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【キリスト教伝来】宣教師はなぜ日本にやってきたのか【フランシスコ・ザビエル】

 こんにちは。本宮貴大です。

 この度は記事を閲覧してくださり、本当にありがとうございます。

 今回のテーマは「【キリスト教伝来】宣教師はなぜ日本にやってきたのか【フランシスコ・ザビエル】」というお話です。

 大正時代、昭和時代が行き詰っているので、すいませんが、戦国~安土・桃山時代をやります。

 16世紀半ば、日本にキリスト教宣教師がやってきました。それまで日本には中国大陸から仏教や儒教が伝来していましたが、16世紀になると、いよいよ西洋からの文化が入ってきます。

 ということで、今回は、宣教師はなぜ日本にやってきたのかについてストーリー形式で紹介していきたいと思います。

16世紀半ば、スペイン・ポルトガルを中心にヨーロッパ諸国が大航海時代を迎え、その波は東アジアの日本にもやってきました。彼らは日本と南蛮貿易を開始。同時にキリスト教宣教師もやってきました。西洋では宗教改革が起き、カトリック(旧教)から独立し、プロテスタント(新教)と呼ばれる信者が現れました。信者を減らしてしまったカトリックは信者増強組織としてイエズス会を設立。布教活動のために海外に進出していったのでした。

 

 16世紀の覇権国家といえば、ポルトガルとスペインです。彼らは当時、イベリア半島で大人気を誇ったコショウ(香辛料)を求めてインドや東南アジアを目指して新航路を開拓するようになります。いわゆる大航海時代の幕開けです。

 ポルトガルは東廻りの航路で、対するスペインは西廻りの航路でインドを目指します。

 先陣をきったのはポルトガルのエリンケ王子です。彼らは、アフリカの最西端のヴェルディ岬に到着しました。惜しくもインド到着ならず。

 続いて1488年、バルトロメウ=ディアスがインドに向けて出港しました。しかし、途中で船に異常が発生しましたが、アフリカ最南端の喜望峰(きぼうほう)にまで到着することができました。後はここから北上していけば、インドです。

 

 一方のスペインはポルトガルに先を越された事で焦っていました。そんな中、地球球体説を信じるコロンブスは言いました。

「我々は西廻りでインドへ向かう。あの水平線の向こうにインドがある」

 しかし、彼らが到着したのは、インドではなく、西インド諸島サンサルバドル島でした。この‘新大陸‘をスペインは今後、開拓していくことになります。この‘新大陸‘は後に探検家アメリゴ=ヴェスプッチに因んでアメリカと命名されることになります。

 

 そしてポルトガルのヴァスコダ=ダ=ガマは、1498年、インド西岸のカリカットに到着し、インド・ヨーロッパ間を結ぶインド航路が確立されました。

 こうして、地球の東側に植民地を持つポルトガルと、西側に植民地を持つスペインの2大勢力構図が完成しました。

 そして1522年、スペインはマゼラン一行を西廻りから派遣し、世界周航を達成します。

 このようにポルトガルとスペインが大航海対決をしている頃、ヨーロッパでは宗教改革が起きていました。

 

 16世紀は、大航海時代であったと同時にヨーロッパ各地で宗教改革が起きた時代でもあったのです。

  舞台となるのは、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)とスイスのジュネーヴ、そしてイギリスです。

16世紀に入ると、ローマ=カトリック教会は腐敗しきっていました。ローマ教皇のレオ10世はサン=ピエトロ大聖堂の建築費用などを集めるために免罪符を販売します。

免罪符とは犯した罪が赦されるお札のことですが、キリスト教の教えでは、「人は生まれながらにして全て罪人」です。私達は生まれてから今まで、一度も嘘をついたり、モノを壊したり、人を叩いたりしたことがないという人はいないと思います。ですから、人は全て罪人なのです。

ですから、カトリックの人々は常に後ろめたさを感じています。

「この免罪符を持って、悔い改めるのだ。」

免罪符は飛ぶように売れます。

こうした人々の弱みに付け込んで金儲けをする教皇に対し、反旗を翻した学者がいました。それがマルティン=ルターという人物です。ルターは九十五ヶ条の論題を発表して教会による免罪符の発行を否定しました。これが原因でローマ=カトリック教会と宗教改革論争を繰り広げました。その上で、ルターは神への信仰は、聖書を重視するべきだとして教会の存在を否定しました。

結局、1555年のアウクスブルクの宗教和議によって神聖ローマ帝国では諸侯の信仰の自由がある程度認められるようになります。ルターの思想は特に農民達から強い支持を受け、ローマ教会から独立し、新しい教会がとしてのプロテスタントルター派)が誕生します。これはカトリック(旧教)に対するプロテスタント(新教)として現れるようになります。(詳しくは「世界史もストーリーで覚える」の方で。)

 

