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【ワシントン体制】ワシントン会議で日本が頭を抱えた内容とは?【加藤友三郎】

こんにちは。本宮貴大です。

この度は記事を閲覧してくださり、本当にありがとうございます。

今回のテーマは「【ワシントン体制】ワシントン会議で日本が頭を抱えた内容とは?」というお話です。

ワシントン会議の課題はアジア太平洋問題の平和秩序の実現です。そのために必要なのは軍縮です。第一次世界大戦の反省による国際協調路線は日本にも要求されたのです。海軍大臣加藤友三郎はその条約に締結。日本は主力艦の保有率を制限されるだけでなく、中国の権益も手放すことも認めてしまいます。これに対し、職を失う危険にさらされた職業軍人が猛反発。以後、内閣に対するテロ行為へと発展します。また陸軍も海軍の弱腰外交を非難。陸軍と海軍は犬猿の仲となっていくのでした・・・・。

 

 公務員とはいつの時代も人気の職業です。

 それは大正時代の日本でも同じです。当時の国家予算の約3分の1を軍事費にまわしている日本の公務員といえば、軍人が主体です。

 労働組合などが十分に整っておらず、今でいうブラック企業ばかりの当時で待遇がよく、何より安定している職業として人気を集めていました。

 職業軍人とは‘いたれりつくせり‘の職業です。

「自分は将来、陸軍になるのか、それとも海軍になるのか。」

 そんな志を持つ少年が多く、同時に「親が考える!息子になってほしい職業ナンバーワン!」でもありました。

 一方で、軍人に対する世間の風当たりは強いものでした。日本はかつて日露戦争によって家計や企業が疲弊し、一時的に混乱状態になった経験があるからです。

 したがって当時の軍人は電車に乗るにも軍服では気が引けて、人混みの場所にはなるべく平服で行くような状態でした。

 しかし、そんな世間の厭戦気分の高まりと同時に職業軍人は非常に人気の高かった職業です。

 

そんな中、職業軍人への道を志した少年達が、やがて将校として一人前になるころ、非常に不運な時代に突入してしまうのでした・・・・。

 

そんな国内情勢の中、陸軍の上層部ではある密約が交わされていました。

それは第一次世界大戦が終わってしばらく、平民宰相と呼ばれた原敬が暗殺された直後の1921年10月のことです。陸軍は今後の軍の近代化について話合いをしていました。

「今回の未曾有の大戦争でヨーロッパはかなりの戦死者を出したようだ。」

「まさに国家総動員といえる戦いでしたな。いや~見事なものでした。」

「関心している場合ではない。同時にヨーロッパ各国は戦闘機や戦車、毒ガス、潜水艦など兵器は飛躍的に近代化された。」

「我が国は戦争にほとんど参加しておらず、兵器も近代化されていない。もとより国家総動員などしていない。」

陸軍のボスであった山県有朋が寝たきり状態となった今、陸軍上層部は軍の大幅な改革が必要であるとして密約を交わします。

「我が国が今後、世界で生き残っていくためには軍の大幅な改革が必要だ。もっと予算を軍に割いてもらうのだ。」

さらに陸軍の改革を妨げている「長州閥」の排除や、職業軍人だけでなく、国民軍も動員する国家総動員体制の確立を図ることも取り決めが行われました。

しかし、この密約は今後の国際社会において、時代の逆をいくものでした・・・・。

 

では、一体どんな時代になったのでしょうか。

そう、軍縮の時代です。

陸軍の密約から半月後の1921(大正10)年11月12日、ウィルソンに代わってアメリカ第29代大統領に就任したハーディングが日本政府に手紙を寄越しました。その内容は今後のアジア太平洋の国際秩序の構築を目的としたものでした。1つはイギリス、アメリカ、フランス、日本、イタリアなどの大国を集め、海軍の軍事縮小について話し合いたいこと。もう1つは中国や太平洋に浮かぶ島々に関わりのある国を集めて、それらの利権についての話合いをしたいとのこと。

これらの問題についてアメリカの首都ワシントンで会議を開きたいとのことです。

第一次世界大戦は大変悲惨な戦争でした。その原因は植民地争奪争いが大きな原因であり、ニ度とこんな悲惨な出来事が起きないように会議を開き、条約を締結し、領土問題や民族問題などあらゆる問題を解消し、平和な世界秩序をつくることが望まれました。ヴェルサイユ条約が締結されたパリ講和会議ではヨーロッパの諸問題が解消されました。(一時的ですが・・・。)今回のワシントン会議ではアジアや太平洋の諸問題を解決しましょうということです。

 

国際協調路線を推進した原敬を引き継ぎ、総理大臣となった高橋是清はこの会議に参加することを決めます。日本から全権大使として送られるのは、長いこと海軍大臣をやっていた加藤友三郎です。高橋は言いました。

「日本は海軍の軍備にかなりの予算を割いている。現在の国家予算を考えれば、これは大いに賛成だ。それに近年、中国との関係も悪化してきている。これらの問題を解消し、中国やアメリカと手を取り合って経済活動をしていくような時代が出来れば良いなぁ。」

