【イギリス絶対王政】なぜエリザベス一世は生涯独身を貫いたのか
こんにちは。本宮貴大です。
今回のテーマは「【イギリス絶対王政】なぜエリザベス一世は生涯独身を貫いたのか」というお話です。
ヨーロッパで起きた宗教改革によってカトリック(旧教)から独立し、ドイツではルター派が、スイスやフランスではカルヴァン派がプロテスタントとして誕生。そしてイギリスでもカトリックから独立し、イギリス国教会がプロテスタントとして成立しました。
今回の舞台はイギリスです。今回もストーリーを展開していきながら、「なぜエリザベス一世は生涯独身を貫いたのか」を紹介していきたいと思います。
よく勘違いされていることですが、現在のイギリスはイングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドの連合国です。日本の「世界史」ではほぼイングランドについて語られているため、以下イングランドと呼ぶことにします。
1455年、イングランドではバラ戦争が発生し、「赤いバラ」の紋章を掲げるランカスター家と「白いバラ」の紋章を掲げるヨーク家が王位をめぐり、血なまぐさい戦いを続いていました。
結局、この戦争は30年続き、1485年にランカスター家の一員だったテューダー家のヘンリとヨーク家のエリザベスの結婚によって終結します。このエリザベスは今回の主人公であるエリザベス1世のおばあさんになります。
日本でも1467年に応仁乱が起きており、その後100年間戦国時代という血なまぐさい時代が訪れていました。
バラ戦争終結後、争っていた貴族達は互いに疲弊してしまい、王権が相対的に強くなったため、イングランドはテューダー家が統一し、ヘンリはヘンリ7世として「テューダー朝」を開き、イングランドの国王として君臨していました。
そして1534年、ヘンリ7世の息子であるヘンリ8世のとき、イングランドの絶対王政の盤石な基盤が作られます。
日本でも16世紀に織田信長という強力な支配者が現れます。信長は本能寺の変で急死してしまい、秀吉が後を継ぎますが、本能寺の変がなければ「信長王朝」という絶対王政の時代が訪れていたかも知れません。西洋で絶対王政が確立するころ、日本でも絶対的な権力を持った国王が現れたのです。
ヘンリ8世が確立した絶対主義国家はエリザベス1世の時に黄金時代を迎えます。しかし、イングランド国内のカトリックとプロテスタントの勢力争いは絶えませんでした。エリザベスは生涯独身を貫くことで、そのような勢力に利用されることを防ぎ、イングランドの国家態勢をゆるぎないものにしたのです。
ヘンリ8世(以下、国王)はカトリックと絶縁しますが、その理由はカトリックが離婚を禁止しており、ヘンリ8世は離婚をしたいがためにカトリックと絶縁したとされています。
しかし、それ以上に大きなメリットのあった目的はカトリック修道院の土地や建物などの財産を没収することでした。没収した領地はジェントリ(郷紳)と呼ばれる各地の地方行政官に分け与えました。領地を得たことで力を強めたジェントリ層は国王を支持するようになります。これによってイングランドの絶対王政の基盤が確かなものになりました。
こうしてヘンリ8世が確立した『絶対主義国家』は娘のエリザベス1世によってゆるぎないものになります。
ヘンリ8世の死後、王位はエドワード6世、メアリ1世と受け継がれます。しかし、メアリ1世は父親(ヘンリ8世)が創設したイングランド国教会を再びカトリックに戻してしまいます。
そして、メアリ1世の死後、1558年にエリザベスはエリザベス1世(以下、女王)として即位します。翌年、イングランド国教会の礼拝・祈祷の統一基準を定めた統一法が発布され、再びイングランド国教会が確立されます。
しかし、女王は即位当初からカトリックに対しては寛容な態度を示していました。女王に忠誠を誓い、カトリックを政治に結び付けなければ弾圧や禁止は行わないとした。しかし、カトリック勢力の王権打倒とプロテスタントに対する攻撃は止むことはありませんでした。これが後に清教徒が市民革命を起こすのです。(清教徒革命)
一生涯独身を貫いた女王は「バージン・クイーン」と呼ばれました。
彼女はなぜ独身を通したのでしょうか。
それまでのイングランドにはカトリックとプロテスタントが入り混じり、様々な派閥や勢力争いが絶えませんでした。なので国内の誰かを結婚相手に選ぼうとすると、どこかの勢力に利用されてしまい、自らの地位も危うくなる危険性がありました。
さらに海外の皇室から選ぼうとすると、宗教や思想の違いから外交紛争や戦争に巻き込まれる危険性も潜んでいたのです。
女王は結婚を強く勧める側近に対し、こう言い放ちます。
「私はイングランドと結婚している」
女王はイングランドの秩序と平和のために自らの一生を捧げたのです。
しかし、日本人から見ると、西洋の平然と他国の王と結婚する慣習は違和感を感じます。西洋では王や貴族は国を超えて国民とは違う別種の生き物という認識があったのでしょうか。
