日本史はストーリーで覚える!

日本史を好きになるブログ

歴史はストーリーで覚える。 【戦国時代編】

 こんにちは。本宮 貴大(もとみや たかひろ)です。

この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。

リクエストがありましたので、久々に「歴史モノ」を作成してみました。

今回のテーマは「歴史はストーリーで覚える。 【戦国時代編】」というお話です。

是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。

戦国・安土桃山時代「男時(おどき)」の時代。海外から技術や文化を積極的に取り入れ、封建的な中世から自由で開放的な近世時代が変化しました。

 過去の記事「歴史は周期の法則で動いている」で、戦国・安土桃山時代は男時(おどき)の時代とのべました。初見の人のために男時と女時の時代のイメージをまとめた表を見ていただきたいと思います。(以下参照)

女時のイメージ 男時のイメージ
異文化を日本風へ昇華 異文化を取り入れる
華やか 質実剛健
安定の時代 変化の時代
統一 混乱
技術の成熟 技術革新
内部に閉ざしている 外部に開いている
平和、安全 戦い、リスク

 

 男時(おどき)とは、海外から異文化や科学技術を積極的に取り入れる時代ですが、この時代の典型例は鉄砲の伝来でしょう。種子島に漂着したポルトガル船に積まれてあった鉄砲をある島の人が2丁買ったことがきっかけです。そこから全国の大名に行きわたるまで5年かかりませんでした。

 また、農業機具の発展も挙げられます。これが後の「兵農分離」を引き起こすきっかけとなります。「兵農分離」については次回の記事で詳しく説明します。

 

 また積極的な貿易とキリスト教の布教も男時の特徴と言えるでしょう。

 当時(16世紀)の覇権国家ポルトガルの他にスペインがあります。スペインはポルトガルにやや遅れて日本に貿易とキリスト教の布教のために上陸します。

 貿易に関しては平戸や長崎、豊後(大分)などで行われ、ポルトガル船は日本が一番欲しがっていた生糸を中国から大量にもたらします。一方で日本では金銀鉱山の開発が進んだ時代だったので、銀が大量に輸出されました。

 キリスト教の布教に関しては宣教師フランシスコ=ザビエルが当時勢力を増してきたプロテスタント(新教)に対抗するため、海外布教を積極的に行うことで異教徒を取り込み、カトリック(旧教)の勢力拡大を図るために行いました。ザビエルはカトリックイエズス会宣教師ですが、彼が鹿児島に上陸したのは1549年で日本に初めてキリスト教を広めた人として皆さんもよくご存じだと思います。

 彼らのような海外から貿易と布教のためにやってきた人達を当時の日本人は南蛮人と呼び、その貿易も南蛮貿易と呼びます。

 

 応仁の乱をきっかけに室町幕府の権威は最低ランクまで落ち込みました。幕府の統治力はどんどん落ち込み、庶民は飢饉に苦しめられ、各地では反乱や一揆、盗難や火付けなどが横行するようになってしまいました。

 このような不安定な情勢の中、当然庶民の間では以下のような欲望が芽生えてきます。

 

「平和に暮らしたい」、

「ゆたかに暮らしたい」、

「正しく、公平に暮らしたい」、

「自己向上したい」、

「新しい国家を創りたい」

 という気持ちが芽生えてきます。そこで守護大名に代わって戦国大名が登場し平和な時代を創るために、各地で争いが多発しました。戦国大名の最大の特徴は、実力によって身分の高い守護大名を追い出し、その支配権を奪い取るカタチで知名度を上げた者が多いことです。これがいわゆる「下剋上」というものです。

戦国時代とは日本中が活気づいた時代。織田信長とは、時代が求めたカリスマ的リーダーだったのです。

戦国時代前半は一国の地主豪族が領地拡大のために各地で争いをするという小競り合いを各地で行っていた時期ですが、後半になると、ある程度の地域をまとめた大名同士の戦いになります。いわば戦国時代前半は地区予選、後半は全国大会決勝トーナメントになります。

 

そんな地区予選を勝ち抜き、決勝トーナメントに進出したベスト13を紹介します。

東側から、陸奥の伊達、関東の北条、越後の上杉、甲斐の武田、三河の徳川、尾張の織田、越前の朝倉、近江の浅井、阿波・畿内の三好、四国の長宗我部、中国の毛利、豊後の大友、薩摩の島津になります。

 さぁ戦国時代後半は皆さんが大好きな「あの人」が活躍する時期です。

 

 

 ところで、戦国時代といえば皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。一般的には、いかにも強欲な戦国大名が自分の地位や利益のために各地で争いを繰り返し、庶民はそれに苦しめられているようなイメージです。

 確かに日本の歴史において争いが桁外れに多い時代で、多くの犠牲を出したのも事実です。しかし、実際は違います。戦国大名はもちろん庶民も日本を変えようと立ち上がった時期なのです。そう、戦国時代とは理想的な国造りのために皆が躍起になり時代なのです。時代が変化し、全く新しい時代が訪れる瞬間です。

 実際に応仁の乱から関ヶ原の戦いまでの約120年の間に日本人の人口は2倍になり、国民総生産は3倍になったといいます。これはそれ以前400年間よりも大きな成長です。

 戦国時代とは変化の激しい激動の時代であったと同時に日本中が非情に活気付いていた時期だったのです。

 

 このように国を大きく成長させ、平和な時代への礎を築いたカリスマ的リーダーを私達は知っています。先ほども「あの人」と言いました。

 そうです。ミスター戦国・織田信長です。

 

 彼は戦国の民衆のニーズをしっかりととらえ、中世の封建的な「土地至上主義」近代的な「貨幣至上主義」へと移行させる政策をとったのです。もう少し具体的にいうと、「衣食住満ち足りて、文化に励む」ということです。信長は天下統一のために最も効果的な方法とは、経済の基盤を創り、活性化することだと知っていたのです。

次回は織田信長の活躍について詳しく述べていきたいと思います。

以上

本宮 貴大でした。それでは。