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【第一次世界大戦】アメリカが参戦を決めたきっかけとは?

 こんにちは。本宮貴大です。

 この度は、記事を閲覧して頂き、本当にありがとうございます。

 今回のテーマは「【第一次世界大戦アメリカが参戦を決めたきっかけとは?」というお話です。

1917年、第一次世界大戦はドイツの劣勢がはっきりしてきます。不利な状況に立たされたドイツは、許可なしで航行している船を無差別に撃沈させる無制限潜水艦作戦を始めました。参戦を嫌っていたアメリカの世論は、このドイツの作戦に猛反発。アメリカは連合国側として参戦するようになりました。

 

 18世紀、ボストン茶会事件をきっかけにアメリカは独立のためにイギリスと戦争をしました。アメリカ独立戦争です。そして1783年、イギリスの植民地だったアメリカはパリ条約で、イギリスの承認を得て、アメリカ合衆国として独立しました。しかし、独立後のアメリカは、それまでの主力産業だった農業を中心とした国であり、軍事力はイギリスやフランスには遠く及びませんでした。

 しかし、20世紀近くになってくると、アメリカは鉄鋼などの重化学工業が発達してきます。さらに、世界からは多くの移民が入り、広大で豊かな天然資源を開発する労働力に恵まれました。

 その結果、アメリカの産業や経済などの国力が急上昇。20世紀初頭には世界で最も潜在能力を持った若くて元気な国へと成長していったのです。

 そんな中、1914年、第一次世界大戦が勃発しました。やがて、ドイツ・オーストリアオスマン帝国(トルコ)を中心とした同盟国軍と、イギリス・フランス・ロシアを中心とした連合国軍の対立構造が出来上がりました。

 しかし、「中立主義」「国際平和」を掲げるアメリカはどちらの側にもつかず、中立を保つ姿勢でした。そんなアメリカを、イギリス首相ロイド=ジョージは何とか参戦してくれるよう打診するも、アメリカは拒否しました。

「くそ・・・。アメリカさえ参戦してくれれば、神は我々の味方をなさるだろうにな・・・。」

 実は当時のアメリカ第28代大統領であるウィルソンは、「戦争反対」「中立政策」「国際平和」を公約として掲げたことで、選挙を勝ち抜き、見事大統領に就任した人物です。

「私が大統領でいる間は、皆さんの旦那や恋人、兄、弟、息子を戦地に送ることはありません!!」

 その公約を破って参戦するとなると、間違いなく世論の反発を招きます。

 したがって、アメリカが参戦するにはアメリカ国民の同意と、何らかの大義名分が必要になります。

 

 1915年3月、ドイツは中立国であるはずのベルギーに侵攻。これを口実にイギリス・フランス連合軍はドイツに宣戦布告。本格的な戦争が始まったのです。

 ドイツは陸戦ではフランスとの塹壕戦を続け、海戦ではイギリスの海上封鎖を打破する作戦を考えました。

 

 実は、開戦直後イギリスが最初に行ったのは、ドイツの海上封鎖でした。海上封鎖とは、ある国が軍事力を持って、敵国の船の入出港を制限することですが、ドイツは植民地との連絡・貿易が出来なくなり、武器や弾薬の原料を調達出来ない状況に追い込まれました。

 ドイツ海軍はこれに抵抗するべく自慢の艦隊で、イギリス本土の沿岸都市やイギリス漁船を攻撃するようになります。

 

 そんなある日、ドイツ海軍はいつものようにイギリス漁船の航行情報を入手。直ちに奇襲攻撃をするべく目的地点に向かいました。するとそこには漁船ではなく、イギリス海軍の艦隊が待ち構えていたのです。

