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【本能寺の変2】秀吉は信長暗殺計画を知っていた!?【豊臣秀吉】

 こんにちは。本宮貴大です。

 この度は記事を閲覧してくださり、本当にありがとうございます。

 今回のテーマは「【本能寺の変2】秀吉は信長暗殺計画を知っていた!?【豊臣秀吉】」というお話です。

 

 豊臣秀吉明智光秀、この2人は共に織田信長に仕える実力者としてメキメキと重臣にまで出世していきました。2人は主人信長様の愚痴を言い合い、共に励まし合う仲でした。そんな中、光秀は信長に謀反を決起。躍起になる光秀を止められないと悟った秀吉は信長に代わって天下統一を引き継ぐことを決意しました。

 

 1582年5月初旬、信長は甲斐の武田氏の大将・武田勝頼を討ち取り、京にさらし首としました。

「おい。光秀っ」

「ハハッ、何でしょうか。」

「今度、武田攻略を祝って京で戦勝祝賀会を開くことにした。そこに家康公も招いている。光秀は京の伝統料理に詳しいだろう。そこで、光秀には家康公の接待を取り仕切って貰いたい。」

 光秀は数秒経ってから返事をしました。

「ハハッ、承知しました。」

  

 その後、信長は中国遠征をしている秀吉から援軍要請の通知を受けました。

「毛利が主力部隊を投入してくるつもりだと!?サルも苦戦しているようだな。」

 そんな中、5月15日、信長に誘われて、安土城に入った徳川家康。光秀は手の込んだ京風料理で家康をもてなしました。

 すると、家康は鯛の味に違和感を覚えました。

 そして信長は光秀に問い詰めました。

「なんだ、この鯛は。光秀、まさか腐った鯛を出したんじゃないだろうな。」

「そんなはずはありません。京風料理は薄味でして尾張三河のものとは違います。」

「お前、バカか。三河の家康公にこんな薄味でもてなすとは何事だ。」

「で、ですが京風料理でもてなせとおっしゃったのは殿ではありませんか。」

「うるさい。こんな鯛食えるか。この役立たずめ。」

 信長は光秀に罵声を浴びせた上に、足蹴りを食らわせました。

「も・・・申し訳ございませんでした・・・・。」

「もういい。お前に接待役など頼んだ俺が間違いだった。光秀、お前はサルの援軍として中国地方に出陣しろ。しばらく京には戻らなくて良い。分かったな。」

 光秀は数秒経ってから返答しました。

「ハハッ。承知致しました。」

 光秀は次の大仕事であった四国の長宗我部攻略の任を解かれ、秀吉の指揮下として中国の毛利征討に加わることになりました。光秀は格下げされたのです。

 決定的でした。

 光秀の中で、プツリと糸の切れるような思いが起こりました。

 

 翌日以降、光秀は中国出陣のための準備を始めました。

 そんな中、光秀の重臣である斎藤利三(さいとうとしみつ)は信長征討を訴えました。

「殿、もう我慢出来ません。信長公を討ち取りましょう。間もなく四国攻めが始まってしまいます。私はもう元親殿に合わせる顔がありません。」

利三は妹を四国の長宗我部元親に嫁がせており、信長と長宗我部氏の友好関係に貢献していました。そんな長宗我部氏を信長が攻め滅ぼすというのだから利三としては納得出来ません。

「殿、ご決断を。」

しかし、光秀には思いとどまるものがありました。

(光秀殿、どうかご容赦を・・・・。)

秀吉の声が光秀の頭をよぎりました。

 

そんな光秀のブレーキが外れる出来ごとはすぐに起こりました。

5月26日、光秀の居城・丹波亀山城に信長の使者がやって来ました。信長の書状にはこう記されていました。

「光秀の治める丹波・近江の国は信長に召し上げよ。代わりに出雲・石見の国を与える。」

これは「国替え」と呼ばれるもので、現在でいう転勤のようなものです。

しかし、問題なのは、出雲と石見は毛利氏の領地であることです。信長は未だ敵領地であるはずの地を与えると命じてきたのです。

「国替え」は何も光秀だけに命じられたものではありません。しかし、敵の領地が代わりに与えられるというのは前例がありません。領地を失えば、領主は家来を養うことが出来ません。つまり、今回の毛利攻めを成功させなければ、光秀とその家来達は路頭に迷うことになるのです。

まぁ、事実上のクビです。光秀は領地すらも信長に取り上げられてしまったのです。

 

5月29日、信長は朝廷達に暦の変更など様々な改革案を提案するべく京に入りました。

信長はその日から数日間、本能寺にチェックインしています。

その情報はすぐに明智軍に伝わりました。

「信長勢は6月2日まで京に滞在してから四国に出陣するようです。その間の宿泊先は本能寺になるようです。」

信長が宿泊する本能寺は‘寺‘であり、‘城‘ではありません。したがって、必然的に信長の手勢はわずかであることは容易に予想されました。

それに、信長の重臣達は全国に散らばっています。

柴田勝家は北陸方面を、滝川一益は関東方面を、織田信孝は四国方面を、そして羽柴秀吉は中国方面に遠征中です。畿内にいるのは明智光秀だけでした。

つまり、信長は完全に無防備な状態で宿泊しているのです。

「今しかない。」

そう思った光秀は利三など重臣達と本能寺襲撃の作戦会議を開きました。

 

そして6月1日の夕方、光秀は1万3千人の兵を率いて丹波丹波亀山城を出発しました。

その道中、光秀は号令をしました。

敵は本能寺にあり。」

「ハハッ。」

家来達は「待ってました!」と言わんばかりに急に進路を東に替え、京都に向かいました。

つづく

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

「秀吉」をたっぷり楽しむ法      高野冬彦=著        五月書房

マンガで一気に読める日本史      金谷俊一郎=監修      西東社

詳細図説 信長記           小和田哲男=著       新人物往来社

信長は本当に天才だったのか      工藤健策=著        草思社

http://kamurai.itspy.com/nobunaga/honnouji2.htm