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【国家主義とは】あなたは左翼派?それとも右翼派?【徳富蘇峰】

こんにちは。本宮貴大です。

この度は記事を閲覧して頂き、本当にありがとうございます。

今回のテーマは「【国家主義とは】あなたは左翼派?それとも右翼派?【徳富蘇峰】」というお話です。

今回は国家主義についてみていきます。国家主義(右翼)に対抗する思想は、個人主義(左翼)です。国家主義個人主義はどのような違いがあるのでしょうか。まず、以下の表からおおまかな概要をつかんでください。

個人主義

国家主義

文明開化から生まれた

富国強兵から生まれた

人権優先

国益優先

自由と平等を重視

道徳と忠誠心を重視

反体制派

体制派

左翼派

右翼派

 

突然ですが、あなたに質問です。

あなたは「個人主義者」ですか?それとも「国家主義者」ですか?

まず、両者の意味をしっかり定義したほうが良いですよね。

個人主義とは、その名通り、個人の自由や平等、権利などを優先する考えです。

国家とは、その名通り、国家に最高の価値を置く考えで、全体主義とも言います。

す。

国家とは何でしょうか。

国家は、①国民、②国土、③国家権力の3つの要素から出来ています。人がなんとなく集まっただけでは、それは国家とはいえません。人(国民)がいて、領土があって、それを統括するリーダーが国家権力として存在しなくてはいけません。

人々が初めて日本という国を意識し、日本人として自覚し始めたのは、明治時代になってからです。開国によって日本が国際社会にデビューし、日本という独立国家になったのです。

 

では改めて、あなたは「個人主義」ですか?それとも「国家主義」ですか?

もう少し分かりやすい質問に置き変えたいと思います。

あなたは消費税が上がり、医療費の自己負担額も増えることに、賛成ですか?反対ですか?

「冗談じゃない。私達の生活がもっと苦しくなるじゃないか。絶対反対だ。」と思う方は、個人主義者です。

「私達の生活も大変だけど、国だって大変なんだよ。国にいろいろ要求しているんだから、仕方ないと思わないと。」と思う方は、国家主義全体主義)者です。

 

あまりテレビでは報道されませんが、政府と民間(個人)は増税原発問題などでしょっちゅう対立しています。

 

それは今から120年ほど前の明治時代も同じでした。

明治時代にも個人と国家の対立が起きていました。

明治維新以降、明治新政府の最大の課題は、幕末に締結された不平等条約の改正でした。そのために明治政府は「富国強兵」や「文明開化」という2つのスローガンを掲げ、欧米列強と肩を並べる近代国家を樹立し、不平等条約を改正することを目指したのです。

 

しかし、政府がスローガンとした富国強兵と文明開化は相反するもので、思想の対立の始まりでした。

文明開化によって、西洋の思想や文化が輸入されました。そこには人間は生まれながらに、自由で平等であるという日本にとっては画期的な考えがありました。

人々は「自由とは何か」「平等とは何か」「権利とは何か」を勉強し、やがて国家に対し、参政権を求めた自由民権運動へと発展していきました。自由民権運動の理論的指導者である中江兆民は、以下のように国権論を批判します。

「富国強兵は、人民の犠牲の上に成り立つ最悪なものだ。人民から多額の税金を徴収し、それを軍備という非生産的なものに振り向けるのであるから、人民の生活はさらに圧迫される。人民が反発するのは当然である。」

このように自由民権運動とは個人の権利を優先する考えで、それを国家も認めて欲しいと訴える運動で、反体制運動と言えるでしょう。

 

一方、富国強兵とは、兵力を強くすることです。強化された軍事力で欧米列強を威嚇し、植民地支配を受けない独立国家を目指したのです。そのためには人民一人一人の負担と犠牲はやむを得ない。全ては「国民を守るため、日本を守るため」です。

 

個人の自立を目指すのか、強い国を目指すのか、この両者がそれぞれ民権論と国権論として対立したのが、明治中盤以降の時代情勢です。

 

明治政府は、民間の自由民権運動に対抗するために、ドイツの君主権の強い憲法を参考に、憲法作成に取り組み、立憲君主国家の建設を目指します。

「人民に主権を奪われてはならない。」

これが政府の思惑です。つまり、個人主義の考えを封じ込め、国家主義の考えを徹底するのです。

そのためには、憲法作成と同時に、人民の思想統制を行う必要があります。江戸時代には、それと同じように、初代文部大臣の森有礼のもとで、国民皆学と義務教育制度の充実を目標として1886(明治19)年に学校令が制定さ、憲法に基づいた教育制度が整えられていきます。立憲政治の国家

そして、1889(明治22)年、ドイツの憲法を参考にした大日本帝国憲法が発布されます。

これによって、民権論と国権論の対立は、国権論の勝利に終わったのです。

大日本帝国憲法のもとでは、人民は国民ではなく、天皇に仕える臣民であるとしました。臣民とは、戦国時代の家臣をイメージして頂けると分かりやすいと思います。戦国時代の家臣とは、君主に対して忠誠心を持ち、死を覚悟で戦いに臨むという精神です。(武士道精神)

