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【絶対王政時代】「文化の近代化」から「政治の近代化」へ

 こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。

この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。

今回のテーマは「絶対王政時代【世界史のストーリーで覚える】」というお話です。

是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。

 

 ルネサンスによって芸術や文学などの美術史における近代化が始まりました。18世紀からはいよいよ政治面での近代化が起こります。その手始めに絶対王政について学びましょう。

 

 封建制社会とは、絶対的な権限を持っているモノがたくさんの民衆を支配している時代です。

 

 封建制社会は原則、自由はありませんので、職業も自由に選ぶことが出来ません。生まれつき身分が明確に決まっており、武士の家に生まれたなら、武士として生きる。農民の家に生まれたなら、農民として生きる。商人の家に生まれたのなら商人として生きる。以上のことが原則です。

 また、平等もありません。身分によって、完全なる序列が出来ています。例えば江戸時代は徳川将軍をトップに大名、武士、農民、工業技術者、商人の順番になっています。いわゆる「士農工商」です。

 

 しかし、近代化した現在、私達には職業選択の自由は与えられています。家柄に関わらず、なりたい職業に就くことが出来ます。また、こうしてブログで自由に情報発信する権利も与えられています。

 さらに、日本国憲法第25条に「全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるように平等も与えられています。これらを「基本的人権」と言いますが、西洋ではこの人権を手に入れるために血を流しているのです。イギリスでは清教徒革命と名誉革命、フランスではフランス革命、アメリカではアメリカ独立戦争が起きるのです。これらを市民革命と言います。

 

 封建制社会から近代化へ。人々は如何にして人権を勝ち取ったのか。時代の変化を一緒に学びましょう。

 このような社会は西洋では市民革命が起きるまで続きます。中世のヨーロッパでは教会勢力が絶対的な権限を持っており、人々は神の存在から束縛されていました。また、16世紀から18世紀に見られる王が絶対的な権限を持って民衆を支配する絶対王政が誕生します。これが18世紀になると人々が自由と平等を求めて立ちあがるのです。

 

 前置きが長くなりましたが、今回は人々が人権を獲得する市民革命について学ぶために、絶対王政について学んでおきたいと思います。

 

 近代化は14世紀のルネサンス期に既に起きていると思われるかも知れませんが、ルネサンスとは芸術や文学などの美術史における近代化です。18世紀からはいよいよ政治面での近代化が起こります。この絶対王政とは日本でいう徳川将軍家のことです。つまり、19世紀の明治維新まで政治面での近代化は世界に百年ほど遅れて始まるのです。

 

 

 この時代、初めて主権国家という考えが生まれます。国家とは明確な領土も持ち、主権が確立している国家のことを言います。国土を持っていて、主権を持っている存在があれば、そこは国として成立するのです。

 では、主権とは何か。主権とは国の最高権力として政治の在り方や方向性を決める際の、最終決定権のことです。現在、日本国憲法では主権は国民にあるので、国民投票によって政治を行うというもの。もう少し正確にいうと、選挙によって国の代表を決め、その人達に代わりに国の政治運営をしてもらうという間接民主制をとっています。

 

 今回は絶対王政ということで、主権は王にあります。王様が一番偉く、王様が政治の決定権を持っています。

 

 中世では教会が権力を握っていましたが、十字軍の失敗により、教会勢力が弱まったことで国王が絶対的権力によって国内を支配する主権国家が誕生します。これが絶対王政です。

 15世紀からは教会ではなく、国王が権限をもって政治の運営を行うのです。これを如実に現す出来ごとが15世紀末から16世紀初めのイタリア戦争になります。これは

フランスと神聖ローマ帝国(ドイツ)によるイタリアをめぐる戦争ですが、キリスト教国であるフランス側にはイスラーム教のオスマン帝国が。キリスト教カトリックの国である神聖ローマ帝国側にはプロテスタントの国であるイギリスと同盟を結びます。

 このように初めて宗教の関係なしの同盟関係が結ばれ、自国にとって損か得かによる同盟関係が結ばれたのです。これはカトー=カンブレジ条約によって和議されます。

 

 絶対王政とはどのような構造なのでしょう。

絶対王政は国王の権限は神から与えられたものだというキリスト教に基づく考え方で、王権神授説と呼ばれる理論によって支えられています。まさに「朕は国家なり」というわけです。

 

 

絶対王政は王様の独裁志向ですから、王様の独断によって全てが決まります。王様の仕事が決断だとすれば、側近はその実行が仕事になります。この実行する人を官僚制といいます。この官僚制はほとんどが貴族出身で、国王の政治の補佐する役人集団として機能していました。

 また、反乱軍に対抗するために常備軍も設置されました。