【大航海時代】ポルトガルVSスペイン コショウをめぐる大航海対決!
こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。
この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。
今回のテーマは「【大航海時代】ポルトガルVSスペイン コショウをめぐる大航海対決!」というお話です。
是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。
ポルトガルVSスペインのコショウをめぐる大航海対決。ポルトガルはヨーロッパ・インド間の航行路を開発。スペインは西廻りの航海で「あの大陸」に到着しました。
時代は15世紀末から16世紀まで。西洋は大航海時代を迎えます。日本はちょうど下剋上の風潮が激しくなってきた戦国時代に該当します。
この大航海時代の主役となるのは、レコンキスタと呼ばれるイベリア半島のキリスト教徒がイスラーム教徒の支配を打ち破り、覇権国家として誕生した2国になります。1つは12世紀に成立したキリスト教国・ポルトガル。もう1つは15世紀後半に成立したキリスト教国・スペインになります。
このポルトガルとスペイン、なぜ海に出る必要があったのでしょう。ストーリーで覚えましょう。
今、このイベリア半島では香辛料ブームが起きています。食べ物にコショウなどをかけて食べると美味しいとのことで、富裕層を中心に需要が増えています。
これは大儲けのチャンス。しかし、このイベリア半島には香辛料がほとんどありません。コショウは大変な貴重品になってしまいました。
したがって、コショウの価格が高騰し、同じ量の銀と交換出来るくらい高価なものになってしまいました。香辛料はインドと東南アジアに豊富にあるそうです。それらの国を侵略し、手中に収めれば、大儲けが出来ます。千載一隅のチャンス。
当時、特にインドのムガル帝国はイスラーム教やヒンドゥー教をはじめたくさんの宗教間の争いが絶えず、衰退しているので、侵攻には絶好のチャンス。
ということで、コショウを求めてインドに向かいます。
ポルトガルとスペイン。どちらが最初にインドに着くことが出来るか。
題して「ポルトガルVSスペイン コショウをめぐる航海対決!」
チーム名は全て、各チームのリーダーの名前から取ってます。
最初にポルトガル勢から紹介します。
エントリーナンバー1.チーム・エリンケ王子
エントリーナンバー2.チーム・バルトロメウ=ディアス
エントリーナンバー3.チーム・バスコ=ダ=ガマ
次にスペイン勢の紹介です。
エントリーナンバー4.チーム・コロンブス
エントリーナンバー5.チーム・マゼラン一行
合計5チームによる国別航海対決!果たしてインドに辿りつけるのはどちらの国のどのチームでしょう。
インドに向かう方法はユーラシア大陸を通って行く方法があります。しかし、それにはイスラーム圏を通らなくてはいけません。途中のイスラーム商人からマージンを取られるのですが、これがボッタクリなレベル・・・・費用対効果で言えば、明らかに損です。
ここでポルトガル勢は考えました。
「多少遠回りになるけれど、船を出してアフリカ大陸を南から抜けて航行した方が良さそうだな。」
スペイン勢も同じように考えています。
どうやら全チームとも船を出して、海を渡ってインドに行くことを決めたようです。
海を渡るには船が必要です。幸いにも、ルネサンスの産物として羅針盤と造船技術が発達したため、遠洋航海が可能になりました。
しかし、新たな問題が出てきました。
造船費用はもちろん、乗組員の給料、食料、医療器具など・・・・・
航海にはたくさんのお金が必要になってきます。その資金集めはどうするか。
各チームのリーダーは自国のお金をたくさん持っている人達から出資してもらおうと考えました。つまり、国王や女王、富裕層にお金を出してくださいとお願いに行きました。
しかし、国王や富裕層もただでは出資してくれません。そこで、リーダー達は夢を語りました。
「今、イベリア半島には香辛料が不足している。しかしインドにはこれだけの香辛料があって、これだけ儲かることが出来る」と。
国王や富裕層はこの夢に対して出資しました。これが現在の「株式会社」の成り立ちになります。経営者は夢を語り、その夢を応援するために株主はお金を出資します。経営者は儲かったお金を配当金として株主さんに分け与えます。これによって「東インド会社」というが世界で最初の株式会社が出来、後の帝国主義の風潮に繋がっていくのです。
さぁ、各チーム、お金を集めることが出来たようです。最初はどのチームが海に出るのか。
先陣を切ったのはポルトガルです。実はレコンキスタと呼ばれるイスラーム教徒からの支配を脱するのがスペインよりも早かったのです。
最初に大海原にでたのはチーム・エリンケ王子です。しかし、リーダーであるエリンケ王子は、船酔いが激しいため、直接航海には参加せず、国内でチームメイトを支援するカタチでの参加となります。
チーム・エリンケは、アフリカの最西端のヴェルディ岬に到着。惜しくもインド到着ならず。
続いて1488年、チーム・バルトロメウ=ディアスがインドに向けて出港しました。しかし、途中で船に異常が発生したため、アフリカ最南端の喜望峰(きぼうほう)に到着することに。またもインド到着ならず。しかし、アフリカの最南端までこれたので、後は北上していくだけです。
ポルトガルに先を越された事で焦るスペイン勢。レコンキスタを達成した1492年、チーム・コロンブスが動き始めました。ここでリーダーのコロンブスが言いました。
「我々は西廻りでインドへ向かう。あの水平線の向こうにインドがある」と。
当時、地球は平面だと思われていました。したがって、大西洋の西側は全て滝になっていて、滝に落ちると世界の果てまで落ちていってしまうということが常識だったのです。当然、部下達は大反対しました。
しかし、コロンブスは信じていました。‘地球は球体‘であることを。
今でこそ、地球は球体であることは常識ですが、その常識は歴史上の先人達の並々ならぬ努力の上に成り立っていることを忘れてはいけませんね。
1492年、コロンブスは大西洋の西へと船を出港させました。すると、コロンブスの言う通り、大陸に到着しました。無事、インドに到着・・・・と思いきや、何か様子がおかしいです。どうやらここはインドではないようです。
一方、追い込まれたポルトガル勢。残るチームはバスコ=ダ=ガマのみ。アフリカ最西端のヴェルディ岬と、同じくアフリカ最南端の喜望峰という中継地点は設けられています。ポルトガルの最後の望みを背負い、1498年、パスコ=ダ=ガマは出港しました。パスコ=ダ=ガマは見事、インドのカリカットに到着。ミッションクリアです。
ミッションクリアしたポルトガルはその余裕から、インドより東側の国々へ探検に向かいます。実は、マルコ=ポーロが著した『東方見聞録』の中に「ジパング伝説」という大変興味を惹く内容が書かれており、「ジパング」とはどんな場所なのか探検したくなったのです。
一方のスペインのチーム・コロンブスは未だかつて見たことのない大陸に着いてしまい、困惑している様子です。
さぁコショウをめぐって始まったこの航海対決。どうやら面白い展開になりそうです。
大航海時代はまだ続きます。
以上。
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
本宮 貴大でした。それでは。