motomiyatakahiroの日記

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歴史はストーリーで覚える。 【織田信長編 その1】

 こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。

この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。

今回のテーマは「歴史はストーリーで覚える。 【織田信長編その1】」というお話です。

是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。

信長の代表的な政策の1つに兵農分離があげられます。戦い専門の武士集団を創ることで着々と勢力を拡大していきました。

 さぁ、いよいよ織豊(しょくほう)政権の始まりです。そう、皆さんも大好きな織田信長豊臣秀吉の時代です。今回から数回に渡って、ストーリー形式で歴史の勉強をしていきたいと思います。

 戦国合戦全国大会決勝トーナメント1回戦は尾張の織田VS駿河の名門・今川で桶狭間の戦いです。

 

 信長がこの戦いで今川義元を討ち取ったのは1560年ですが、この年が戦国時代の前半と後半の境目になります。これによって、信長は全国の有力大名にその名を轟かせることに成功します。東側の強敵である今川氏を倒し、人質としてとらえられていた徳川家康が解放され、信長は三河の徳川と同盟を結んだことで東側の砦が出来上がります。さらに近江の浅井長政とも同盟を結び、信長は西へ勢力を拡大していきます。

 

 そこで、決勝トーナメント2回戦は尾張の織田VS美濃の斎藤氏になります。

 信長はこの戦いに苦戦します。信長の兵隊は非常に弱かったのです。それもそのはず、彼の部下はいわゆる流れ者の寄せ集めであり、「銭で雇った兵」だったからです。

 しかし、信長は丸6年の歳月を経て、美濃の斎藤氏を討ち取ります。信長はこの「銭で雇う兵」の長所を最大限に活用したのです。

 

 室町時代以前は、いわゆる「一所懸命」の精神が基本スタンスであり、住民は自分の生まれ育った地域のために汗を流し、時には血を流すことが常識だったのです。そのため、普段は農業に従事し、戦いとなれば、弓や槍をもって出動していました。

 

 これとは逆に「銭で雇う兵」は流れ者の兵士なので、常に武術に専念出来ます。そう、銭で雇う兵の最大の長所は「戦いを専門とした武士集団」を作り出すことが出来る点だったのです。これを信長は最大限に活用します。これが信長の代表的な政策の1つ兵農分離です。

 

 信長は時期を問わず、斎藤氏に何度も攻め入ります。というのも、農業には繁忙期があります。信長はここを突いたのです。兵士達は生活の為、この繁忙期に農業を放置するわけにはいきません。大名も年貢の徴収のために農業をやらせないわけにはいきません。しかし、信長の兵隊にはそんなの関係ありません。これが勝利のカギとなり、信長は遂に美濃の制圧に成功したのです。

 

天下統一のために最も効果的な方法。それは「経済を活性化させること」でした。信長は室町幕府から経済を掌握する権限を得ることに成功します。

美濃を制圧したころ、信長はある目標・ビジョンを掲げます。それが「天下布武」です。「天下布武」とは、武士が一元的に天下を支配するという意味です。

 

 さぁ目標が天下統一になったので、信長には合戦以外にも大きな仕事が発生します。兵士を「銭」で雇うには、肝心の「銭」が大量に必要です。そのためには経済を活性化させ、商人から銭を大量に徴収する必要がありました。

この場合、最も手っとり早いのは、天下人から経済を掌握する権限を奪うことです。その天下人とは室町幕府のことですが、信長はいかにして幕府に近づくかを考えていました。

 

ちょうどその頃、室町幕府では13代将軍・足利義輝が暗殺集団の三好三人衆に暗殺されます。その後を義栄が14代将軍として継ぎますが、弟の足利義昭は身の危険を感じ、自分を守ってもらう強い大名を探します。その時、見つけたのが織田信長だったのです。

義昭は自分を守って貰おうと信長にすがります。しかし、信長にとって、これは天下人に近づく絶好のチャンス。これで京都に侵入(上洛)する理由が出来ました。

 

 そして1568年、信長は足利義昭室町幕府・15代征夷大将軍に奉りあげ、その恩礼として、義昭から副将軍への誘いを受けます。

 しかし信長はこれを断り、代わりに関所の廃止と堺・大津・草津といった経済の拠点を掌握する権限を得ます。そう、先述の通り、信長は副将軍という「肩書」よりも、経済の活性化という「内容」を優先したのです。まさに「名」より「実」を取ったというイメージです。

 信長は室町幕府という制度そのものをぶち壊し、全く新しい政治組織を創ろうとしていため、幕府の肩書を得たところでそれに価値など感じなかったのです。

 こうして信長は、落ちぶれていた室町幕府を復興させるという大義名分の元、経済を活性化する機会を得たのです。結局、義昭はその権威を利用されただけの「傀儡将軍」になってしまいました。

 

 さぁ全国大会に戻りましょう。決勝トーナメント3回戦は尾張の織田VS越前の朝倉になります。戦いは信長が優勢でした。しかし、ここで事件が起きます。信長と同盟を結んだはずの近江の浅井長政が、朝倉側に寝返ったのです。よって戦いは引き分けとなってしまいました。

 信長は大激怒。再戦によって宿敵・朝倉への報復。そして、裏切り者の浅井長政の討伐を誓います。朝倉・浅井同盟軍に対し、信長は三河徳川家康と同盟を結びます。

 

 ということで、1570年、全国大会決勝トーナメント3回戦(再戦)。対戦は織田・徳川連合軍VS朝倉・浅井同盟軍による姉川の戦いです

 この戦いは見事、織田・徳川連合軍の勝利で終わります。

信長は様々な改革をし、時代に変化をもたらした。

その結果、信長 VS 旧勢力の全面戦争へと発展しました。

 さぁ、次は決勝トーナメント第4回戦・・・・・と行きたいところですが、ここで急きょ、ルール変更があります。

 変更1.信長が調子に乗っているので、全国の大名達で「信長潰しのトーナメント」 に切り替えます。

 変更2.一向宗石山本願寺及び比叡山延暦寺の宗教組織が反信長派として加勢します。

 

なんと、信長に利用されただけのあの足利義昭が「打倒!信長」を掲げ、全国の大名と宗教組織に「信長包囲網」の形成を促していたのです。これに信長は大激怒。義昭を京都から追放します。こうして室町幕府は事実上、滅亡します。

 

さぁ、反信長派の大名と宗教組織が加勢したことで、信長の敵は一気に増えてしまいました。こうして信長と旧勢力の全面戦争の始まるのです。

信長の活躍は続く。

以上。

今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。