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【織田信長2】長続きしない人間関係とはどんな関係か?

こんにちは。本宮貴大です。

この度は記事を閲覧してくださり、本当にありがとうございます。

今回のテーマは「【織田信長2】長続きしない人間関係とはどんな関係か?」というお話です。

 

今回も、「なぜ信長は天下統一を達成出来なかったのか」について、信長の生涯を題材にしながら、「長続きしない人間関係とはどんな関係か?」を見ていきたいと思います。

損得感情で繋がった人間関係は絶対に長続きしません。織田信長足利義昭の関係はともに利用してやろうという関係で繋がっていました。当初は相互依存の関係だったのが、やがて両者の間に深い溝が出来、信長は遂に義昭を追放。信長は自ら敵を増やすことになってしまいました。

 

 

 1560年、上洛を企てて進撃してきた駿河今川義元の大軍を尾張桶狭間で破った信長は一躍その名を全国の諸大名に知らしめることとなりました。

 今川を討ち取った後、すぐ美濃の攻略に挑戦しました。そして7年の歳月を経た1567年、ようやく美濃の斎藤氏を討ち破り、美濃を岐阜と改め、岐阜に城を構えます。

 そして、いよいよ「天下布武」の印文を使い、天下統一の意志を示すようになりました。

 

 目標が天下統一になったことで、信長には合戦以外にも大きな仕事が発生しました。

 それは時の天下人に近づくことでした。

 時の天下人とは、室町幕府の将軍のことです。

 天下統一を目指す信長が必要としていたもの、それは「権力」です。つまり、室町将軍からその権限を奪い取ろうというのが魂胆でした。

 

 一方の義昭も信長の「武力」を利用しようとしていました。義昭は自らの兄であり、13代将軍であった足利義輝(あしかが義輝)が三好三人衆に暗殺されたことで、自分も暗殺されるのではないかという恐怖におののいていました。そんな時、勢力を増してきた尾張戦国大名織田信長に守ってもらおうと考えたのです。

 流浪の生活をしていた義昭は、側近である明智光秀に頼み、信長に上洛と従軍の要請をしました。光秀の仲介によって信長と義昭は結ばれますが、その関係は長続きしませんでした。結果的に信長はたくさんの敵を増やすことになり、今後、戦いに明け暮れるようになります。

 

 なぜでしょうか。

 それは信長も義昭も互いに損得感情で関係を持とうとしたからです。

 浅知恵の経営者がよくやりがちなことは異業種交流会に積極的に出ていこうとすることです。そこで、名刺をたくさん交換して少しでも関係を持とうとします。

 しかし、これらの関係は上手くいきません。

 お互いに利用してやろうという感情は互いに伝わります。すると、「コイツは俺を利用しようとしているのか」と考えるようになり、必然的に疎遠になっていってしまいます。

 

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。