出来ない。お金は貰っていても、ほとんど奴隷のような存在になってしまったのです。

 結局、資本主義社会とは、資本を私有している資本家が一番エライということになっており、儲かった分は、労働者にはいかずに全て資本家にふところに入るのです。労働者は雇われている立場上、資本家に反抗することが出来ません。

 そこで、何とか労働者を搾取から解放するために現れた思想が社会主義とよばれるものでした。 

motomiyatakahiro.hatenablog.com

 

 以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

学校が教えないほんとうの政治の話      斎藤奈美子=著  ちくまプリマー社

サラリーマンだけが知らない好きなことだけして食っていくための29の方法 立花岳志=著 大和書房