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【日米修好通商条約】これはひどい!金銀比価問題をわかりやすく

こんにちは。本宮貴大です。

今回のテーマは「【日米修好通商条約】日本から大量の金を搾取した欧米列強」というお話です。

 日米修好通商条約は日本にとって不平等な条約でした。1つ目の不平等は日本と世界の金銀の交換比率が違うことを利用した点。この結果、日本にはどんどん銀が入り、代わりに金が大量に流出する事態となりました。列強は日本から大量の金を搾取したのです。この金流出に対し幕府は貨幣改鋳で対応。深刻なインフレを引き起こし、町人達の間でも尊王攘夷運動を強める結果となりました。

 

 老中・堀田正睦が条約勅許問題で失脚させられ、1858年4月に伊井直弼大老に就任しました。直弼は朝廷の反対を押し切って日米修好通商条約を締結してしまいました。

 これに尊王攘夷は激しく反発。正睦の苦肉の策は何の成果も収めないばかりか幕府の権威を失墜させ、尊王攘夷派という公家勢力を政局の中心に押し出す結果となっていくのでした・・・

 

 そんな中、1858年に締結された日米修好通商条約の主な内容は以下の通りです。

・下田、箱館の他に、函館、新潟、神奈川、兵庫、長崎の5港を開港すること。

・開港場のアメリカ人の居住を認めること。

日本とヨーロッパ諸国との間に紛争が起こった場合、アメリカが介入すること。

・アヘンの輸入を禁ずること。

  

 こうして、新たに開港された神奈川は横浜と改名され、外国人がぞろぞろと横浜を居留地とし、貿易がさかんに行われるようになりました。(さらに兵庫は神戸と改名)

 

 さらに日米修好通商条約には不平等な条約も含まれていました。それらの主な内容は以下の通りです。

  1. アメリカの貨幣と日本貨幣を交換する時は日本の金銀比率に合わせること。
  2. アメリカ人が日本で犯した犯罪はアメリカの法律で裁くという領事裁判権を認めること。
  3. 日本には関税自主権がないこと。

 

 なぜ、日本は不平等な条約を結ばざるを得なかったのでしょう。

それは、長い鎖国制度の中で、世界の政治や経済情勢に対して無知であったこと。そして、アヘン戦争後の清国(中国)と同じ運命になることを極度に恐れていたことからです。

  アヘン戦争後の清国(中国)と同じ運命になる・・・幕府はこの一点に関しては何としても避けたいことでした。それはハリスが通商条約締結の際に、アロー戦争で、またしても中国が列強の支配に苦しんでいることを引き合いに出している点からもうかがえます。

 だからこそ、幕府は条約締結によって「日本とヨーロッパ諸国との間に紛争が起こった場合、アメリカが介入すること。」「アヘンの輸入を禁止すること」アメリカに保障してもらおうとしたのです。

 

 しかし、そのために幕府は別の罠を見破ることが出来ず、条約を調印していまいます。

 

こうして日本は罠に堕ちた。完全に。

 

 上記に上げた1~3の不平等な条約は日本の歴史の教科書にそれぞれ2~3行程度しか書かれていません。それを詳細に述べたいと思います。一体、どのように不平等だったのでしょうか。

 ということで今回から2~3回に渡り、日米修好通商条約がどのように不平等な条約だったのかをご紹介したいと思います。

 

今回は1について説明していきます。

アメリカの貨幣と日本貨幣を交換する時は日本の金銀比率に合わせること。」この文だけを見ると、一見何の心配もなさそうに見えます。おそらく幕府もそのように感じたのでしょう。

 ここでの最大の落とし穴は、海外の金銀比率と日本の金銀比率が異なっていた点です。いわゆる金銀比価問題です。日本では金と銀の交換比率が1:5であったのに対し、アメリカをはじめ世界的には1:15でありました。

 たとえば、アメリカ人が銀貨15枚を金貨に換えるときは、通常であれば金貨1枚と交換出来るところを、日本の金銀比率に従うことで、金貨3枚と交換出来るということです。つまり同じ量の銀貨で、日本国内では通常の3倍の金貨が得られるようになったということです。

 商人出身で抜け目のないハリスがこの事実を見落とすはずもありませんでした。

 

 この情報は、またたく間に世界に広がりました。初めは南京条約によって開港された上海。そこから別の外国人居留地へ。情報はさらにフランス領のインドシナからイギリス領のシンガポールへ。そして太平洋を超えてアメリカのカルフォルニア州へと情報が広まりました。

 当時、アメリカはメキシコ戦争によって獲得したカルフォルニアで金鉱が掘り当てられ、ゴールドラッシュに沸いていました。にも関わらずカルフォルニアからも一括千金を夢見てぞくぞくと白人が日本にやってきました。

 

 こうして‘白人無法者達‘は大量の銀貨を袋に詰め、幕府が設置した24時間開かれている両替所へと急ぎました。そこで銀貨を1:5の比率で日本の金貨に換えました。この金貨を持って急いで上海へ行き、金貨を1:15の比率で銀貨に両替する。‘白人無法者達‘はこれを繰り返すことであっという間に億万長者になってしまいました。

 

こうして日本にはどんどん銀が入り、代わりに金が流出するという事態になってしまいました。欧米列強は日本から大量の金を搾取したのです。

 

 こうした金の流出に対し、幕府は貨幣改鋳で対応します。金の含有量を思いっきり減らし、悪貨をどんどん発行しました。「お金を増やせば、インフレになる」ことは皆さんもよくご存じだと思います。インフレは庶民の生活を苦しくさせ、江戸や大坂をはじめ町人達の間でも攘夷論が強まっていくのでした。

 

 ところで、先程から私は‘白人無法者達‘という言い方をしていますが、彼らを含め、日本国内にいる外国人達は無法者と化していました。ここで2つ目の領事裁判権が出てきます。

 ということで次回は2の「アメリカ人が日本で犯した犯罪はアメリカの法律で裁くという領事裁判権を認めること。」について述べていきたいと思います。

次回をお楽しみに。

本宮貴大でした。それでは。