 

1920年代の国際情勢はどのようなものだったのでしょうか。

実は、日本とアメリカの関係は敵対関係になりつつありました。その亀裂は日露戦争後から顕著になっていきましたが、アメリカの日本敵視は日本が東アジアで勢力を拡大するごとに大きくなっていきます。

それまで、アメリカから見た日本は、第一次世界大戦ロシア革命までの間、ドイツやロシアを東アジアで牽制してくれる新興国でした。しかし、ドイツが第一次世界大戦で列強の座から降ろされ、ロシアも非戦論を唱える「ソ連」に体制変更すると、アメリカは日本を東アジアの権益を争うライバルという存在に変わっていったのです。

「日本人とは我々と違い、休暇も忘れて働くような奴らだ。このままでは世界の海を牛耳る覇権国家となってしまう。」

それはイギリスやフランスにとっても脅威でした。特にイギリスは日露戦争直前、日本と日英同盟を結んでいましたが、このまま日本が東アジアで勢力を拡大すれば、自分達の東アジアにおける利権を奪われるかもしれないと危惧します。そしてイギリスは日本との戦争も仕方がないと思うようになります。その際、日英同盟は大きな障害になると考えていたのです。

つまり、欧米列強にとって日本は「大国クラブのニューカマー(新参者)」から「警戒すべきライバル」と見なし始めたのです。これが1920年代の列強と日本の関係です。

 

そんなライバルをどうすれば簡単に抑え込むことが出来るでしょうか。

そうですね。条約を結んで互いにルールとして決めてしまえばいいのです。

そこで開かれたのがワシントン会議だったのです。

そう、つまり「国際平和」とはアメリカの建前でしかないのです。

アメリカの本音とは、新たな覇権国家として君臨したアメリカが仕切る「パクス・アメリカーナ」の構築だったのです。アメリカはイギリスから世界の覇者を奪いとるために「平和のために・・・」という大義名分のもと、イギリスから世界の覇者の座を奪いとろうとしたのです。

 

