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【享保の改革】江戸ノミクス・米将軍のジレンマ 前編【徳川吉宗】

 こんにちは。実は最近、ふ菓子がマイブームの本宮 貴大です。

この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。

今回のテーマは【江戸ノミクス】米将軍徳川吉宗のジレンマ 前編【徳川吉宗

というお話です。

是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。

デフレーションとは国の発展によってもたらされた結果であり、豊かな生活を与えくれる政策です。一方、インフレーションとは単にお金を増やしたことによって商品・サービスの量や質は変わらないのに値段が上がってしまい、豊かさを感じない政策です。

 今回から1716年に8代将軍に就任した徳川吉宗享保の改革をご紹介していきます。その際、マクロ経済の勉強少ししておかなくてはいけません。

 

 まず、前提知識として、価値の高低は、数が多いか少ないかで決まります。例えばダイヤモンドと石ころで考えると、ダイヤモンドは数が少ないため、価格は高くなります。しかし、石ころは数が多いため、価格は低くなります。これを前提知識として持っておいてください。

 では、マクロ経済の勉強をしたいと思います。

 

 まず、A国という国のA商店のAさんは1匹の魚を100円で売っていました。

 しかし、今年は大量発生しているせいか魚がたくさん獲れました。魚の数が増えたため、魚1匹あたりの価値は下がったのです。一方、お金の数は増えていません。魚の価値が下がったため、必然的にお金の価値が上がったのです。すると、A商店では魚2匹を100円で提供することが出来るわけです。魚1匹を100円で買っていた時代と比べて、魚2匹を100円で買えるようになったのですから100円の価値は上がったということになります。つまり、物価が下がったということです。これがデフレーションです。

 

「え?デフレって悪いことなんじゃないの?今の話を聞いていると買う側からすれば良いことのように感じるけど・・・」と思った方は、後ほど説明します。

 

 次に、国Bという国のB商店のBさんは1匹の魚を100円で売っています。しかし、国Bはお金を大量に刷りました。お金をたくさん創ったのです。すると、お金の数が増えたので、お金の価値は下がります。一方で、魚の数は増えていません。お金の価値が下がったため、必然的に魚の価値が上がるのです。すると、B商店では魚1匹が200円で売っているという現象が起こるのです。魚1匹を100円で買っていた時代と比べて、魚1匹を200円で買うのですから100円の価値は下がったということになります。つまり物価が上がったということです。これがインフレーションです。

 

 解説に入ります。デフレーションとは、モノの生産力が上がった「結果」、供給過剰になり、物が売れず、モノ余りが続く状態を指します。したがって、モノの価値が下がり、物価が下落するのです。先程の例で言うと、魚2匹が100円で手に入るのですから、むしろ良いことです。つまり、デフレーションは「原因」ではなく、「結果」なのです。生産力が上がるという国の発展が「原因」となってデフレーションという「結果」が起きるのです。

 そこで、下落した物価を元通りにするにはどうすれば良いでしょうか。そうですね。ここで初めてお金を増刷するのです。そうすると、モノが増えた分、お金も増えたので、魚1匹が100円へと元通りになるのです。

 つまり、お金を増刷するというインフレを促進する行為は、モノの生産力が上がり、デフレが起きてから行うのです。

 デフレを起こすのは、企業の生産力を上げる必要があるため、難しいです。しかし、インフレを起こすのは、お金を刷るだけなので簡単です。

 安倍首相のアベノミクスや日銀の黒田総裁の「黒田バズーカ」はお金を刷っただけで数字を弄っただけの政策なのです。国の生産力が上がっていない状態で、お金ばかり増えてどうするのですか。商品の質や量が変わっていないのに値段が高くなってしまうのです。順番が逆なのですよ。だから昨今の私達の生活は豊かになったと感じないのです。

 

 ここまで読んでいただいた方なら「デフレは悪ではない」ことがお分かり頂けると思います。これでもまだ、「デフレは悪」と思う方はテレビや新聞に完全に操作されています。

 

 

徳川吉宗の行った享保の改革はお米を増やすことで幕府の財政再建を図ろうとしました。しかし、お米が増えたことで米価が大暴落。インフレーションが起きてしまったのです。吉宗の政策には近代的な経済的現象が入り込んでしまったのです。

 

 

 

 

 「改革」とは「改める」という漢字が使われているので、何かマズイことが起きており、その危機的状況を打破するための政策を行ったということです。

  

 この時の7代将軍・徳川家継は当時8歳。持病が悪化し、いつ死んでもおかしくない状態でした。将軍職は完全なる世襲制で後継者は基本的にその子供が引き継ぐことになっていました。しかし、家継はまだ8歳。当然子供などいません。したがって、幕府は将軍の後継者問題に直面します。

 そんな中、徳川御三家の1つ紀州藩の領主であった徳川吉宗が将軍として推薦されるようになります。そして7代将軍・家継が8歳で亡くなったと同年の1716年、吉宗が8代将軍として大抜擢されました。

(当時の大名には区別があり、徳川御三家親藩、長く徳川家に仕えていた大名を譜代大名関ヶ原の戦い後に徳川家の傘下になった大名を外様大名としていました。)

 