 その装備たるや「待ってました!」と言わんばかりの臨戦態勢で、漁船撃沈が目的だったドイツ海軍は返り討ちに遭い、完膚なきまでに撃破されてしまいました。

 まるで、こうなることを予期していたかのように待ち構えていたイギリス艦隊にドイツは困惑しました。

「なるほど、海戦ではイギリスとは、まともに戦えないのか。」

 なぜ、イギリス海軍はドイツ海軍の動きを読めたのでしょうか。

 実は、当時のイギリス軍部では既にドイツの暗号解読に成功していました。

 ドイツ艦隊の動きはイギリス軍に筒抜けだったのです。

 結局、ドイツは軍事最高機密(トップシークレット)が敵国に筒抜けであることに終戦まで気付きませんでした。

 海戦ではまとも戦って勝てないことを悟ったドイツ皇帝ヴィルヘルム2世無制限潜水艦作戦を本格始動させることを決意しました。無制限潜水艦作戦とは、ドイツの指定海域内において無許可で航行している船を見つけたら、軍艦・商船・客船を区別なく、敵船・中立船に関わらず問答無用で撃沈するというものです。

 この作戦に連合国軍側はドイツを痛烈に非難しました。

「ドイツの潜水艦作戦は、明らかな国際法違反だ。我々は、この卑劣にして残忍なドイツ軍を完膚なきまでに蹴散らすことを誓います。」

 ドイツの無制限潜水艦作戦は確かに国際法違反です。ですが、バカ正直に「国際法に則って、商船や中立船は目こぼしにする」と言えば、商船に軍需物資を満載したり、中立船に偽装して堂々と航海したりするのです。

 これは戦争です。言ってみれば「何でもあり」なのです。

 戦争では正直者がバカを見るのです。キレイ事はまさにキレイ事。何の意味もありません。

 連合国軍が、「ドイツは国際法違反をしている」と非難しているのも、開戦の口実をつくるためであり、単なる建前にすぎません。それによって国民感情を煽り、兵士の士気を高めるのです。

 しかし、無制限潜水艦作戦は大きな危険性を秘めていました。

 アメリカの参戦です。この作戦を実行すれば、アメリカに絶好の参戦口実を与えてしまいます。

 案の定、アメリカのウィルソン大統領はドイツの無制限潜水艦作戦に厳重抗議。無制限潜水艦作戦は尻すぼみの状態になってしまいました。

 

しかしながら、連合国軍もかなり疲弊していました。陸戦では死体がどんどん積み重なり、海ではドイツの無制限潜水作戦と連合国軍は苦境に立たされます。イギリスは再度、アメリカに参戦を打診するも、未だに中立政策を取り続けていました。

 

 1917年になると、ドイツの劣勢がはっきりしてきました。

 ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世は考えます。再度、無制限潜水艦作戦に乗り出そうとします。軍部の中には作戦再開に賛成派と反対派に分かれました。

 反対派の意見はこうです。

「陛下、なりません。あの作戦だけは。世界各国から多大な非難を浴びてしまいます。しかも、この作戦を口実にアメリカが敵国として参戦してきたらどうするのですか。そうなったら、いよいよ我がドイツの敗北は必至ですぞ。」

 一方、作戦の賛成派の意見はこうです。

「陛下、どうかご決断を。我々は追いつめられているのですぞ。イギリスから海上派遣を取り戻さなければ、戦争遂行は不能。そもそもサセックスブリッジを破ったのは、アメリカの方ではないですか。あんなものはとっくに無効になっています。」

 しかし、ヴェルヘルム2世は無制限潜水艦作戦の実行に傾いていきました。

 一方で、万が一アメリカが参戦した時のために、メキシコを仲間に引き入れ、アメリカの背後を突かせようとする作戦にも出ました。

 ドイツはメキシコに以下のような軍事同盟の誘いをかける電報を打ちました。

「我々ドイツは、1917年2月1日を期して、無制限潜水艦作戦を再開する。その結果、万が一、アメリカが参戦した場合、メキシコは同盟側(ドイツ側)に立って参戦してくれれば、ドイツは戦中にあっては、メキシコに金融支援を行い、戦後はメキシコがアリゾナ州ニューメキシコ州テキサス州を併合することを保証する」

 この電報を受けたメキシコ大統領は一時的に困惑するも、参戦には慎重でした。

アリゾナ州ニューメキシコ州テキサス州は19世紀まではメキシコ領であり、その失地回復は大変魅力的だ。しかし、今のドイツは劣勢状態にあることは誰の目にも明確だ。このまま同盟国軍に加勢しても、結局敗戦国となって多大な賠償金を払う羽目になってしまう。」