 

翌1890年には、政府は教育制度を本格的な思想統制の手段として整えていきます。それが教育勅語です。

教育勅語は、その後の学校教育の規範となるもので、発布された翌日には、文部省から全国の学校に教育勅語の謄本が配られ、その内容を貫徹するよう訓令しました。

その内容とは、万世一系天皇が統治する日本国の在り方や、国体を重んじる精神、皇室に対する忠誠心と愛国心、そして儒教道徳を子供達に要求するものだったのです。

(国体・・・・日本の天皇を中心とした国家体制のこと)

つまり、「天皇陛下、万歳!」、「全てはお国のために。」「滅私奉公こそが美徳である」という思想を徹底的に教え込んだのです。日本の暗黒時代の幕開けです。

 

こうした時代の変化に伴い、国家主義者達がぞくぞくと現れてきました。

徳富蘇峰(とくとみそほう)は、もともと民権論者で、平民主義を唱えていました。1887(明治20)年に友民社を設立し、同年、雑誌『国民之友』で平民主義を唱えました。平民主義とは民権論とほぼ同義ですが、井上馨鹿鳴館に代表される政府のような一部の特権階級だけが、欧米の優れたものを享受するのではなく、個人にも西洋のものを享受できるようにするべきだとしました。しかし、1895(明治28)年の三国干渉で日本がロシア、フランス、ドイツの圧力に屈服し、日清戦争で獲得した遼東半島を返還したことに失望。

「現在の日本の弱腰外交は目も当てられない。もっと強い国をつくるのだ。」

として、時代の流れとともに国権論者に転じ、初めて国家主義ナショナリズム)を思想として宣揚しました。

 

西村茂樹(にしむらしげき)は、強い国「日本」をつくるには、人々の儒教道徳の徹底が必要だとして『日本道徳論』を著しました。江戸時代のプラス面は、儒学の中の朱子学を人々に教え込んだことで、260年間の天下泰平の世を作り上げたことです。マイナス面は、日本が西洋列強に比べて100年以上も近代化が遅れてしまったことです。しかし、明治後半になって、近代化政策が一段落したところで、もう一度、儒教道徳を徹底させて、国民の一致団結を目指そうとしたのです。

 

三宅雪嶺(みやけせつれい)は、西洋の真似ごとばかりする政府の欧化主義を批判。雑誌『日本人』にて、国粋主義を提唱しました。国粋主義とは、その国の個有の文化的価値を尊ぶ国家主義の一種で、三宅は、西洋の外面(そとずら)ばかり真似ても、富国強兵には限界が来る。そうではなく、日本ならではの伝統文化の中に価値の基準として、真・善・美を求め、それを基礎にすることで、富国強兵は実現すると主張しました。

 

岡倉天心(おかくらてんしん)も、三宅同様に国粋主義の考えを主張しました。さらに岡倉は、日本はアジア唯一の立憲国家であり、アジアを牽引するリーダーであるとして日本の指導者的立場を唱えました。

 

また、陸羯南(くがかつなん)のような国権論と民権論のバランスが大事であるとして、両者の統合を唱える思想もいました。

 

こうして、民権論は完全に封じ込まれていきます。

1900(明治33)年には治安警察法が制定され、反体制派の弾圧がはじまり、国がやることに反対したら、警察に捕まるようになってしまったのです。その後、大正時代に入ると治安維持法などの法律もどんどん整備されていきます。

 

このような国家を優先した結果、日本はどうなったでしょうか。

私達はその歴史的な結果を知っています。

1941(昭和16)年、日本は太平洋戦争に突入。政府は国家総動員法という法律までつくり、国民生活のあらゆるものを全て戦争に振り向けるよう命じたのです。経済は統制され、自由な商売は禁止、必要なものすら買えなくなる。言論の自由もなく、戦争に反対めいたことを口にしようものなら、ただちに逮捕される。戦費を調達するために国債を無理やりにでも買わせ、徴兵令が出れば、若者達は兵士として駆り出されていく。中学生や女学生は授業も受けず、工場で働く・・・・。

このように日本国民は生活を犠牲にして国のために尽くしてきました。その結果、日本は壊滅しました。沖縄は戦場になり、東京は大空襲を受け、広島と長崎には原爆が落ち、たくさんの人々が亡くなりました。国家が個人の生活を破壊しつくしてしまったのです。

 

今後、大正時代、昭和時代を取り扱っていきますが、国家主義思想の徹底は、日本の暗黒時代への入り口になるのです。

 

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

学校が教えないほんとうの政治の話        斎藤孝=著  東京堂出版

教科書よりやさしい日本史            石川晶康=著 旺文社

風刺漫画で日本近現代史がわかる本        湯本豪一=著 草思社

もういちど読む 山川日本近代史         鳴海靖=著  山川出版社

中江兆民植木枝盛               松永昌三=著 清水書院