 当時、幕府は財政難に陥っていました。

 4代将軍・徳川家綱の頃、明暦の大火が発生し、江戸がほぼ全焼。その再建に多額の費用がかかってしまったのです。さらに、5代将軍・徳川綱吉は学問を重んじ、仏教儒教を奨励していました。そのため、仏教のシンボルである寺社の造営を積極的に行っていました。さらに徳川家は接待など日夜、贅沢な生活をしていました。

 その結果、幕府は多額の借金を抱える羽目になりました。幕府は借金返済を早急にすませるため、貨幣を増やす金融政策を始めます。

 例えば、あなたがローンで1000万円の借金をしているとします。一方で、あなたにはお金を増刷する権限があります。この場合、あなたは1000万円の借金を早急に返済する手段は、お金を増やすことです。したがって、幕府は貨幣の改鋳に躍起になります。

(改鋳とは・・貨幣に含まれる金の量を減らし、貨幣の量を増やす行為。その結果、元禄貨幣は光り方も鈍く、あきらかに価値がさがっていました。)

 

 お金の数が増えたので、お金の価値は下がります。それに連動して他のモノの値段が上がってしまいました。例えば、ニンジン1本がナント、、、1万円という事態が発生してしまったのです。つまり、ハイパーインフレが起こってしまったのです。

 

  吉宗はまず、この非常事態を解消するべく市場に出回っている古い貨幣の回収をお行いました。みんなの協力の甲斐あり、たった2年で3分の1の貨幣を回収することに成功しました。

 

 一方で、幕府の再建をどうすれば良いのでしょうか。

 まず、吉宗が出した改革は、改革ではお馴染みの「質素・倹約令」です。

例えば今まで1日3食だった食事を1日2食にしなさいと命令を出したのです。それ以上は「腹のおごりだ。」と戒めました。

 

 次に吉宗が出した改革は全国各地の「新田開発」です。田畑を増やし、お米の収穫高を増やし、農民からお米を大量に徴収しようと考えたのです。「え?貨幣(お金)じゃないの?」と思う方もいるかも知れませが、当時は土地至上主義で、お米がお金同然の価値をもっていたのです。

 当時の人口の9割を占めていた武士と農民の生活の糧はお米から生まれていました。

武士達は農民から徴収したお米を商工業者にお金に換金してもらい、生活しています。一方、農民達もまた、獲れた米の量から年貢米の分を差し引いて、さらに自分達の食べる米の量も差し引いて、余ったお米を商工業者にお金に換えてもらい、その他の商品を購入しています。

 当時はお米こそが価値あるもので、お米こそが人々の生活を支えていた米本位体制だったのです。

 お米の量が増えるまでの間、幕府が食いつなぐために、吉宗は前代未聞の政策に出ます。なんと、全国の諸大名から参勤交代の在府期間を半年にする代わりに、お米を貸してほしいと願い出たのです。将軍自ら「恥じを顧みず申し渡す」と前置きし、諸大名からお米を借り上げました。これが1722年の「上げ米の制」です。

 

 吉宗の新田開発の甲斐あって全国の米の生産量は大幅にアップしました。これで幕府のところには大量の米を徴収することに成功しました。

 しかし、お米の数量が増えたので、米の価値は下がります。

 例えば、あなたが江戸時代の農民だとして、今までは、お米2キログラムで1000円に換金し、そのお金でキャベツとニンジンのセットを買っていました。

 それが、お米の数が増えたことで、お米の価値は下がってしまいました。一方で、お金の数は増えていません。したがって、お米2キログラムでは500円にしか換金出来なくなってしまいました。その結果、キャベツとニンジンのセットが買えなくなってしまいました。

 今まで通り、1000円に換金するには、お米を4キログラム用意しなくてはなりません。そう、お米の価値が下がったため、必然的にお金の価値が上がったのです。

 その結果、キャベツやニンジンなど、その他の物の値段が高くなってしまうといういわゆる「米価安の諸色高」が発生してしまったのです。

 

 ましてや、質素倹約令も出されているため、世間は「倹約第一」の風潮。したがって、商工業者も、お米は今まで通りの量はいらないのです。なので、米は余ります。お金に換金出来ず、お米ばかり余ってしまうという米価の暴落が発生したのです。

 

 武士も農民も給料が減ってしまい、生活苦になってしまったのです。当時の武士の日記にはこんな記録もありました。「馬も飼えなくなり、人も雇えなくなった・・・」と

 

 現代では、生産力を上げることはデフレーションを起こすため、人々の生活は豊かになります。

 しかし、吉宗の時代では、お米=お金の米本位体制なので、お米を増やすのは、お金を増やすことと等しい政策だったのです。

 

 特に吉宗が行った新田開発は、米の生産力が高まったため、安くお米が手にはいるようになり、一見、豊かな生活になったように感じますが、実はお米の価値を暴落させるというインフレーションを促進する政策だったのです。

 

 18世紀の経済学者・アダム・スミスが提唱した「神の見えざる手」という経済的現象が吉宗の改革の中に入り込んでしまったのです。吉宗はある意味、日本史上初めて、近代的な問題に直面した将軍だと言えるでしょう。

お米の値段を上げるにはどうすれば良いのでしょうか。「何としても米の価格を適正価格まで上げなくてはならない。」これが吉宗の課題です。

吉宗の戦いは続きます。

以上。

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。