話を戻します。
女王が生涯独身を貫いた理由は、このような彼女の鋭い洞察力があったからなのです。
イングランドの大航海時代はエリザベス1世の時代に訪れます。アルマダ戦争でスペインの無敵艦隊を打ち破ったことで制海権を獲得しました。さらに貿易の中心が地中海から大西洋に移ったことで、貿易権を独占したイングランドは経済大国としても台頭するようになります。そしてシェイクスピアのような大作家が生まれたことで文化も盛況を迎えました。イングランドはエリザベス1世の時代に政治・軍事・経済・文化などあらゆる面で黄金期を迎えたのです。
ちょうどこの頃、ヨーロッパは大航海時代を迎えており、先陣をきっていたのはポルトガルとスペインで、両者はコショウを求めて大航海対決をしていました。
motomiyatakahiro.hatenablog.com
ポルトガルのパスコ・ダ・ガマは15世紀末にインドに到着し、ポルトガル領インド総監になりました。スペインのコロンブスは西廻りでインドに向かいますが、1492年に新大陸を発見します。その後、マゼラン海峡を発見したマゼラン一行は世界で最初に世界周航を達成しました。
遅れをとったイングランドも1577年、世界一周を目指し、5隻の艦隊がイングランドを出発しました。艦隊長はフランシス=ドレークという人物で大西洋から南アメリカのマゼラン海峡を経て太平洋に出ました。その後、インド洋に至ってアフリカ大陸南端の喜望峰を回り、イングランドに帰還しました。艦隊は当時スペイン領だったチリやペルーで船舶を攻撃し、膨大な金・銀を持ちかえっており、女王に献納しました。
1588年、攻撃と略奪を受けたスペインは報復に出ます。スペインは「打倒!エリザベス1世」、「イングランド征服」を掲げ、スペイン無敵艦隊を仕向けてきました。アルマダ戦争の始まりです。
スペイン艦隊は8000人の船員が操縦する151隻の船艇と、1万8000人の兵士で編成されていました。迎え撃つイングランドでは、なんとエリザベス1世自身が全線に出向きました。
女王は4000人の兵士の前で以下のようにスピーチします。
「私は身体の弱いひ弱な女であることは承知している。しかし、私はイングランド国王の心と勇気を持っている。私自身が武器を取る。私達は必ず敵を打ち、偉大な勝利をもたらず」
エリザベスをトップに、指揮をとったのは世界一周を達成したドレイクでした。ドレイクの戦術は近代的な組織化された海軍戦法ではなく、体当たり的な海賊戦法で、可燃物を満タンに詰め込んだ船艇に放火し、燃え上がる船艇を敵艦隊に次々に突進させるというものでした。
しかし、逆にこれが相手の意表を突くことが出来ました。この捨て身の戦法にスペイン艦隊は編成を乱し、強風もイングランド側に有利に働いたこともあり、スペイン艦隊を撃沈・難破・排撃に追いやることに成功しました。
このアルマダ戦争でのイングランドの勝利に国民は熱狂。女王への信望はさらに高まりました。この国民感情は女王にも伝わり、彼女は議会で以下のように話したそうです。
「いかに高価な宝石でも、あなたたちの女王への愛ほど価値のある宝石はない」
さらに、女王の時代は重商主義政策が行われ、貿易、工場制手工業が発達しました。ロンドンから世界各地へ貿易ルートも確立し、毛織物や羊毛製品、毛皮製品などが輸出されました。寒いヨーロッパでは特に羊毛製品は爆発的に売れ、イングランドは軍事力だけでなく、経済力も強めることが出来ました。
そして貿易の中心は地中海から大西洋に移ります。その象徴となるのが、東インド会社の設立です。東インド会社はアフリカ大陸南端の喜望峰から南アメリカ南端のマゼラン海峡にいたる大西洋一帯の貿易を独占したのでした。
そして女王は文学や文化に深い造詣があり、女王は積極的に演劇を支援。これはロンドンでも演劇がエンターテイメントとして定着し始めていたことも理由の一つです。そんな中、活躍したのが、シェイクスピア(1564~1616)です。エリザベス1世の在位期間とシェイクスピアの活躍期間は重なっており、彼の演劇座の重要なパトロンの一人がエリザベスでした。
この時代、イングランドはナショナリズムの気運が高まり、文化が盛況します。そんな中、「ロミオとジュリエット」や「ヴェニスの商人」などのシェイクスピアの話題作が誕生したのです。
このようなイングランドの華やかな文化の開花は財政基盤がしっかりしており、国家としてのアイデンティティーを確立させた女王の時代だからこそ出来たことなのです。
その後、女王は1603年に亡くなります。ちょうど日本では徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開きました。
以上
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
観光コースでないロンドン 中村久司=著 高文研
日本人のための世界史入門 小野野敦=著 新潮新書
教科書よりやさしい世界史 旺文社