【大航海時代】地球の東側を制圧するポルトガル、西側を制圧するスペイン
こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。
この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。
今回のテーマは「【大航海時代】地球の東側を制圧するポルトガル、西側を制圧するスペイン」というお話です。
是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。
コロンブスはアメリカ大陸を発見。ポルトガルは東へ、スペインは西へと領土を拡大していきます。それと同時に地球は球体であることが証明されました。世界が地球規模に膨らんだことで、商業や工業、貿易などにおいて大きな影響が出ました。
ポルトガル勢は本国からぞくぞくと探検隊が海を渡って、インドより東側へ向かいました。そので、マルコ=ポーロの東方見聞録にあるジパング伝説とは 日本の種子島に到着しました。ここで初めて日本に鉄砲が伝来しました。16世紀中頃のことです。
さぁ、コロンブスが到着したのは、どうやらインドではないようです。実はコロンブスが到着したのは現在のカリブ海に浮かぶサンサルバドル島でした。
リーダーのコロンブスはこの大陸はインドだと思い込んでいるようですが、部下達はインドではないと気付いている模様。部下の何人かは本国へ戻り、新大陸のことを報告します。
さぁ、この謎の地を開拓するためにスペインから探検家が新大陸へぞくぞくとやってきます。
本国スペインから派遣されたのが、探検家アメリゴ=ヴェスプッチです。先程から言っている新大陸とは現在の北アメリカ大陸と南アメリカ大陸のことですが、アメリカの名前はこの人の名前にちなんでつけられています。
こうしてスペインはインドに向かうはずが、新大陸という思わぬ大発見をしたのです。
ところで、コロンブスはこの新大陸をインドだと信じ続けていました。なので、今のアメリカにはインドの名前があちこちに残ってしまいました。コロンブスが到着したサンサルバドル島を西インド諸島、そして先住民をインディアン、現在のネイティブ・アメリカンをインディオと呼ぶようになっていることがその典型例です。
コロンブスは地球球体説という非常識は受け入れても、到着した大陸はインドではないという非常識は受け入れられなかったようです。
「新大陸の発見」したという言い方は、いかにも「人類未開の地」を開拓したように聞こえてしまいます。そこには先住民がいた以上、正確に言えば、「西洋人のアメリカ大陸発見」という風に言い直した方が良さそうです。
チーム・コロンブスが新大陸に夢中になってしまったため、スペインは当初の目的だったインドを目指して出港します。
ですが、リーダーのマゼランは言いました。
「これで地球球体説も証明されつつあるのだから、どうせインドに行くなら我々もコロンブス同様、西廻りでインドを目指そう。」
そう言ってチーム・マゼランは1522年、西廻りでインドを目指し、出港します。彼らはアメリカ大陸を南下。マゼラン海峡を超え、太平洋を渡ってインドを目指して航行していきます。やがてチームマゼランは東南アジアのフィリピンに到着します。ここで事件が発生します。リーダーのマゼランがフィリピンの先住民に殺害されたのです。
残ったマゼランの部下達は決死の思いでインドを渡り、アフリカを通ってスペインに無事帰国します。これでマゼラン一行はリーダーの犠牲のうえで、地球は球体であるということを証明しました。
一方、ポルトガルはインドへの航路が開発されたことで、ポルトガル人のカブラルはアフリカを南下してインドへ向かうとしました。しかし、途中で嵐に遭い、南アメリカ大陸の現在のブラジルに漂着します。
これによってポルトガルも新大陸の存在を知り、スペインと新領土獲得の争いが起こります。これを解消するために1492年にトリデシャス条約が結ばれ、ブラジルを通過する子午線から東側の新領土をポルトガル領。西側をスペイン領とすることになりました。しかし、これは新大陸の大半はスペインの手中に落ち、ポルトガル領はブラジルの一部だけとなる不平等なものでした。現在でも南アメリカでもブラジルは唯一ポルトガル語を話しています。
その他のペルーやアルゼンチン、ボリビアやコロンビアなどはスペイン語を話しています。因みにコロンビアはコロンブスの名前に因んで付けられています。
このような開拓精神をカッコ良くいうと「フロンティア・スピリット」と言いますが、平たく言うとただの「侵略行為」です。
そう、新大陸には先住民がいたのです。新大陸にはメキシコのマヤ文明とアステカ文明。南米にはインカ帝国がそれぞれ栄えていました。ペルーのマチュピチュなどは現在、人気の古代遺跡になっていますが、この遺跡はインカ帝国の建造物です。
これらは旧大陸で喩えるとエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明などに当たりますが、スペイン人はこれらの文明を全て滅ぼします。メキシコのアステカ帝国はコルテスが、南米のインカ帝国はピサロが滅ぼしました。彼らのような征服者をコンキスタドールと呼びます。
大航海時代に新大陸の発見は、ヨーロッパには大きな影響を及ぼしました。それが2つの革命です。
1つは、産地やヨーロッパの港町が新大陸の東海岸を中心に栄え、ヨーロッパの商業が拡大。今まで地中海中心だった貿易が大西洋に変わりました。これが商業価格です。
2つ目は新大陸で銀が大量に獲れたことによる物価の高騰です。現在のインフレと同じです。お金の価値が下落したのです。これが価格革命です。価格革命は農業に比べ、価格変更がしやすい商業や工業を中心に広がっていきました。
以上。
今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。
本宮 貴大でした。それでは。