【閲覧注意】子供の虐待が横行していた江戸時代【徳川綱吉】

 こんにちは。実は味覚オンチの本宮 貴大です。

この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。

今回のテーマは「【閲覧注意】子供の虐待が横行していた江戸時代【徳川綱吉】」というお話です。

是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。

江戸時代は里子、捨て子、間引きが横行しており、動物達も当たり前のように捨てられていました。生類憐みの令とは命を粗末にする民衆への戒めと正しい倫理感を植え付ける目的の法律だったのです。

 

 テレビなどのマスメディアで親がまだ幼い自分の子供を虐待したという報道を目にすると、心が痛みます。ニュースのコメンテーターは近年の社会問題だとか、核家族化が崩れたためとか、死角の多いマンションが増えたからとか・・・いろいろな意見を述べています。

 大人の児童虐待は本当に最近の話なのでしょうか。

 

 いいえ。江戸時代では現在では、考えられないような子供の虐待が行われていました。

 当時、子供は11~12歳で住みこみの就職(奉公)に出るため、働き手、稼ぎ手としては大変貴重な存在。女子は10歳前後で遊女に売ることも出来ました。養育費においても学校等に通わないため、大変安上がりです。

 したがって、子供を養子として差し出すとかなり儲かります。したがって、子供はどんどん産まれました。そう、江戸時代の子供は売り買いの道具だったのです。

 

 また、江戸時代は里子が多かったと見て間違いないようです。里子とは、親から金銭と衣類を付けられて他人に養育を依頼された子供のことですが、江戸時代には有効な避妊具はないので、未婚の妊娠は数えきれないほど多く、街には里子が溢れていました。

 当時も堕胎という概念があり、女性の堕胎医もいましたが、堕胎の技術は粗雑なもので、母体にもかなりの悪影響を与えます。堕胎にリスクが伴うのであれば、たとえ望まない妊娠でも産まざるをえません。

 

 しかしながら、里子に金銭や衣類を身につけさせるのは富裕層だから出来ることであり、貧しい層になるとボロ布に包まれただけの子供を「どうか、元気に育っておくれよ。」と親が囁いて他人の家の玄関に置き去りにするという「捨て子」となってしまいます。

 

 百歩譲って、捨て子ならまだ良い。もっと悲惨なのは「間引き」といわれる風習です。

 

 「間引き」とは、生まれたばかりの赤ちゃんを殺すことで、産婆に頼めば実行してくれました。産婆とは助産婦のことですが、出産の手助けの他、間引きも役割も担っていました。どうやら貧しく子沢山の夫婦が多かったようです。

 主に東北や関東を中心にすでに3~4人の子供がいる親は生まれてくる子を間引いていたことが記録に残っています。これは貧しい農山村だけでなく都市部に住む庶民や下級武士の間でも行われていました。江戸時代は子供が死亡しても原因究明もされなければ、医師による死亡診断書も必要ないので、基本的には親の言い分通りに処理されてしまいます。

 

  これらは当時の社会問題となっていました。したがって、5代将軍・徳川綱吉は「生類憐れみの令」を出しました。この命は学校の授業や教科書では極端な生命尊重を命じた「厳しい法律」と紹介されています。最近では犬を愛護していたことで「犬将軍」とやや面白可笑しく描かれていますが、決して気まぐれな将軍の思いつきによる命ではなく、実際はそれなりの合理性のある命だったのです。 

 捨てられていたのは、子供だけでなく、年寄りや病人も当たり前のように行われていました。

 物資の運搬として機能していた牛馬も、ケガや病気で歩けなくなったら捨てられる。犬も猫も鶏も同様に・・・犬などは野犬化すると人に危害を加える危険な存在にもなります。また、犬を試し切りする武士が多かったことなど記録が残っています。

 

 このような命を粗末にするような野蛮な風習を辞めさせるために綱吉はこの法律を創ったのです。改正も含めて135回も出されたのは無視されていたため。「いい加減に守れよ」といったところでしょうか。

 綱吉の「厳しい政治」とは殺伐とした気風を教化し、欲望まみれに行動する人々に倫理感を植え付けさせることだったのです。

以上。

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮貴大でした。それではまた。

参考文献

本当はブラックな江戸時代 永井義男 著 辰巳出版

日本史 100人の履歴書 矢部健太郎 監修 宝島社