日本史はストーリーで覚える!

日本史を好きになるブログ

【閲覧注意】なぜ国家資格を取っても食えないのか。【政治・経済】

 こんにちは。本宮貴大です。

今回のテーマは「【閲覧注意】なぜ国家資格を取っても食えないのか。【政治・経済】」というお話です。

 

 今回は、申し訳ないですが、国家資格取得を目指して勉強されている方はお気を悪くされると思うので、読まないでください。

 

 一級建築士という国家資格をご存じでしょうか。一度は聞いたことがあると思います。

 素人の方なら、「一級建築士はさぞ高給取りなんだろうな。」と思うかも知れません。

 

  意外かも知れませんが、実は私、以前は建設業界にいた人間です。業界では常識ですが、一級建築士は「足の裏についた米粒」と比喩されています。つまり、「取らないと気持ち悪いけど、取っても食えない。」という意味です。

 

 一級建築士は間違いなく、「食えない国家資格のベスト10」に入っています。

なぜ一級建築士は食えない国家資格になっているのでしょうか。理由は以下の3つです。

1.建設需要が右肩下がりだから。(減っている)

2.一級建築士の人数が多い。

3.一級建築士コモディティ化されている。

 

 以上3つの理由により、一級建築士は食えない国家資格となっています。1では、資本主義経済では、需要に対して供給が多ければ値下がりします。かつ、その限られたパイを2のたくさんの一級建築士が奪い合いをしているのです。

 そこに輪をかけて、3の一級建築士コモディティ化が発生しているので、一級建築士の給料は大幅に安くなっているのです。

 

 という事で今回は、国家資格を習得しても食えない理由を3のコモディティ化という経済用語を解説しながら述べていきたいと思います。

 

 コモディティ化とは一体何なのでしょう。

 コモディティ化とは、どのメーカーの商品も全く個性がなく、消費者にとってみればどのメーカーのどの商品を買っても大差がない状態に陥っていることを言います。

 

  例えば、あなたは今、スーパーに食パンを買いに行こうとしています。しかし、そこのスーパーには合計3社のそれぞれの食パンが置いてあります。あなたはどのメーカーの食パンを買いますか。

 

A社の食パン

B社の食パン

C社の食パン

 

 もし、それぞれの食パンの品質にそれほど大差がないのであれば、価格が安いかどうかが選ぶ基準の1つになるのではないでしょうか。

 

 私は現在、コンビニでアルバイトをしていますが、ある商品の安売りセールが行われると品質は変わっていないのに、普段よりたくさん売れるようになります。その差は、かなり顕著です。全然違います。

 つまり、お客様にとって「価格が安いかどうか」は、商品を選ぶうえで大きな基準の1つになっているということです。

 

 もし、どの食パンも品質にそれほど大差がなければ、あなたも、より価格の安いメーカーの食パンを買うのではないでしょうか。

 

 コモディティ化された商品は、その商品がどんなに優れた品質や性能を有していても、同じ商品を売る複数のメーカー(買ってもらう側)がいれば、より安いメーカーの商品が多く買われるのです。その結果、各メーカーが熾烈な価格競争に走り、値段は「限界利益」がゼロになるまで下がり続けます。

 「限界利益」とは、経済用語で商品が一個売れたごとに生じる利益のことで、生産コストを差し引いた売り手の手元に残る利益のことです。

 それがゼロになるということは、コモディティ化された商品を作る企業は「売っても売ってもほとんど儲からない状態」になってしまいます。その結果、当然、従業員への給料も減ってしまうのです。

 

 実は、これが人的資本においても起こっているのです。どういうことかというと、例えば、あなたは建築士事務所を経営しているとします。人材を募集したところ、以下の3名が応募してきてくれました。

Aさん 一級建築士

Bさん 一級建築士

Cさん 一級建築士

 どの方も、同じ一級建築士保有しておられます。

 もし、どの方も、決められた時間に出社し、決められた仕事を決められた手順で行い、あらかじめ予定していた成果を上げてくれる人であれば、この中で一番安いコスト(給料)の人を採用するのではないでしょうか。

 たとえ一流の国家資格を有いていても、それを有する人材が複数存在すれば、企業はより安く使える人材を採用するに決まっています。応募者がコモディティ化した人材になった結果、「どれだけ安い給料で働けるか」という基準で選ばれてしまい、その結果、応募者の給料の値下げ競争が始まるのです。人材が買い叩かれているのです。

 

  国家資格を持つ人が行う業務を、同じ資格を持つ他の誰かと交換しても代わり映えしないのであれば、コモディティ化した人材になってしまうのです。

 つまり、苦労して一級建築士を取得し、それだけで自分を差別化しようとする限り、コモディティ化された人材になることは避けられず、「安いことが売り」の人材になってしまうのです。

 

 電車の吊り広告等で、就職に有利に働く資格というキャッチフレーズで資格学校の宣伝がされています。

 確かに‘就職する‘には有利です。ただし、‘安い給料で‘ということになるのです。

 資格学校の宣伝は結局、あなたにとって都合の良い宣伝ではなく、資格学校側にとって都合の良い宣伝になっているのです。

 

 これは決して一級建築士に限った話ではありません。医者、弁護士、会計士、あるいは一会社員、一研究者、一営業マン、一教師といった具合に同じような能力をもった人であれば、他の誰かと交換しても代わり映えしないのであれば、より安い労働力が積極的に採用されていくのです。たとえ独立開業しても、コモディティ化した血みどろの低価格競争からは逃れられないのです。

以上。

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮でした。それでは。

参考文献

僕は君たちに武器を配りたい 滝本哲史 著 講談社