 こうした理由からメキシコは中立を維持することを決意。ドイツの野望はあっけなく水泡に帰してしまったのでした。

 

 それでもドイツは無制限潜水艦作戦の再開に踏み切りました。

 そのくらいドイツは追いつめられていたのです。とにかくドイツは劣勢の状態の戦況を打破したいのです。

 

 このドイツのメキシコに対する電報はイギリスも傍受していました。先述の通り、イギリスは既にドイツの暗号解読に成功していたのです。

 しかし、イギリス首相ロイド=ジョージは、この電報をもてあましました。

 アメリカにこれを伝えれば、アメリカの世論は参戦に傾き、連合国軍として参戦するでしょう。アメリカの参戦は、イギリスにとってのメリットとしては測り知れません。

 しかし、一方で、イギリスが暗号解読に成功していることがドイツにばれてしまう危険性がありました。そうなれば、ドイツは暗号を変え、イギリスは戦争遂行に大きな支障が生まれるでしょう。

 1か月間考えた末、ロイド=ジョージは2月25日、アメリカに伝えました。

 この知らせを聞いたアメリカ国民は大激怒。国民は一斉に主戦派に回りました。

 しかし、ウィルソン大統領は、「非戦論」や「中立政策」を公約として掲げたことで、選挙を勝ち抜いた大統領。そう簡単には参戦を決断出来ません。

 公約を守るべきか、心変わりした国民の意見を尊重するべきか・・・。

ウィルソン大統領は参戦の大義名分を探し始めました。

 ここで使えるのが、「正義」という言葉。

 無能で間抜けな日本の警察がよく使う大変都合の良い言葉です。はい。

 ウィルソン大統領は「正義のため」、もう少し具体的にいうと、「民主主義のため」という大義名分を掲げた上で、参戦に踏み切ろうと考えました。

 

 ウィルソン大統領は、「同盟国軍VS連合国軍」を、「君主国家群VS民主国家群」の対立構造に置き変えようとしました。つまり、君主国家群を「民主主義の敵」、または「悪の帝国」として位置づけようとしたのです。

 しかし、ここでもまた難題がありました。

 同盟国軍は、ドイツ・オーストリアオスマン帝国(トルコ)と君主国家ばかりですが、連合国軍のイギリス・フランスは民主国家なのに、ロシアだけが君主国家でした。

 ロシアが連合国側にいる限り、悪の君主国家群を倒すためという大義名分が立ちません。世論は、

 そんな中、ウィルソン大統領にとって願ってもみないビッグニュースが飛び込んできました。

 なんと、ロシア国内で内乱が起こり、ニコライ皇帝を倒すロシア革命が起きたのです。こうしてロシアの君主制は終焉し、民主国家として生まれ変わりました。(この後、ロシアはレーニン指導のもと、資本主義に対立するソビエト社会主義共和国連邦ソ連)という社会主義国家になります。)

 

 こうして、イギリス・フランス・ロシアの連合軍の中心国がすべて民主国家になったことで、アメリカは参戦を決意しました

 連合国軍は圧倒的な国力を持つアメリカが参戦したことで、優勢が急加速。国内で革命が起きたロシアが戦線を離脱するも、アメリカの援助を受けた連合国軍の優勢は続きました。ドイツは後退を余儀なくされます。それでも連合軍は進撃します。

 ドイツ政府は混乱状態になり、総崩れしていきます。

 

 そして1918年11月、日本では原敬内閣総理大臣に就任し、原内閣が誕生した直後、第一次世界大戦は、ドイツを中心とした同盟国軍の敗北で終結します。サラエヴォ事件から実に5年半も経過していました。この世界大戦によって両軍の兵隊や民間人を合わせて1800万人が犠牲になりました。まさに「人類史上最大の汚点」とも言える出来事になってしまいました。

以上。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

参考文献

朝日おとなの学びなおし! 昭和時代        保阪正康=著  朝日新聞出版

教科書よりやさしい世界史                     旺文社

世界史劇場 第一次世界大戦の衝撃         神野正史=著  ベレ出版