【寛政の改革】松平定信の世直し政策とは?
こんにちは。本宮 貴大です。
今回のテーマは「【寛政の改革】松平定信の世直し政策」というお話です。
わかりやすさを重視するために寛政の改革を書きなおしました。参考までに田沼と定信の違いをならべた表を掲載しておきます。
田沼意次 | 松平定信 |
貨幣至上主義 | 土地至上主義 |
中央集権化を目指す | 地方分権化を目指す |
近代的国家の樹立 | 伝統的国家への回帰 |
経済発展を優先 | 社会保証の充実 |
放任政治 | 統制政治 |
快楽主義 | 禁欲主義 |
寛政の改革は「打ちこわしによって生まれた改革」と言いました。
凶作→飢饉→米価高騰→一揆・打ちこわしの激化→社会構造の崩壊
この一連の流れを押さえていれば寛政の改革をしっかりと頭に入れることが出来ます。それぞれについての解決策こそ、寛政の改革です。
- 凶作・飢饉対策
- 米価高騰の対策
- 一揆・打ちこわしの対策
前回は寛政の改革の本質的な部分に着目しましたが、今回は具体的にどのような政策をしたのかについてみていきたいと思います。
寛政の改革の最大の目的は、「崩壊した社会構造を再建すること」。そのためには、諸藩と民衆を自立させ、従来の土地至上社会へ回帰させることでした。
まず、凶作及び飢饉対策をしなければなりません。
各地の藩に対しては、「囲い米」という制度が設けられます。これは全国の諸藩に社倉や義倉という蔵を設け、毎年米の備蓄をするよう命じたものです。さらに幕府の直轄地域でも蔵を設け、米の備蓄をさせました。
つまり、「幕府も米を貯蓄しておくから、諸藩も米を貯蓄し、飢饉に備えなさい。」ということです。
農民に対しては、食べ物を求めて江戸に集まった農民を地方の農村に帰らせる旧里帰農令を出します。
つまり、「農業に専念し、自給自足の生活を確立させなさい。」、「米が凶作になっても、別の農作物で乗り切れるようにしなさい。二毛作をどんどんやりなさい。」
ということです。そのために定信は商品作物の禁止をしています。つまり「儲かる農作物より食べられる農作物を栽培せよ。」ということです。
また、農村では飢饉が起きると食料不足から子育てが困難になります。すると農村では間引きが横行します。間引きとは生まれたばかりの子供を殺すことですが、定信はこれを防ぐために小児養育金を支給しています。
これ以外にも新たな農地開拓のための開発資金も支給しています。
ではお金で生活している江戸の町人達(職人・商人)はどうすれば良いのでしょう。
定信は江戸では七分積金をするよう命じます。七分積金とは町内で土地を貸している地主が負担していた町入用(ちょういりよう)と呼ばれる町の運営費用を節約するように命じ、浮いた分の70%を積み立てておく制度です。
積み立てたお金は以下のことに使われます。
町内での囲い米の蔵の運営費用に回す。
飢饉や米価高騰によって生活困窮になった人を救済する。
病気や老齢で生活苦に陥った住民を救済する。
これらは当時の言葉で仁政と呼ばれるものです。定信の政策は人を大事にする政策なのです。
次に米価高騰の対策をしなくてはいけません。
凶作による米不足になれば当然ですが、米価は高騰します。凶作の地域では食料不足という飢饉になるのに対し、凶作とならなかった地域では米価高騰によって米商人達が高く売りつけることで、その差益を得ることが出来ます。すると米商人達にはさらに欲が出てきます。
「もう少し待てば、さらに米の価格が上がり、さらに大儲け出来るのではないか。」と。
こうして江戸や大坂の米商人達は米を買い占め、売り渋るという事態が発生していたのです。つまり、「一部の身分の人達が大量に米を持っているにも関わらず、本当にお米が欲しい人達の元には届かない」という最悪の事態です。
田沼は株仲間を公認することで商人の利益確保を認めると同時に物価統制を行いました。
田沼は需要と供給という市場原理に任せれば、自然と適正価格に落ち着くのではと考えたのです。
これが田沼は統制がなく自由で放任的な政治だと言われる理由です。しかし、田沼の放任政治は飢饉によって、米価が高騰するという非常事態に対処出来ず、商人達が私利私欲に走るという資本主義経済が仇となり、飢饉の被害を拡大させてしまったのです。
そう、田沼は市場原理に人間の欲が入り込むことを見抜けなかったのです。人間は理屈ではなく、感情の生き物です。田沼は‘経済学‘のエキスパートでも‘経済‘のエキスパートではなかったようです。
一方、定信の場合、専ら物価統制のみを目的とした政策を行っています。定信は株仲間を廃止し、米価統制のために勘定所御用達という幕府直営の組織を設立し、江戸の有力豪商を登用して、米価の調整に当たらせました。
要するに「米の価格は全て幕府が決める。商人達は価格設定に一切関与しないように。」という統制政治のことです。
そして最後に一揆・打ちこわしの対策です。
一揆・打ちこわしをする人達は基本的に生活苦に陥っている人達で、その人達が幕府や豪商に反旗を翻すことです。
それを防ぐためには以下のような対策が必要です。
「貧しい人達を自立させる。」
「権威ある者に盾つかないように。身分をわきまえさせる。」
以上のことが必要になります。
飢饉によって農村から江戸に流入してきた無宿人達によって、打ちこわしや盗みなど治安が悪化しました。定信はこのような貧しい層に手に職をつけさせ、社会復帰の手助けを行いました。これが石川島人足寄場です。
そして、庶民には身分をわきまえた行動をさせる必要があります。定信は寛政異学の禁という法律を作っています。これは「朱子学以外の学問は学んではいけない。」という法律です。朱子学ってどんな学問でしょうか。
朱子学とは一言でいうと、「人には身分制度がありますよ。したがって身分をわきまえた行動をとりなさい。」という教えです。
以上田沼と定信の違いをみながら寛政の改革をのべましたが、田沼は自由権を認めており、一方、定信は平等権を認めていると思います。
以上
次回をお楽しみに。
本宮貴大でした。それでは。