同じ頃、スイスのジュネーヴでも宗教改革が起き、宗教家のカルヴァンが「人が救われるかどうかは神によってあらかじめ定められている」とする予定説を説き、プロテスタントカルヴァン派)として台頭してきました。(詳しくは「世界史もストーリーで覚える」の方で。)

そして、イギリスでも宗教改革が起きます。国王ヘンリ8世はもともと熱心なカトリックでした。しかし、自らの離婚をローマ教皇に反対されたことからカトリック教会から距離を置くようになりました。そこで、国王自らをトップとする国王至上法を発布し、新たな教会組織を構想。こうして統率された教会は、イギリス国教会として16世紀後半のエリザベス1世の統一法発布によって確立されます。

 

このように、カトリックから独立した新教はヨーロッパ各地で拡大していき、プロテスタントとして一大勢力を築きあげました。しかし、カトリックは多くの信者を失い、勢力が大きくダウンしてしまいました。しかし、カトリック側も、勢力の立て直しを行いました(対抗宗教改革)。

例えば、トリエント公会議が開催され教皇の至上権が確認されたり、「信者増強組織」として「イエズス会」を結成したりしました。このイエズス会の上層部にイグナティウス=ロヨラやフランシスコ=ザビエルという人物がいました。

 

ところで、カトリックが大多数を占める国は、ポルトガルとスペインです。

地球の東側を制圧しているポルトガルは、貿易とカトリックの布教活動を目的に極東の国・日本にやってきました。その船には布教活動のためにカトリック宣教師も同乗していました。貿易と布教を一体として進めていこうという作戦です。

 

このように、16世紀半ば、日本に最初にやってきた西洋人はポルトガル人でした。西洋から日本に最初に入ってきたアイテムは鉄砲です。

1543年、種子島に漂着した船に乗っていたポルトガル人から鉄砲2丁を島の住民が購入したことがきっかけに鉄砲は全国に広がりました。間もなく、紀伊国の根来(ねごろ)などで国産化され、やがて全国の戦国大名のもとに普及するまで5年もかかりませんでした。鉄砲は戦国時代の戦争に大きな影響を与えました。

 貿易に関しては平戸や長崎、豊後(大分)などで行われ、ポルトガル船は日本が一番欲しがっていた生糸を中国から大量にもたらします。一方で日本では金銀鉱山の開発が進んだ時代だったので、銀が大量に輸出されました。

日本では彼らを南蛮人と呼び、その貿易を南蛮貿易と呼ばれるようになりました。彼ら南蛮人

その後、スペインもポルトガルにやや遅れて日本に貿易とキリスト教の布教のために上陸します。

その代表的な人物がスペイン人のイエズス会宣教師フランシスコ=ザビエルで、彼は1549年に鹿児島に上陸し、日本にキリスト教カトリックの布教活動を始めました。

キリスト教は九州を中心に広がっていきます。キリスト教に入信したのは、九州地方の大名である大友義鎮(おおともよししげ)や大村純忠(おおむらすみただ)などで、彼らはキリシタン大名とよばれ、少年4人を天正遣欧使節として任命、宣教師ヴァリニャーニの保護のもと、ローマ教皇に会いにヨーロッパまで行くという大規模な使節団の派遣が行われました。

西洋の新しい文化は南蛮人によってもたらされます。これを南蛮文化といいますが、その風俗を派手に描いた華麗な南蛮屏風が有名です。西洋ではルネサンス期に実用化された活版印刷が日本にももたらされました。それは先程のヴァリニャーニが天正遣欧使節とともに再来日した際にもたらされました。これが西洋の活字印刷印刷機を使った天草版平家物語の発行に繋がります。

 

 さぁ、16世紀の日本は戦国時代を迎えてしました。16世紀も後半になると、皆さんの大好きな「あの人物」が日本史の舞台に登場します。

そう、ミスター戦国、いや、ミスター日本史でもいいかも知れません。織田信長です。

応仁の乱をきっかけに室町幕府の権威は最低ランクまで落ち込みました。その後も、幕府の統治力はどんどん落ち込み、庶民は飢饉に苦しめられ、各地では反乱や一揆、盗難や火付けなどが横行するようになってしまいました。

 このような不安定な情勢の中、当然庶民の間では以下のような欲望が芽生えてきます。

「平和に暮らしたい」、

「ゆたかに暮らしたい」、

「正しく、公平に暮らしたい」、

「自己向上したい」、

「誰かカリスマ的リーダーが新しい国家を創ってほしい」

 これらのニーズに応えるように守護大名に代わって戦国大名が登場。平和な時代を創るために、各地で互いに争いを展開しました。その中でメキメキ頭角を見せ、天下統一事業をどんどん進めていく天才児が、織田信長だったのです。

彼は戦国の民衆のニーズをしっかりととらえ、中世の封建的な「土地至上主義」近代的な「貨幣至上主義」へと移行させる様々な政策をとりました。

次回以降、織田信長の活躍について詳しく述べていきたいと思います。

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

教科書よりやさしい日本史            石川晶康=著  旺文社

教科書よりやさしい世界史                    旺文社