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【社会契約説】政府は不要!?なぜロックは政府を必要悪とみなしたのか

こんにちは。本宮貴大です。

今回のテーマは「【社会契約説】政府は不要!?なぜロックは政府を必要悪とみなしたのか」というお話です。

 

 今回の主人公は社会契約説の2人目であるイギリスの思想家、ジョン・ロック(1632~1704)です。

その上で、「政府は不要!?なぜロックは政府を必要悪とみなしたのか」を見ていきながら、ストーリーを展開していきたいと思います。

 

 本題に入る前に社会契約説における前提知識を復習しておきます。

私達は一人で生きていくことは出来ません。

そこで人々は社会を形成し、みんながそれぞれの役割分担をするようになりました。しかし、社会を作った以上、集団生活となるため、必要最低限のルールや決まりを守らなければいけません。このような人間が生きていく上で必要最低限のルールや決まり、法律のことを「自然法」と言います。

同時に人間には以下のような欲求があります。

「安心して暮らしたい」

「自由に物事を決めたい」

「豊かに暮らしたい」

「自分の財産を守りたい」

生命、自由、平等、財産などの人間が生まれながらに持っている欲求を自然権と言います。

社会はこの自然法自然権を人々に保証するために形成されました。これが社会契約説の基本的な考えです。

この自然法自然権を前提知識として覚えておいてください。

 

 1651年、日本では江戸幕府3代将軍・徳川家光の厳しい武断政治により、諸大名はおとなしくなり、平和な江戸時代の礎が出来上がりました。やがて、4代将軍・徳川家綱の治世になろうとしていまいした。

同じ頃、イギリスでは、国王であるジェームズ1世のイングランド国教会を強要するなどの専制政治を行っていました。これに不満を持っていた異教徒のピューリタンが革命を起こします。1641年に勃発したピューリタン革命です。

イングランド国教会は王党派として、ピューリタンは議会派として2つのグループに分かれ、内戦はおよそ10年間続きました。当初は王党派が優勢でしたが、徐々に議会派が勢力を伸ばします。その中心にいたのが、規律正しい鉄騎隊を率いたクロムウェルという人物です。

革命は議会派の勝利で終わり、ジェームズ1世は処刑。絶対王政が倒れたことで、イギリス史上最初で最後の共和制が誕生しました。

 

 

そんな中、イギリスの中産階級の子として生まれたジョン・ロックは、オックスフォード大学で哲学・医学を学んでいました。彼も敬虔なピューリタンだったため、共和制の誕生を喜びました。

 

しかし、ピューリタンとはキリスト教の中でも禁欲的で「質素・勤勉」を美徳とする思想でした。クロムウェルはこのピューリタンの思想を国民に押し付けます。

これに嫌気がさしたイギリス国民は1658年、クロムウェルの死後、オランダに亡命していたチャールズ2世をイギリスに呼び戻し、王政復古が実現します。

 

国内のピューリタンは肩身の狭い思いをし、これと同時にロックはオランダに亡命します。

 

しかし、チャールズ2世も、その次のジェームズ2世も絶対王政を利用し、強行な専制政治を行ったため、1688年に再び革命が起きます。名誉革命です。

 

イギリス議会はジェームズ2世を追放し、代わりにオランダからジェームズ2世の娘メアリとその夫オラニエ公ウィレムを招き、共同君主メアリ2世・ウィリアム3世として即位させました。この名誉革命はほとんど戦闘のないクーデタだったので「名誉」と呼ばれています。

もう国王に専制政治を行わせないように権利の宣言に署名させ、権利の章典として発布させます。これによってイギリスでは国王が王権を濫用し、無理な命令を出さないよう議会が王権を制限する議会政治が誕生しました。

 

名誉革命の翌年に帰国したロックは、この名誉革命に感銘を受け、著書『統治ニ論』を出版し、名誉革命を正当化しました。

この『統治ニ論』に彼の社会契約説が展開されています。

 

 

ロックの「社会契約説」はいかなるものなのでしょうか。

「契約」という言葉が含まれているため、誰かと誰かが契約をしているのです。

誰と誰でしょうか。

国家と国民です。国家と国民が互いに契約を結んでいるのです。

なぜ国家と国民が契約を結んでいるのでしょうか。またどのような契約を結んでいるのでしょうか。

前回のホッブズは国民同士の契約でした。ホップズによると、人間は基本的に利己的なので自然権を持たせると、私利私欲を満たすため、互いに財産の奪い合いをしてしまい、社会秩序が乱れ、自然法が機能せず、かえって各人の自然権が危うくなると述べました。そこで、国民は互いに約束をしました。「奪い合いや争いはやめよう。欲望を捨てて、互いの生命や財産を尊重しあうようにしよう」と。つまり、自然権を放棄させたのです。

