【学問のすすめ】福沢諭吉がアメリカで発見した素晴らしい概念とは
こんにちは。本宮貴大です。
今回のテーマは「【学問のすすめ】福沢諭吉がアメリカで発見した素晴らしい概念とは」というお話です。
西洋の文明を学ぶため 福沢諭吉は勝海舟らと共にアメリカに渡ります。そこで諭吉は素晴らしい概念を見つけます。「どうやらアメリカには平等という概念があるようだ。」彼はアメリカ独立宣言を引用し、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名はセリフを残しました。この概念は当時の人々には画期的で著書『学問のすすめ』は空前の大ベストセラーとなりました。
日本で最初に太平洋横断を達成した人達をご存じでしょうか。実は明治の岩倉使節団の10年前に太平洋横断に成功しているのです。
それが勝海舟を艦長とした咸臨丸(かいりんまる)です。今回は咸臨丸に同乗した福沢諭吉のストーリーを展開していきたいと思います。
1853年のペリー来航以来、日本も西洋の技術を取り入れ、列強と同等の立場になろうとする気運が高まりました。それまで蘭学者を弾圧していた幕府は手のひらを返したように蘭学の普及を急ぎました。
江戸に蘭学塾を開いていた勝海舟はそんな数少ない蘭学者の一人でした。
また、緒方洪庵の適々塾で蘭学を学び、江戸築地に蘭学塾を開いた福沢諭吉も蘭学者として幕府から重宝されました。
両者は同じ蘭学を志した先輩と後輩であり、共に幕閣へと昇任しました。
その後、1860年早々、大老の伊井直弼が反対派の意見を押し切って日米修好通商条約の調印を踏み切ったことで批准のためアメリカに使節を派遣する必要が出てきました。
その内容は幕府の艦隊に日本人が乗り込み、本国に帰還するアメリカ軍艦に随行するカタチで太平洋を横断するという壮大なもので、随行には勝海舟率いる咸臨丸が決定しました。
これは西洋の文明を学びとる絶好のチャンスです。
蘭学に精通していた福沢も同乗を許可され、一行は1860年1月22日にサンフランシスコに向け、浦賀港を出発しました。
咸臨丸の排水量は約630トン。現代の船でたとえると少し大き目の漁村程度。ペリーが乗っていた艦隊の4分の1程度の大きさに過ぎませんでした。しかし、日本人は西洋式の蒸気船に乗り込み、なんとか太平洋横断を成功させました。黒船来航からわずか6年余りで日本は蒸気船を手に入れ、その使い方をオランダ人から学び近代海軍の礎を築きあげたのです。勝や福沢を含めた多くの蘭学者は黒船来航以前から蘭書を通じて西洋の艦隊の存在を知っていました。
幕府の厳しい弾圧に耐えながら、懸命に艦隊の基本的構造を勉強していた蘭学者がいたからこそ日本は短期間で海軍の雛形を作り上げたのです。
さぁ無事アメリカに到着した一行は現地で盛大な歓迎を受けます。様々な西洋の料理やレセプションセレモニーなど福沢の目には全てが新鮮に移りました。
福沢が最も驚愕したのは、アメリカの初代大統領・ジョージワシントンの子孫を特別視していない点です。初代大統領とは、日本でいう徳川家康のことを指しますが、たとえ大統領の息子であっても大統領の後を継ぐことはありません。大統領になるには、勉学に励み、思考力を鍛え上げ、実力や実績を残し、多くの人々から支持され、大統領選挙に当選する必要があります。それは大統領の子孫であろうと特別視されません。
当時の徳川将軍家は完全世襲制度であったため、福沢は精神に大変刺激を覚えます。
さらに福沢が驚愕したのは、女性の地位が高いことです。何やら「レディーファースト」という考えもあるようで、常に男性が女性をエスコートしているのです。当時の日本では絶対にありえない。バリバリの男尊女卑の日本では、女性はほとんど男性の付属物としかみられていませんでした。
アメリカには既に「平等」という概念が定着しており、日本のほ身分による差別や序列といった封建制度とは無縁の世界が広がっていたのです。
ますますアメリカに興味を持った福沢はアメリカがいかにして生まれた国なのかを調べ始めます。
アメリカ独立戦争の際に第3代大統領・ジェファソンによって草起されたアメリカ独立宣言を読ませてもらうことに成功。そこには自然法思想に基づいた基本的人権と革命権を唱えていました。
「どうやら西洋には平等という概念があるようだ。」
帰国した福沢は『学問のすすめ』の執筆を始めます。福沢はこう言います。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と。
人は生まれがらに平等という権利を有しており、その権利は決して侵すことは出来ない。では、なぜ貧富のの差が生まれてしまうのでしょうか。それは勉強したかしなかったかの違いだと福沢は言います。
生まれながらにして貴賎貧富の差などないのだ。ただ、「学問に勤めて物事をよく知る者は貴人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」(学問のすすめ)
勉学に励みなさい。そうすれば身分を問わず、どんな人間でも立身出世が出来る。
この言葉は、当時の青年達には刺激的で学問のすすめは累計300万部を売り上げる大ベストセラーとなり、貸本や写本によって多くの人々に読まれ、絶大な影響を与えることになりました。
以上
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮貴大でした。それでは。
参考文献
早わかり 幕末維新 外川淳=著 日本実業出版社
教科書よりやさしい世界史 旺文社