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【縄文文化】土偶は何のためにつくられた?

 こんにちは。本宮 貴大です。
 この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。

 今回のテーマは「【縄文文化土偶は何のためにつくられた?」というお話です。
是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。

 

 アニミズムという言葉をご存知だろうか。

 これはあらゆる自然物や自然現象には神や霊魂などの力が作用しているとする思想で、日本ではこれを八百万(やおろず)の神と言います。

 日本人は古来、豊かな自然と四季の明瞭さの中で暮らすうちに、自分達を取り巻く自然のあらゆるものに神が宿っていると信じてきました。

 例えば山には山の神が、川には川の神が、畑には畑の神が、さらには米粒の中にさえも神が宿っていると信じていました。そして豊作となれば、人々は手を合わせ、神に感謝の意を示したのです。

 現在でも日本国内には、もの凄く沢山の神社がありますよね。また、「便所の神様」とか「台所の神様」、「お天とさんが見ている」などという言葉もありますが、それらはすべて八百万の神が由来しています。

 以上の知識を踏まえたうえで、土偶はなぜつくられたのかを見ていきたいと思います。

 

 縄文文化を象徴する出土品といえば、間違いなく土偶があげられると思います。

 土偶とは、縄文時代につくられた土製の人形で、縄文早期に初めて現れました。その頃の土偶は腕を水平に広げ、足をそろえた比較的シンプルなものが多いが、やがてその形状は多彩化し、地方によってもその形状は異なります。特に遮光器とよばれる土偶のように前衛芸術のような宇宙人を連想させるものさえあります。

 

 出土件数は現在まで1万5000点以上にも及び、縄文早期の出土件数は東日本が圧倒的に多く、縄文晩期になると、東北地方がその中心になっていきます。

 そんな多種多様な土偶ですが、これらは一体何のためにつくられたのでしょうか。
それについて様々な説が出ているものの、はっきりとしたことはわかっていないことが実情です。

 しかし、興味深い事実は、土偶のほとんどが完全な形で出土していないということです。手、足、顔、腹など、どこかしら恣意的に壊された部分が必ずあり、しかも壊された部分は本体と一緒には出てきません。さらには、最初から身体の一部をつくらないものさえ存在します。

 すなわち、確かなのは、土偶とは壊されるためにつくられたのだということです。
なぜ壊すのか。この解釈の仕方によって土偶は何のためにつくられたのかを伺い知ることができます。

 今回は様々な説の中で最も有力視されているものをご紹介します。
 

 それは豊穣祈願説というものです。

 『古事記』に登場するオオゲツヒメは、スサノオの怒りに触れて殺されるが、その死体から稲や麦などの穀物や蚕が発生したという。また、『日本書紀』にも、殺害された女神ウケモチの遺骸から作物が出てくるという同様の神話が残されています。

 そのことから、縄文人土偶を女神に見立ててこれを破壊(殺害)し、作物の豊穣を祈ったのではないかということです。稲作は弥生時代に始まりますが、植物栽培そのものは縄文早期にすでに始まっています。

 先述のとおり、日本には古代から八百万の神という思想があり、多種多様な土偶はそれぞれの神に見立てて作られたのではないかと考えることができます。

 さらに土偶の中には、石囲いをして丁重に埋葬された例がみられ、確実に精霊や女神のような神々しい扱いをしている点もこの説を補強しています。

 この女神に見立てたという部分も有力視される理由の一つです。
 土偶の大半は乳房がついていたり、煌びやかな装飾であるなど女性に見立てられており、特に妊婦の姿をかたどっていると思われます。また、男性の生殖器を表現したと思われる石棒(せきぼう)も出土していることから、生命の誕生、すなわち‘創造‘を表現しているのではないかと伺い知ることができます。

 したがって、縄文人は生命を生み出す神秘的な力を有する女性と男性の生殖器を土でこしらえることで、その豊穣を祈ったということです。

 

 その他にも、土偶の用途には他にも様々な説が出ています。
 例えば、疾病治療説というものがあり、病や傷の平癒を祈って、土偶を自分自身に見立て、患部をもぎ取って身代わりにすることで再生をはたすといもの。

 また、これとは逆に呪人形説もあり、憎い相手を土偶になぞらえ、その不幸を祈って像を破壊するという考え方をとるものです。
 

 姿カタチが多様である土偶は、その用途を明確に特定することはかなり困難です。
だから良いのでしょう。そういった不可思議こそが私達をそそり、古代の神秘とロマンが時を超えて現在に伝わってくるのです。土偶とは代表的な出土品であるといえるでしょう。

以上。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

本宮貴大でした。
それでは。

 

参考文献
早わかり日本史          河合敦=著  日本実業出版社
アナウンサーが読む山川日本史 笹山春生=著 山川出版社