 

放棄した自然権は全て国家に譲渡し、国家は絶対的な君主として国民を統治し、自然法を確立させ、各人の自然権を保証するべきだと結論付けました。

 

しかし、今回のロックはホップズとは逆の主張をしています。ロックによると、人間は自然権を持っていても、争いなどせず、他者の権利を侵害してならないという理性のもと、平和を保とうとするものだと主張します。なので、国民同士が約束する必要も、自然権を放棄する必要もないと述べました。つまり、ホッブズは人間に対し、性悪説を唱えているのに対し、ロックは性善説を唱えています。

 

しかし、これだけでは人々の平和は不完全です。

 

そこで、国民と国家が互いに契約を結ぶ必要があります。どのような契約なのでしょう。国民は国家に対し、ある権限を委託します。

国民が持つ自然権とは「自由や平等」のことですが、国民の中には、それを間違えて解釈する人が現れます。「自由」と「好き勝手」は全く違います。そこで、国家は好き勝手に振る舞ったことで社会の秩序を乱し、自然法を脅かした者を厳しく罰しなくてはいけません。そこで国家は法律を制定し、(立法権)その法律を実施(執行権)する権限を有する必要があります。

 

 

一方、国家も国民に対し、ある権限を委託します。それは国家が権利を濫用し、無理な命令を国民に下した場合、国民は抵抗する権限と革命を起こす権限です。

 

つまり、国家は国民に対し立法権と執行権を。国民は国家に対し抵抗権や革命権をそれぞ

れ有しているという契約です。

しかし、ロックは国家が有する立法権と執行権を分立させることを主張しています。権力を分散させることで、国家が権力を濫用することを防ぐのです。後にモンテスキュー司法権を加えた三権分立を唱えます。現在の日本でも国会(立法)、内閣(執行)、裁判所(司法)がそれぞれ3つの権力として分立しているので、イメージしやすいとおもます。

 

とこで、ホッブズ絶対王政を支持し、主権は国王にあるとしましたが、対するロックは、「王様の権利は神から授かったもの。なので、王様の言う事は絶対!!」という王権神授説を否定。主権は国民にあるとしました。

 

しかし、主権は国民にあると言っても国民全員が政治に参加することは物理的不可能です。

そこで、国民が代表者を選び、その代表者が代わりに政治を行うとする議会制民主主義(間接民主主義)を唱えました。これは現在の日本にも取り入れられているので、皆さんもイメージしやすいと思います。

 

では改めて、なぜロックはなぜ政府を必要悪とみなしたのでしょうか。

人間は基本的に良心的で他者に対して寛容であると考えたロックは、政府などなくても社会はしっかりと機能すると考えたからです。したがって、ホッブズが言うような人々が自然権を放棄する必要は全くありません。しかし、その自然権を間違えて解釈する人がいるので、その違反者を処罰するために国家は必要であるということです。

 

今回はロックの思想について紹介してきましたが、大変奇麗な彼の理論は、完璧ではありません。それは現在、日本に暮らしている私達はよく知っています。

特にロックが主張した議会制民主主義は悪徳や不平等が横行し、競争や嫉妬によるゆがめられた状態へと堕落しています。

政治の世界は基本的に限られたパイの奪い合いなのです。議員の人数は決められているので、選出された勝者がいれば必ず落選した敗者がいます。さらに議員の給料も全て税金という限られたパイを議員同士で分け合うことになります。限られた人数で限られたパイを奪い合う政治空間では、「政治とカネ」の問題が絶えることはありません。

 

これらの点がビジネスの世界と大きく異なる点です。例えば、商品を作る製造部門と、その商品広げる卸部門が手を組み、ヒットすれば儲けは無限大です。

 

このように政治の世界は非常に割に合わない世界です。

実はこのことを当時の段階から指摘していた人物がいます。ジャル=ジャック・ルソーです。ということで次回はャル=ジャック・ルソーの思想をご紹介します。

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

観光コースでないロンドン 中村久司=著 高文研

対話で入門 西洋史  赤阪俊一=著   森話社

日本人のための世界史入門 小野野敦=著 新潮新書

教科書よりやさしい世界史  旺文社