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【社会契約説】なぜホッブズは絶対王政を支持したのか

 こんにちは。本宮貴大です。

 今回のテーマは「【社会契約説】なぜホッブズ絶対王政を支持したのか」というお話です。

 今回の主人公は社会契約説の先駆者であるイギリスの思想家であるトマス・ホッブス(1588~1679)です。

 その上で、「なぜホップズは絶対王政を擁護したのかを見ていきながら、ストーリーを展開していきたいと思います。

 

 本題に入る前に社会契約説における前提知識を復習しておきます。

 突然ですが、あなたはたった一人で生活することが出来ますか。想像してみてください。一人で食料や飲み水を確保しなければならなかったり、洋服や住居も一人でつくらなければいけません。

 どうでしょう。きっと限界があるはずです。

 そこで人々は社会を形成し、みんながそれぞれの役割分担をするようになりました。そうすれば、みんなに食べ物が安定的に供給され、洋服や住居も、もれなく行き渡ります。

 しかし、社会を作った以上、集団生活となるため、必要最低限のルールや決まりを守らなければいけません。このような人間が生きていく上で必要最低限のルールや決まり、法律のことを「自然法」と言います。

 同時に人間には以下のような欲求があります。

「安心して暮らしたい」

「自由に物事を決めたい」

「豊かに暮らしたい」

「自分の財産を守りたい」

 生命、自由、平等、財産などの人間が生まれながらに持っている欲求を自然権と言います。

社会はこの自然法自然権を人々に保証するために形成されました。これが社会契約説の基本的な考えです。

この自然法自然権を前提知識として覚えておいてください。

 

今回紹介するイギリスの学者・思想家であるトマス・ホッブスは人々に自然権自然法を保証するために社会はどうあるべきかと説いているのでしょうか。

それではストーリーをはじめます。

 イギリスの思想家であるトマス・ホッブズの社会契約説の最大の特徴は絶対王政を擁護している点です。ホッブズによると人間は本来、利己的で欲望のままに行動するという性悪説と唱えており、そんな人々の利己心を制御し、平和を維持するためには、国王という強大な権力者が必要であると論じました。

 

  16世紀後半のイギリス(以下、イングランド)では、エリザベス1世のよる絶対王政の時代が続いてしました。

 絶対王政とはキリスト教に基づく理論である王権神授説のもと、全ての権限は国王が持っており、その国王が人々を臣民として統治する政治形態のことです。

 つまり「国王の権利は神から授かったもので、国王の命令は絶対命令!」ということです。

 

 このように聞くと絶対王政とは、いかにも強欲な国王が自分の私利私欲を満たすために専制政治を行い、人々に重い納税や労働を課す支配的なイメージを持ってしまいがちです。

 しかし、絶対王政とは「諸刃の剣」です。エリザベス1世のような人格者であれば、少なくても国は平和になり、経済も文化も活発になっていきます。現にこの時代はイングランドの黄金時代と呼ばれており、政治や軍事、経済、文化において大きな功績を残すことが出来ました。(詳しくは以下の記事より)

 

motomiyatakahiro.hatenablog.com

 

  ホップズが生まれた1588年はちょうどエリザベス1世の治世でした。ホップズはイングランド国教会の牧師の子として生まれ、オックスフォード大学を卒業後、貴族の家庭教師や、あのフランシス・ベーコンの秘書を務めるなど政界に身を置きます。一方で大陸に渡って、ルネ・デカルトガリレオ・ガリレイとも触れ合い、当時の近代的で科学的な学問にも触れています。

 

 そんな中、1603年のエリザベス1世が死去しました。新国王となったジェームズ1世絶対王政を利用し、独断・専制政治を行いました。人々は次第に宗教的な不満や政治的な不満を強め、不安定な時代が訪れてしまいました。

 人々がそんな絶対王政に疑問を抱いていた頃に、ホップズは絶対王政を支持していました。当時のイングランドは国王を支持し、絶対王政の継続を願う王党派と、国王を倒し、共和制を築こうとする議会派に分かれてしました。

 ホップズは絶対王政の支持者として議会派から激しい迫害に遭います。

  そして王党派と議会派が激突するピューリタン革命が起きる直前、ホップズはフランスに亡命します。1640年のことでした。

 フランスでの亡命生活は11年にも及びましたが、彼はそこである著書を執筆し、ピューリタン革命が一段落した1651年にイギリスに帰国。亡命中に執筆した書物をリヴァイアサンというタイトルで刊行しました。