ワシントン会議は1921年1月12日から1922年2月6日にかけてアメリカの首都ワシントンDCで開かれました。

開会式では、アメリカの国務長官であるヒューズが海軍の大軍縮を行うべきであるという演説からスタートしました。

ワシントン会議では3つの条約が締結されます。それぞれ目的、内容、参加した国々をしっかりと押さえておきましょう。

  1. 四カ国条約
  2. ワシントン海軍軍縮条約
  3. 九カ国条約ひとつづつみていきます。まずは、四カ国条約です。これは太平洋における利権争いの解消を目的としたもので、その内容は太平洋における島々の領有権を現状で固定し、互いに争わないようにするというものです。参加したのは、日本、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国でした。太平洋の平和のために政治と軍事の両面で重要な取り決めが行われました。日本にはこの条約と引き換えにイギリスとの日英同盟も破棄されました。次にワシントン海軍軍縮条約です。この条約はその名通り、各国の海軍を縮小しましょうという取り決めで、目的は、太平洋やその他の海域で際限なく行われる軍拡競争を避けるために、各国の保有する海軍力や海軍の拠点である要塞化などに一定の枠をはめるというものです。参加したのは、日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアの5カ国です。アメリカが各国に軍縮を要請したのには理由がありました。実はアメリカは膨大な軍事費の投下によって、国内の経済や産業が疲弊していました。この条約の内容は、主力艦(戦艦と巡洋戦艦)の保有戦力の比率が定めるものでした。アメリカ、イギリスの保有率を5とした場合、日本は3、フランスとイタリアは1.67とされました。つまり日本はアメリカに対し、6割程度の主力艦保有に制限されるのです。最後に九カ国条約です。これは中国における権益競争のルールを再確認し、門戸解放と機会均等の尊重、領土の保全などを各国間で締結するというものです。参加したのは、日本、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、中国、オランダ、ベルギー、ポルトガルの9カ国です。中国の主権回復もされるということでパリ講和会議を脱退した中国も参加しています。その内容は第一次世界大戦で日本が獲得した山東半島の利権を中国に返還するというものです。これら内容に加藤をはじめ日本大使一同は頭を抱えました。現在のアメリカとイギリスは3万トンを超える軍艦を15隻持っていました。日本は建造中も含めて10何隻を持とうとしていましたが、完成していたのは9隻でした。ですから条約に従えば、15対9の割合になるので、現在建造中の艦隊は全て中止しなくてはなりません。しかし、今現在、各地の海軍工場や造船所で造りかけている軍艦をどうするかという問題が出てしまいました。それらの軍艦を生かすか殺すのか・・・。「いいんですか?加藤殿。」当時、アメリカは日本にとって最大の貿易国であり、1920年代半ばでは日本の輸出総額の約40%がアメリカ向けで、輸入総額の約30%がアメリカからの貿易品でした。したがって日本にとって、特にアメリカとの友好関係の維持はもっとも重視されました。今回のワシントン会議によって、東アジアと太平洋での政治的・軍事的な安定がもたらされるかに思われました。しかし、それは長続きしませんでした。ワシントン会議が終わり、帰国した加藤らは、予想通りの反発を受けることになります。「え?山東省は俺達陸軍が苦労して獲得した領土だぞ。それをなんで海軍が勝手に手放すんだよ?おかしくないか?そんな条約勝手に結ばれては困る。」既得権益を手放したくないという感情は役人の特徴です。ワシントン海軍軍縮条約に基づき、海軍の予算は1921年(大正10)年には国家予算の3分の1にあたる5億円近くが、1922(大正12)年には2億8千万円に削減されました。日本の造船所もかなり反発しました。海軍の軍縮政策も、陸軍には不評でした。海軍が軍縮に成功すると、世論は陸軍にも軍縮をもとめました。山県陸軍の上層部は師団を減らしつつも、浮いた予算で航空部隊や戦車部隊を新設・増設するなど軍の近代化を図りました。「将校以上になれば、金、地位、権力ともに文句なしの待遇を受けることが出来ると思っていたのに・・・・。」それまでの青年軍人達の夢や希望はことごこく裏切られました。特にポストが減ったことで、念願だった将校になる夢は一瞬にして狭き門と化し、多くの若手軍人は反発しました。世間の目が厳しい、出世も難しく、リストラにも遭いやすい・・・・。結婚が決まっていた若い将校達の中には、軍縮が始まったために婚約者の女性側からの申し出で結婚が破談になった例もあるそうです。軍人達は政府の弱腰外交を非難、そして世間の風潮に対して反発しました。政府の国際協調や軍縮政策に不満を抱いた軍人達は、テロやクーデタでそれを打破しようとする急進派軍人へと姿を変えてしまいました。日本は今後、軍が総理大臣を暗殺するような恐ろしい時代に突入していきます。
  4. 以上
  5. 今回の主人公であった加藤友三郎は1923年に総理大臣になります。しかし、加藤が病死すると、海軍の中でもワシントン条約に対する反対意見が強くなります。これが1930(昭和5)年のロンドン軍縮会議が締結されると同時に爆発。統帥権干犯問題が起こり、やがて五・一五事件やニ・ニ六事件などのテロが相次いで起こるようにもなります。
  6. 「なにが協調外交だ、なにが軍縮だ、俺達は失業者になってしまったよ。」
  7. 軍縮により、将校達は動揺し、師団内の士気も大きく低下。
  8. 職業軍人の社会的地位は大きく低下しました。
  9.  
  10. 国家財政を考えれば、軍縮は否定できない。しかし、軍人たちにとっては死活問題です。
  11. 「それまで生涯安泰と言われていた俺達軍人がリストラでビクビクするようになった・・・。」
  12. しかし、一番納得がいかないのは将校以下、一般の軍人達でした。
  13. その空気に押されるように同年8月、陸軍は5個師団分を削減する軍縮が行われました。さらに、将校2千人余りを含む大幅な定員削減も行われました。
  14.  
  15. 厭戦反戦 が強まっていました。
  16. 海軍は現在、造船所で建造中の軍艦を処分することにしました。造りかけの軍艦は沖合に出され、大砲の射撃の的にして沈めてしまいました。海軍は大変悔しがりました。その中で生き残ったのは、「赤城」と「加賀」という航空母艦です。これらはミッドウェー海戦であっけなく撃沈されてしまいます・・・。
  17. これがきっかけで陸軍と海軍は犬猿の仲になっていきます。
  18. 「海軍は全くもって情けない。救いようのない弱腰外交だな。」
  19. 「おい。聞いたか?海軍が軍縮山東半島を中国に返還したらしいぞ。」
  20.  
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  22. 「仕方ない。不景気が続く我が国は今後、英米との建艦競争に勝てる気はしない。ここは受け入れなくてはいけない。」
  23. 悩んだ末、結局加藤は条約を調印します。
  24. 日本はそれまで海軍の軍備には、かなりの予算を割いていましたから、国家財政を考えれば、大いに賛成です。
  25. 「アメリカに対し、日本は6割だと!?、山東半島の利権を中国に返還するだと!?当初の話とは随分違うじゃないか。」
  26.  
  27.  
  28. 覇権国家を目指すアメリカにとって、自分達を超える軍事力をもった国が現れては困ります。したがって、このような条約を結び、自分達の世界最強の国としての地位を不動のものにしたかったのです。
  29. 「大戦後、世界の主要国はどの国も、戦後の困窮によって、軍事費を削減しないと経済や産業などの内政が充実出来ない状態にあることと存じます。今後の太平洋における平和維持のためにも、各国は主力艦の保有率を制限するべきだと考えます。」
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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

5つの戦争から読み解く日本近現代史       山崎雅弘=著  ダイヤモンド社

明治大正史 下                 中村隆英=著  東京大学出版会

教科書よりやさしい日本史            石川晶康=著  旺文社

もういちど読む山川日本近代史          鳴海靖=著   山川出版社

子供たちに伝えたい 日本の戦争         皿木善久=著  産経新聞