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【二宮尊徳】超一流の農政改革者から学ぶお金の使い方。

 こんにちは。本宮 貴大です。

今回のテーマは「【二宮尊徳】超一流の農政改革者から学ぶお金の使い方。」というお話です。

二宮尊徳はその勤勉さと節約、積善によって農業技術を習得。その功績は高く評価され、ついには幕府に農政指導を依頼されるまでに至った。現代人も彼の思想から学ぶべきことがたくさんあります。

 

 

 前回は工業によって藩政改革を遂げ、雄藩となった藩が出てきたことを述べました。一方で、定信の目指した土地至上主義に応えるように、藩の中には従来通り、農業を復興させることで藩財政の再建を図った藩もありました。

 

 その代表例として小田原藩を挙げてみたいと思います。

 小田原藩農政改革を成功に導いたのが、二宮尊徳です。

 彼の幼名は・・・そうです。金次郎です。二宮金次郎といえば戦前の小学校の校庭に必ず置いてある少年像ですが、薪を担ぎながら勉強するという勤労少年の模範とされていました。

 二宮尊徳は1787年、今の神奈川県小田原市に生まれます。ある大嵐の日、川が決壊する事故が起きます。当時は今みたいなコンクリートの堤防が整備されていませんから、川の決壊は頻繁に発生していたのです。

 家は流され、両親も亡くします。しかし、尊徳は、家を復興するために、農業だけでなく、夜なべ仕事や日雇い仕事に精を出し、蓄財に励みます。その合間に算術や読書を独修し、農政研究も行います。そうした尊徳の地道な努力が実り、家を再興、貯蓄した財力で土地を増やし、地元では有力な地主になることが出来ました。

 

 こうした尊徳の勤勉さと功績は小田原藩主の目に止まります。尊徳は小田原城に呼ばれ、桜町領(栃木県芳賀郡)の農村復興を一任されました。

 尊徳は10年間の期間を与えられ、耕作人口を増やすために他国から百姓を招いたり、農具や用水路を整備したり、干鰯(ほしか)などの効率の良い肥料を導入したりと出来る限りのことを行った。そうして毎日、朝から晩まで農村を巡回し、農民達に勤勉、節約、積善を説いて回るなどの教化政策を行いました。

 その結果、見事、桜町領は復活を遂げました。

 この農政改革手法は全国に知れ渡り、1843年、56歳の時、遂に幕府から天領(幕府の直轄地域)の農政復興を依頼されるまでにいたった。

 

 のちに尊徳の手法は報徳仕法として弟子達に受け継がれ、全国へ普及していき、明治・大正時代になっても報徳仕法は衰えず、全国各地に尊徳の思想を重んじる報徳社が結成されました。それだけでなく、明治国家の農村発展や国民教化策の手法として取り入れられるまでに至りました。

 戦後の民主化政策によって、尊徳の思想は急速に衰えましたが、今現在の私達でも学ぶべきことは非常に多いです。

 

 彼の報徳仕法によれば、「農業とは、自然のままの天道とそれに従い、穀物を得ようと作為する人道により成立つ。」としています。

 

「天道」とは自然環境や境遇、条件など自分達の力ではどうすることも出来ない変えることの出来ない外部環境のことで、宿命や運命と言い換えることも出来ます。

一方で、「人道」とは、自分自身の考え方や行動など自分で変えることが出来る内部環境のことです。

 

 農作物には豊凶というものがあります。苦労して稲を育てても、突然の長雨や、火山の噴火などの不可抗力によって今までの苦労が水の泡になることもしばしばあります。

 しかし、いくら自然を恨んだり、環境を恨んだりしても状況は好転しません。尊徳は、そのような環境下の中で、自分達はどのように考え方を変え、どのように行動を変えるかに全力を注ぐことが大事だと唱えたのです。

 

 幼い頃、川の決壊によって両親を亡くすという自然の脅威を思い知らされた尊徳ならではの考えだと思います。自然という不可抗力的なものを相手にいかに自分達の豊かな生活を手に入れるか。尊徳はこれをずっと考え、答えを導き出したのでしょう。

 

これは、現代の私達にも言えることですよね。

 私達は物事が上手くいかない時、「友達が悪い、親が悪い、配偶者が悪い、先生が悪い、上司が悪い、会社が悪い、国が悪い、社会が悪い、時代が悪い。」など自分の置かれた環境や時代背景、社会情勢などに責任転嫁します。だから自分は悪くないと必死で正当化するのです。そうすれば心が晴れ渡り、楽になるからです。一瞬だけですが・・・

 

 これは江戸時代の人達も同じだったようですね。

 江戸時代とは封建社会であり、朱子学に完全に毒されているので、農民達は文句を言わずに武士達に年貢を収めるために農業に励むことが当たり前の世の中です。

 

 江戸時代中期の思想家である安東昌益は当時の社会情勢を、「武士が農民を支配する差別と搾取の世の中だ」と批判していますが、おそらく当時の農民達も「天気が悪い。土地が悪い。幕府が悪い。藩主が悪い。武士が悪い。時代が悪い。朱子学が悪い」と置かれた状況を嘆いていたでしょう。

 確かに、農民が一番苦労して社会の生命線であるお米を作っているにも関わらす、農民が自然の脅威や重い年貢に苦しむという一番冷遇されていた身分だったのは事実です。

 

 しかし、尊徳はそんな農民達を戒めます。「境遇や条件をいくら嘆いても事態が好転することはない。いくら泣こうが嘆めこうが。そんなエネルギーがあるなら、自分達は何が出来るかを考えなくてはならない。本当に世の中や政治を変えたいのであれば、自らが政治家になるために何をしなければいけないかを考えなくてはいけない。置かれた状況を前提条件とみなすことで初めて物事のスタートラインに立つことが出来るのです。」と。

 

 このように尊徳は農民達の自己変革を通じて、荒廃した農村を復興した人なのです。

 

 では、尊徳の考える「人道」とは、いかなるものなのでしょうか。

それは「収入に応じて支出に限度を設けて生活し、倹約によって生まれた余剰を社会に還元すること。」だとしています。

 

もはや「素晴らしい」の一言に尽きますね。

 

 これは時代を問わず言えることですね。今現在の私達にもこうした悩みを持っている人達はたくさんいます。

 多くの人は収入が増えれば全ての問題が解決すると思っています。しかし、それは大きな間違いです。

 毎月20万円の収入で21万円を遣ってしまう人は、たとえ毎月100万の収入を貰っても101万円を遣ってしまう人なのです。

 与えられた条件下でいかに余裕のある生活を送るか。そのためには自分の感情をコントロールするという自己変革が必要になります。

 

 自己変革が出来ないと、いくら収入が増えてもいつまでも赤字の生活を送る羽目になります。そういう人はいつまでもお金持ちにはまれず、いつまで経っても豊かな暮らしは出来ません。たとえ年収1000万円だろうが。2000万円だろうが。

 

 支出予算を決め、その中で生活をする。いかなる収入であっても、収入-支出=黒字の生活が出来て初めて、収入が増えた時に豊かな生活が出来るようになるのです。

「給料が安い、税金が高い。」と嘆く前に、支出予算を決めて、予算の範囲内で生活をする能力を身につける必要があるのです。

 

家計も経営も、実はびっくりするくらいシンプルなのです。

 

二宮尊徳はそれを徹底していたために、自分の農家だけでなく、小田原藩の依頼や、幕府の依頼など規模が大きくなっても成果を出すことが出来たのです。

 

以上。

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。