 このリヴァイアサンにこそ彼の「社会契約論」が展開されています。

 

 ホップズの「社会契約論」はいかなるものなのでしょうか。

 「契約」という言葉が含まれているため、誰かと誰かが契約をしているのです。

誰と誰でしょうか。

 国民と国民です。国民同士が互いに契約を結んでいるのです。

 なぜ国民同士が契約を結んでいるのでしょうか。またどのような契約を結んでいるのでしょうか。

 

 ホップズによると、人間は基本的に利己的であり、利益や財産の獲得において各人が他人を押しのけてでも獲得しようとする競争や奪い合いが発生するとされています。ホップズはこれを「万人の万人による戦い」と表現しました。その結果、かえって社会秩序が乱れるだけでなく、各人の生命や財産などの自然権まで脅かされてしまうといいます。

 おそらく、ピューリタン革命による王党派と議会派の激突を目の当たりにしたホッブズはそのように感じたのでしょう。

 

 16世紀の日本は、ちょうど安土・桃山時代でした。少し前は、戦国時代と呼ばれており、私利私欲にまみれた全国各地の大名が自らの勢力を拡大しようと、他者の領土や財産の奪い合いをしていた時代です。それは大名同士の戦いだけにとどまらず、小国の領主や兵士など身分制度を超えて成り上がろうとする下剋上の風潮も強くなりました。その結果、争いが続き、人々は絶えず生命の危機や財産喪失の不安を感じていました。

 

 では、どうすれば「万人の万人による戦い」はなくなり、各人の自然権は保証されるのでしょうか。

 

 ホップズによると、人々は自然権を全て放棄するべきだと説いています。その理由は先述の通り、人は基本的に利己的で強欲だからです。強欲であるがゆえに、人間は放置しておくと互いの私利私欲を満たすために争いをしてしまうのです。

 

 そこで、人々は互いに約束するのです。「奪い合いや争いはやめよう。欲望を捨てて、互いの生命や財産を尊重しあうようにしよう」と。つまり、自然権を放棄させるのです。

 では放棄された自然権はどうするのでしょうか。

  自然権は全て国家に譲渡してしまうのです。

 そして、人々は「臣民」として強大な権限を持つ国家に絶対服従する。その代わり、国家は人々が欲望のままに争いを起こさないかどうかを監督する役割を担うのです。その手法は旧約聖書に出てくる怪物「リヴァイアサン」のような強大で人々が恐れおののくようなものであるべきだとしました。その結果、社会秩序が保たれ、個人の生命や財産、自由などの自然権も保証されるのです。

 

 さて、強大な権限をもつ国家をホッブズは「リヴァイアサン」という怪物に喩えていますが、この強大な権限をもつ国家こそ、絶対王政の政治形態そのものになります。

 

 改めて、なぜホッブズ絶対王政を擁護したのでしょうか。

 そうですね。人は基本的に利己的で強欲だからです。強欲であるが故に「万人の万人による戦い」が生まれてしまうのです。そこで絶対的な権限をもつ国王が統治することで人々の平和と権利が保証されるのです。

 

 日本でも、戦国時代のような不安定な時代を織田信長豊臣秀吉徳川家康のような強力な支配者が現れ、結果的に徳川将軍家という絶対的な権限を持つ支配者が統治したことで、天下泰平の世が築かれたのです。

 絶対王政では人々は自由でもなければ平等でもありません。しかし、少なくても平和は維持されます。現に江戸時代という260年間は争いのない平和な時代でした。

 

 帰国後のホッブズは政界から離れ、ひたすら学問研究に励むようになりました。

 ホップズ社会契約論の最大の特徴はこの絶対王政という政治形態を肯定している点です。

 

 そもそもなぜ、国王には絶大な権限が与えられているのでしょうか。そうですね。キリスト教に基づく理論であった王権神授説が原因でしたね。この王権神授説を否定し、新たに社会契約論を展開した思想家が現れました。それがジョン・ロック(1632~1704)です。

 

 ということで、次回はジョン・ロックを主人公に社会契約論を解説しながらストーリーを展開していきます。お楽しみに。

 

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

図解雑学 哲学            貫成人=著 ナツメ社

考える力が身につく 哲学入門     畠山創=著 中経出版

すっきりわかる 超解「哲学名著」辞典 小川仁志=著 PHP文庫

教科書よりやさしい世界史              旺文社